タイムスリップ_コンビナート2文庫サイズ_jpeg

「新・小説のふるさと」撮影ノートより『タイムスリップ・コンビナート』について思ったこと。

〇某月某日
 午前四時、車で神奈川県横浜市鶴見区末広町二丁目の浅野駅に向かう。本来なら川崎駅から乗って行くべきなのだろうが、満員電車を少しでも避けたいという軟弱な気持ちが働いたのだった。浅野で鶴見線は二股に分かれる。そしてそこから海へ向かう電車に乗った。新芝浦を過ぎるとあきらかに突堤へ向かうような細い海沿いのレールの上を電車は走った。冬の朝日が角度低く車内を強いコントラストで照らした。個性の少ない背広姿の、おそらくほとんどの人が終着駅の東芝の工場へむかっているのだろう人たちを、逆光の中の列車は象徴的に見せた、不確定な夢の中のような光景。終着の海芝浦についた。12月の風が堅かった。鶴見翼橋の先に煙突の煙がたなびく空は青く、海は群青にそまっていた。僕は海に突っ伏したようなホームに取り残されて、端っこに来たんだとおもった。

〇某月某日
 鶴見区浜町一丁目ゴム通り。入船小学校歩道橋を渡って沖縄会館に行った。守礼門の額が掲げられた入り口はシャッターが閉まっていた。早すぎるのだった。しばらく朝の仲通を行ったり来たりした。なるほど噂に聞くエスニック通り。沖縄、南米、タイ、インド、韓国。閑散とした通りにバラエティに富んだ店がぽつりぽつりと出現した。仲通の端を北に上れば鶴見川にたどり着くはずであったが、途中くたびれて入ったトイレは市松模様のタイルだった。会館に出戻るとようやくシャッターが開く頃だった。シャッターの先は上り階段だったので、そこはあがらずに横の「沖縄に逢える店」と張り紙があるマーケットに入って、主人公同様に、あんだかしー(豚の皮からラードをとった後のものを揚げ調理したもの)を買った。それを近くの公園に持ち込んで、缶紅茶を自販機から同じように「叩き出して」揚げものを食べてみた。唐揚げみたいなものを想像していてものにとっては、無味のやはり豚の脂の何かだった。味わい方をしらず、冬の日差しあふれる朝の公園で所在がなかった。

〇某月某日
 四日市に行った。工場萌えである。運良く昼過ぎに到着できたので急いでポイントを見て回る。四日市港ポートビルうみてらす14、霞ヶ浦緑地公園、大正橋脇、相生橋など。なかなか工場の夜景を昼間想像することはできないのだが、夜のとばりが降りても実はいたるところに光があふれていることは、夜の街路樹撮影の経験から知っていた。闇夜でも十分に蓄光することがでれば、晴れの夜空は昼のように青く、曇りの日には地上の光が雲のスクリーンに反射して様々な色光が空を染めるのだ。午後八時前。人気のない四日市ドームの駐車場に車を止めて、白い息を吐きながら伊勢湾に浮かぶコンビナートを撮りにいった。肉眼ではあまりわからないが、光と時間をカメラで二次元平面へと転写した画像は無機質と有機質が入り交まじった不思議な光景となる。
 世の中でもっとも早いといわれる粒子を捕らえて、戻すことのできない時間という流れを溜めて視るという行為は、たしかにタイムスリップのようではあるが、この撮るという意図がある限り、予期せぬスリップにはるか及ばない。だが疑似的なスリップでも、手の中のモニタに写る薄緑の、うねうねとはき出される工場の煙は、無意識の中にしくまれた端っこと、所在なさと、意味の見いだせない生々しい感覚を呼び起こすのだった。


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