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老いも若いも、多弁であれ

こんにちは(*'▽')

衆議院議員選挙が終わりましたね。関わった人、投票に行かれた人、行かなかったけどちょっと政策などを気にかけてニュースを見た人、お疲れさまでございました。日本国の自治をめぐって、壮大な多数決をして立法の府で議論していただく人達を選ぶ、大きなイベントでした。

じつは選挙管理委員会でアルバイトをしまして、病院やその他施設・在宅・遠方滞在地での投票に必要な投票用紙を発送・受理する業務に携わりました。ネット選挙が実現されれば必要なくなる仕事かもしれませんが、いまできるだけのことをしてきたと思います。

タイトルの「老いも若いも多弁であれ」は、東京事変の「緑酒」の歌詞からとりました。♪~ 乾杯日本の衆/いつか本当の味を知って酔いたいから/樹立しよう/簡素な真人間に救いある新型社会/次世代へただ真っ当に生きろと云い放てる時/遂に祝う/その一口ぞ青々と自由たる香さぞ染み入る事だろう/伝う汗と涙が報われて欲しい/皆の衆 …歌うのはたいへんむずかしくカラオケで撃沈しますが、まだ知らない方へはYoutube動画でMusic Video観ることおすすめします!


個人の意見を尊重してばかりいて、全体の秩序が保てるのか? そう疑問に思う人もいるだろう。それくらいぼくらは、国家(自分たちを代表する政治家)が決定したことにみんなで従う社会契約モデル、あるいは上官の命令に絶対服従を強いる軍隊組織モデルに想像力を制約されている。

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どんなときも他者への強制を嫌い、みんなでルールに従うような行動を可能なかぎり避けようとする。そこでは、ゆるやかなまとまりを維持しながらも、多数派の意思決定に服従を強いられる人はいない。グレーバーが指摘したようなコンセンサスにもとづく共同性は、実現不可能な理想ではなく、むしろ民族誌的事実なのだ。(略)たとえ国家のなかで暮らしていても、人類学はそこに国家の強制のロジックとは異なる民衆の「もののやりかた」をみいだしてきたのだ。

コンセンサスにもとづく意思決定は、国家のある社会であってもさまざまな場所でみられる。私が調査してきたエチオピアの農村もそうだ。国家体制のもとにありながらも、人びとはできるだけ自分たちで問題に対処している。そもそも社会保障の制度などはないし、裁判所も警察署も離れた町にしかない。ほとんどの村人は国の制度や組織に世話にならずに生きてきたし、世話にならずに済まそうとしている。

けんかや仲たがいなどの問題が起きれば、自分たちで話しあって解決する。親族や隣人とトラブルになると、当事者の双方が信頼のおける年長者を1~2人招いて、話しあいの場を設ける。「年長者」といっても、かならずしも特権的な役職者がいるわけではない。世の中のことをよく知っていて、分別がある人に声がかかる。

年長者の役割は、現代の裁判所の「弁護人」とは違う。どちらかといえば、「調停人」とか、「ご意見番」に近い。依頼された側を諭して妥協をうながすことも多い。問題の当事者が、その年長者たちとともに問題の解決を目指して延々と何時間も話しあう。話がつかなければ、また別の日に話しあいがもたれたり、別の年長者が呼ばれたりする。

この話しあいの場は、白黒を決着させる場ではない。和解の場だ。年長者が最後に裁定を下すわけではなく、双方が納得のいく妥協点を探る。それは、どちらかが勝ったり、負けたりといった結論がでると、その後、村で一緒に暮らしづらくなるからだ。だからあえて白黒はっきりと決着させない。それは、グレーバーが多数決はコミュニティを破壊しかねないと指摘したことと一致している。

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ぼくらは問題が起きたら、すぐに行政や警察などにたよってしまう。知らないうちに問題の解決を他人まかせにばかりしている。不審者をみつけたら警察に電話するし、駅で倒れている人がいれば、自分では声をかけずに駅員を呼ぶ。そうやっていつも他人まかせにしていると、自分たちで秩序をつくったり、維持したりできっこない、と思ってしまう。でも、人間はずっとそうやって自分たちで問題に対処してきた。

いまアナキズムを考えることは、どうしたら身のまわりの問題を自分たちで解決できるのか、そのためになにが必要かを考えることでもある。パンデミックの渦中でも、ぼくらは国家という仕組みは図体がでかいだけで、無能で無力であるという現実をいやというほど思い知らされてきた。

国や政治家よりも、むしろ自分たち生活者のほうが問題に対処する鍵を握っている。その自覚が民主主義を成り立たせる根幹にある。結局だれもが政治参加だと信じてきた多数決による投票は、政治とやらに参加している感をだす仕組みにすぎなかった。たぶんそこに「政治」はない。そうやって政治について誤解したまま、時間のかかる面倒なコンセンサスをとることを避け、みずから問題に対処することをやめてきた。それが結果として政治家たちをつけあがらせてきたのだ。だが、このコンセンサスにもとづく民主的な問題への対処は、ずっと日本でも実践されてきた。

民俗学者の宮本常一は、『忘れられた日本人』のなかで、1950年に調査で訪れた対馬の「寄りあい」について、印象的なエピソードを書き記している。

宮本は、調査で古文書を借りられないかと村の人たちに検討を依頼していた。村では寄りあいがひらかれ、いろんな意見がだされた。だが、なかなか結論はでない。だれかが「昔こういうことがあった」と、古文書を貸したら返してくれなかった事例など、関係しそうなエピソードを話す。それぞれ思い思いのことを口にし、関係のない世間話になったり、別の話題に移ったりする。そのまま何日も時間だけが過ぎた。

ひととおり、みんなが思い思いのことをいったあと、ひとりの老人が口をひらく。「みればこの人はわるい人でもなさそうだし、話をきめようではないか」。そう大きな声で提案されると、外で話していた人も窓のところにきて、宮本の顔をみつめた。

宮本は、その古文書には昔クジラがとれると若い女たちが美しい着物を着てお化粧してみにいくのでそういうことはしてはいけない、などと書かれていると説明する。そこから、しばらくはクジラをとったときの話がつづく。

一時間ほどして、宮本を案内してきた老人が「どうであろう、せっかくだから貸してあげては」と一同にはかる。「あんたがそういわれるなら、もうだれも異存なかろう」とひとりが答え、区長が「それでは私が責任をおいますから」と応じる。宮本が書いた借用書が読み上げられ、区長が「これでようございますか」と一同に問いかける。座のなかから「はァそれで結構でございます」と声があがって、ようやく古文書が宮本に渡された。

みんながそれぞれの考えや知っている出来事などを口にだす。もちろん否定的な意見も、肯定的な意見もでてくる。ただ、そこで無理に結論を急ぐことはない。みんなが思ったことを発言しながら、機が熟すのを待つのだ。グレーバーの「〔反対する者でも〕受け身の黙諾を与える気になるようにと計らう」という言葉どおりのやり方だ。宮本は、こうした寄りあいのやり方は、ずっと昔から変わっていないという。

昔は腹がへったら家へたべにかえるというのでなく、家から誰かが弁当を持ってきたものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。(『忘れられた日本人』16頁)

無理をしない。それは村人の関係を壊さないための配慮だ。そのためには時間がかかっても仕方がない。物事を決めて先に進めるよりも、だれかが不満をもったり、対立したりしないようにコンセンサスをとることが優先される。まさに民主的だ。

宮本は、終戦後に進められた農地解放でも、そうした寄りあいが機能していたという。農地解放は、地主が土地を失うという大きな痛みをともなう改革だった。土地をもつ農民には死活問題で、みなが勝手に自己主張すると話がまとまらなくなった。

そんなとき、年長者がこんな言葉をかけた。「皆さん、とにかくだれもいないところで、たった一人暗夜に胸に手をおいて、私はすこしも悪いことはしておらん。私の親も正しかった。祖父も正しかった。私の家の土地はすこしの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきりいいきれる人がありましたら申し出て下さい」。すると、いままで強く自己主張していた人たちがみんな口をつぐんでしまうのだという。

みんな好き勝手なことをいって場が紛糾しないよう、「年より」がうまく弁舌をもって話しあいを導く。それは国家なき社会のリーダーに課された役割と同じだ。

村で起きる問題の解決には、女性たちも重要な役割を担っていた。宮本は、「世話焼きばっば」の例をあげる。村のなかでやや安定した生活をしていて、分別のある年長の女性が「世話焼き」をする。村のことはたいてい知っていて、たえず不幸な者に手をさしのべる。それも人の気づかぬところでやる。だれかが不利な立場に追いこまれないよう慎重に問題に対処していたのだ。

他人の非をあばくことは容易だが、あばいた後、村の中の人間関係は非を持つ人が悔悟するだけでは解決しきれない問題が含まれている。したがってそれをどう処理するかはなかなかむずかしいことで、女たちは女たち同士で解決の方法を講じたのである。そして年とった物わかりのいい女の考え方や見方が、若い女たちの生きる指標になり支えになった。何も彼も知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろのひずみをため直すのに重要な意味を持っていた。(同39頁)

「寄りあい」の外にも、つねに問題にともに対処する場や関係があった。宮本の文章を読むと、いかにぼくらがこうした問題解決の能力を失ってきたかを痛感させられる。(略)だが、ずっとこうだったわけではない。かつてこの日本列島の隅々でくり返されてきた寄りあいは、もっとずっと民主的だった。もちろん、単純に寄りあい的な意思決定はすばらしいという話ではない。少数派が沈黙と妥協を強いられる危険性はつねにある。被差別民や村八分など、意思決定から排除された人がいたのも事実だ。だがそこには民主的な自治、アナキズム的な自由と平等を維持するときに欠かせないなにかがある。

おそらくそれは制度や物事の決め方の形式ではない。異なる意見を調停し、妥協をうながしていく対話の技法。それこそが民主的な自治の核心にある。寄りあいの姿から気づかされるのは、そのあたりまえに受け継がれてきた人びとの知恵のすごみだ。

松村圭一郎

『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年)より


ここに出てくる、村人の関係を壊さない配慮として「無理をしない」というのは、強行採決をしない、ということでしょうか。コンセンサス【consensus / 意見の一致。合意。特に、国家の政策についていう。広辞苑より】というのは、なにも全員一致のことを指すのではないようです。もっと柔らかく包容力のあるなにかかな。せやろがいおじさんは、「意見が分かれた人は敵なのか?(そうではないよね!)」と語っています。

最近聴いている曲、SUPER BEAVER の「人として」の歌詞が目の前に立ち現れてきます。♪~ あなたに嘘をついて/後悔をした/僕も騙されているかもしれないけど/疑って曝くよりも/嘘ついた人が気付いて/傷付いてわかるほうがいいと思うんだ  サビの♪~ 身に覚えのある失敗を/どうして指差せる? というところも、優しさというより謙虚だなぁと感じます。Youtube動画の THE FIRST TAKE でも歌っていらっしゃいます。ぜひ一度きいてみてほしいと思います!

(※ここでは人と人の営みの機微を歌いあげていると思います。国家機関による公文書改竄は重大犯罪と思うので、曝かれて処分が下ることが望ましいと思います。)

先月から放映しているTBS日曜ドラマ「日本沈没ー希望のひとー」では、有事における政府内の意思決定の流れや大規模な危機の前に一人の人間としてどう考え行動していくかのシミュレーションを知れます。ただのエンターテインメントドラマではないぞ…(゚д゚)!

自分(達)でできることは自分(達)でする。もちろん適宜他人の助けを借りながらでもOKで、子どもの成長過程、中途障害を負っても自立した暮らしをするため、いろんなことができなくなっていく老化の過程でも大切なのかもしれません。違う文化圏から来た人は強制と感じない現地ルールを、共生のためにすこしずつ採り入れていったり、働き盛りの人はうまく負担を分け合って。人助けが偽善に思えて恥ずかしくても、いざ一歩踏み出してみたら爽やかな心地に包まれるかも。他人まかせに過剰に甘んじていないか、ちょっと胸に手を当てて思い巡らせてみたいと思います。

I want to find and get SKILLS OF DIALOGUE ☆

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