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NO WAR !! 詩など、3選

こんにちは(*'ω'*)

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』、『夕霧花園』を観てきました。前者は、広島から呉に嫁いだすずさんの日常が徐々に戦争の影色濃くなっていくなかで、すずさんの(戦時中・非常時でも)普通の感覚が周りの人たちに安らぎをたしかに与えているところや、いろいろ見どころでした。後者は、マレーシアで日本軍兵士による残虐な行為で心身に深く傷を負った女性と日本人の庭師(スパイ疑惑あり)の物語です。こちらはまだ消化できておりません。


【戦争・プロパガンダ10の法則】アンヌ・モレリに加えて

一、われわれは戦争をしたくない

二、しかし敵側が一方的に戦争を望んだ

三、敵の指導者は悪魔のような人間だ

四、われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う

五、われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる

六、敵は卑劣な兵器や戦略を用いている

七、われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大

八、芸術家や知識人も正義の戦いを支持している

九、われわれの大義は神聖なものである

十、この正義に疑問を投げかけるものは裏切り者である



【戦争責任者の問題】1946年伊丹万作

だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、

あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、

思考力を失い、

信念を失い、

家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。

そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧政を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る(イキドオル)精神の欠如であり、道徳的無自覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配者階級全体に対する不忠である。我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。



Then everybody wept.

Or sat, too exhausted to weep,

Or lay too hurt to weep.

And when the smoke cleared it became clear

This had happened too often before

And was going to happen too often in the future

And happened too easily...

By Ted Hughes

そしてみんな泣いた

あるいは座っていた 泣くには疲れすぎていた

あるいは横たわっていた 泣くには傷つきすぎていた

そして煙が晴れたとき 明らかになった

これは以前にもあまりにもたくさん起きていたということが

そしてこれからもあまりにもたくさん起きるだろうということが

そしてあまりにも簡単に起きたということが…

テッド・ヒューズ


二つめの伊丹万作さんのことばは、けっこうな刺さりぐあいです。すごく痛く感じます。奴隷根性が自分のなかのどこかに鎮座しているから、と推測します。(人格攻撃とか、良くないけど)「批判」をすべて悪いこととせず、「悪に憤る精神」はぜひ持ちたいと思っています。

「オレ(あたし)、政治に興味ないし」とつぶやく方がいましたら、「そういうことはお上が決めて、庶民は粛々と従うまでよ」などと無関係決めこんでいたことを、文字通り後で悔いた先人達の言葉(声にもならなかった思い)は重く受け止めたほうがいいんじゃないかな!?とお伝えしたいです。

福山雅治さん&荘口彰久さんの「地底人ラジオ」2021.08.07 で、長崎の男子高生で平和大使の活動をしている方のお話聞けました。被爆地長崎でさえ、核兵器禁止条約のことを知らない同級生が多数いるそうです。彼は、自分の考えを押しつけるのではなく、まずは事実を知ってもらって、自分はどう感じる・考えるか、そこから始めてもらえたらいいなというようなことを話してくれていました。想像力、感受性、大事です。

この記事タイトルの「しなど、さんせん」を変換するとき、「死など、参戦」という変換でまったく違うものになってしまうプチ恐怖を味わいました。変換解釈で元の意味とまったく違うものに変質してしまうかもしれないことを考えると、戦争放棄を掲げた憲法をただ持っているというだけでは十分ではないなぁという気がします。

I keep on saying "NO WAR... NEVER !!".  So, what do you do ?? ☆

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