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ジュウ・ショのサブカル文学マガジン

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文学についてサブカルチャー的な視点から紹介・解説。 学術書とか解説本みたいに小難しくなく、 極めてやさしく、おもしろく、深ーく書きまーす。
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#カルチャー

横光利一とは|新感覚派の旗手の生涯を蠅などの代表作とともに紹介

「小説の神様」といわれた人間は2人いる。1人は「暗夜行路」などで白樺派の代表的な作家にまで成長した志賀直哉。そしてもう1人は新感覚派の旗手・横光利一だ。 はじめて読んだ横光利一の作品は「春は馬車に乗って」だった。そのあまりの美しさ、鮮烈な比喩表現に衝撃を受けたことをマジで今でも覚えている。 すごい作品だ。鳥の内臓を「瑪瑙のような」とか書いてて、表現がエグすぎて、もう逆にマジでよくわからなかった。 昔に活躍した作家や画家は、今見ると色褪せてしまうこともある。しかし横光利一

芥川龍之介とは|人間のエゴを描き「答えのない難題」を書いた作家

芥川龍之介の作品は、たぶん日本国民の80%くらいが読んだはずだ。「羅生門」は高校の教科書の常連ですよね。福田雄一監督の作品における佐藤二朗くらい毎年出てくる。 男が死人の髪を売ろうとする婆さんを見つけ、服を剥ぎ取り逃げていくシーンに衝撃を受けた人も多かろう。「イカれた婆さんだ。服をパクられても仕方ないだろ」と感じた方もいると思う。しかし一方で「ちょ、婆さんかわいそうじゃね? お腹減ってんだから仕方ないよ」と思った人も多かろう。 芥川龍之介(特に初期)という人は、こうした「

太宰治の「人間失格」で笑えなくなった人は、いったん寝るべきだ

太宰治といえば、非常にネガティヴかつ陰鬱な作品ばっかりで、読んでいて暗くなると思われがちだろう。はい。その通りです。一見、死ぬほど暗い。ずーっと、うじうじしている。 しかし人によっては、笑いながら読める人も多い。渋谷のクラブでコロナビールの瓶にレモン沈めてる兄ちゃんが読んだら「いや、こいつ自分好きすぎるっしょ。ウケんだけどやばくね」と笑いながら読むに決まっている。 なかでも「人間失格」という名作はヤバい。とにかくずーっと自分語りで、自意識過剰が止まらない。「他人に気を遣い

自然主義文学とは|西洋と日本の違いを徹底解説

日本近代文学の歴史は坪内逍遥と二葉亭四迷からはじまる。ということは以前も書きました。 水戸黄門とか遠山の金さんみたいな「勧善懲悪」の世界について「いやもう戯作やめぇ。アンパンマンすな」とツッコみ、現実のリアルな舞台をもとに人の心理を書くことをすすめたんですね。 これが写実主義だ。なので べし とか なり とかでなく「話し言葉で書く」ようになるんですね。 で、そのあとに「江戸の戯作は日本の文化だろうが」と擬古典主義が出てきて写実主義に反発する。これをロマン主義という「俺の

樋口一葉とは|「奇跡の14カ月」で女流作家の道をひらいた天才

樋口一葉という作家には、いまだに熱狂的なファンが多いと思う。女流文学者の最初期に活躍した作家であり、その波瀾万丈な24年の人生には感動すら覚える。まさに「駆け抜けた」という言葉がぴったりとハマる作家です。 彼女は女流アーティストとしてのカルチャーを生み出した、ともいわれる。松任谷由実や椎名林檎への影響を語る書籍もあるくらいだ。椎名林檎に関しては歌詞にちょいちょい出てくる花魁言葉、また東京事変のキーボードに「伊澤一葉」と名付けるくらいには影響を受けているだろう。 今回はそん

サブカルとアングラの違いとは|ヤバい世界について本気で考えてみる

「アングラとサブカルの違い」は一般のメインカルチャーで生きている人には理解し難いものがある。「いやいや、どっちも絡みにくいでしょ」とまとめてしまいがちだ。 しかし気をつけてほしい。アングラ畑で"毒"を撒布している人と、サブカル畑で"無駄"を耕している人は違う生き物だ。当人からすると「一緒にしないでくれ」と思っているパターンは結構ある。 アングラの人に「お前、ほんっとにサブカルだな」と安易に声をかけるのはマズい。「ちげぇよ。俺はアングラだよ」と血走った眼で返されるだろう。な

日本近現代文学史をまとめ|23種類の流派を80人の作家で徹底解説

私たちが普段読んでいる小説や詩などの文学作品。その基礎は坪内逍遥の「小説神髄」と二葉亭四迷の「浮雲」によって作られた、ということを以前紹介した。 この2作はガラケーからスマホに変わったくらいの革命を日本文学に及ぼしたわけだ。 2人が構築したのは「写実主義」だった。それまでの日本文学は「人間の心理にほぼ触れず、勧善懲悪のストーリー」ばかりを追いかけるものである。 それが「写実主義」では「心理描写に重きを置き、かつ日常的な世界が舞台のもの」となったのである。 この「写実主

坪内逍遥とは|戯作・歌舞伎など日本文化を変えた革命家【小説神髄の解説】

江戸時代の「南総里見八犬伝」やら「東海道中膝栗毛」などの作品に「なんとなく昔の古い作品」というイメージを持ってしまうのは私だけだろうか。それに対して明治期の「浮雲」やら「たけくらべ」などの作品は「距離が近くて親しみやすい雰囲気」を感じる。 このイメージは「坪内逍遥が作り上げた」といってもいい。さらにいうと、いまの小説、演劇の多くは坪内逍遥なくしては生まれなかったともいえる。 彼は日本文学史において、明確に区切りをつけた人物なのである。 今回はそんな日本文学史の大スター・

夢野久作について|47年の生涯やドグラ・マグラの解説など

夢野久作は間違いなく日本サブカル文学界のトップに君臨する小説家だ。というのも、彼の作品はもちろん万人受けしない。そして「マイノリティである」ということこそ、文学ファンはもちろん、アングラ好きに好かれる理由にもなっている。 しかし多くの人が「ドグラ・マグラは読んだけど夢野久作がなんでこんなに評価されるのかは知らんなぁ」と思っているだろう。サブカル・アングラ好きのなかでも、ドグラ・マグラから夢野久作にハマるのは全体の1割くらいだと踏んでいる。9割は最初の5ページくらいで「いやい

エドワード・ゴーリーの絵本を紹介! 不幸な子供、うろんな客など

「絵本」にどんなイメージを持つだろう。かわいい、健全なもの、教育的……どれも正解でしょう。 レオ・レオニの「スイミー」やエリック・カールの「はらぺこあおむし」など、絵本といえば「子どもに向けた安心して読めるもの」という言葉が当てはまる。 これらがメインカルチャーだとしたら、エドワード・ゴーリーは完全にサブカルチャーだ。完全に次のステージに行ってしまった絵本作家である。その作品はそれまでの「絵本」のテーマとはまったく違うものであり、世間的には「大人が読む絵本」と書かれること

日本文学史を年表でまとめ!作家・代表作で一気に振り返る【奈良時代から平成まで】

文学というでっかいカルチャー領域を理解するために、いったん日本の文学の歴史を年表でデータベース化したらわかりやすいかも! と気づいたので、時代ごとに代表作家と代表作品をざっくり書いていきます。ちなみに今後、いろんな記事を更新するなかで、このざっくり文学史年表をアップデートしていく予定です。 では!いざ歴史が長くてややこしい日本文学史を奈良時代から平成まで、代表作品と代表作家を見ていきましょう。 奈良時代の日本文学奈良時代の代表的な作家・ディレクター ・太安万侶 ・額田王

【自己紹介】私がnoteでやっていること・やらないと決めていること

突然ですが、フォロワーさんからこんなメールが届きました。(送信先は伏せますが、ご本人さまにちゃんと了承をいただいてます〜!) 月に数件ほど、法人だけじゃなくて個人の方からもメールとかTwitterのDMとかをいただけるのですが、正直めちゃんこ嬉しいです。はしゃいでます。勝手に友だちと思ってます。懇切丁寧にお返事させていただきますので、お気軽にどしどしください。 話を戻そう。私「カルチャーを知ると、もっと作品がおもしろくなる」をコンセプトに記事を書いとりますが、そもそも「こ

横光利一の蠅を徹底考察! あらすじや新感覚派の特徴など

横光利一といえば、1920年代の日本文学における超重要人物だ。新感覚派の中心となったその作品はまさに「横光節」といえるほど特徴的なものだが、なかでも「蠅」は横光利一感MAXの、かなり特殊な作品である。 「蠅」を最初に読んだとき私は高校生3年か大学1年くらいだったが、その衝撃は今でも忘れない。「なんじゃこのオチ!」と叫びながらひっくり返って机のヘリに後頭部を強打し永眠しかけた。そして気づけば、まるで誰かに命令されたかのように図書館で横光利一全集を読み始めた覚えがある。 その

サブカルチャーとは? 日本と海外の意味の違いを事例で簡単に解説【アニメ・マンガなど】

前回の記事で「カルチャーとは」について「メインカルチャー・サブカルチャー・ハイカルチャー・カウンターカルチャー」に分かれまっせ!」ということを、そこそこちゃんと説明した。 しかし、実はすごく大事なことが抜け落ちているんです。土下寝しつつ白状します。この4つのカルチャーのなかでも「サブカルチャー」に関してはちょっとややこしいのだ。 この部分はそもそも人種的な背景もあるし、日本で使う際は少し違う意味になったりする。ちなみに私のマガジンは「日本でいうサブカル」ですので悪しからず