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スタジオから(From Studio)僕のポートレートへの思い。

 最近、モデルさんだとか俳優さんといったいわゆるプロではない人を多く撮っている。婚活用の写真だったりプロフィール用だったりする。ジャンルでいえばポートレートになるだろう。

 スタジオに来る人は何故だかよそよそしい人が多い。つっけんどんだったり、せかせかしたりした人がとても多い。中には怒っていたり、威張っている人もいる。そういう人たちのポートレートを撮るのはなんだか面倒くさいなあ、骨が折れるなあと思う。それにどうしてそういう人が多いのかわからなかったのだけど、あるときふと気が付いた。緊張しているのだ。

 確かに写真をスタジオで撮るなんて非日常。七五三以来とか、成人式以来なんて人が沢山いる。自撮りがこんなに定着したとはいえ、撮ってもらうというのはやはり別物なのだ。それに「Profile」には横顔と言う意味がある。つまり他人の視線が必要なのだ。自撮りではだめで自意識がもたらす距離感より少し冷静な距離感が必要らしい。たぶん他人に自分を晒す心持ちが緊張を呼ぶのだろう。

 だからといって、緊張したままではよいポートレートは撮れない。なんせ「Portrait」には生き生きとしたと言う意味もあるのだから。

 そこで僕は喋りまくる。褒めまくり、クリシェと言われてもなお、同じギャグをかまして、緊張を和らげて、短い時間の中で少しの接点を探る。時にその歯車があって、なんらかの信頼関係が築けると撮る人も撮られるひとも面白くなってくる。撮られる人にはその写真の目的がある。それこそ活動であったり自分の宣伝であったり。その目的と気持ちに少し寄り添って、二人でちょっとした写真の「たくらみ」をもってポートレートは出来上がって行く。両者の共謀と言っては言い過ぎかな。でもそんな企みによって良いポートレートは仕上がってくるように思える。

 ただ不思議なモノで、シャッターはその関係性をつかのま裏切る間に切っている。築いた関係をちょっとの間だけ断ち切って定着させる。写真に残る笑顔と同様にそれを手にしたお客さんの満足げな表情のために、ちょっと裏切る。


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