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ジュウ・ショのサブカル文学マガジン

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文学についてサブカルチャー的な視点から紹介・解説。 学術書とか解説本みたいに小難しくなく、 極めてやさしく、おもしろく、深ーく書きまーす。
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#エッセイ

金子みすゞとは|日常に想像力を足して誰も見たことない世界を書いた詩人

東日本大震災が起きて民放のCMが流れなくなったとき、金子みすゞの「こだまでしょうか」が流れたのは記憶に新しいところだ。 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「もう遊ばない」っていう。 そして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 相手にかける言葉は自分に返ってくる。思いやりの大切さをいったこの詩は、優しさが溢れていて

芥川龍之介とは|人間のエゴを描き「答えのない難題」を書いた作家

芥川龍之介の作品は、たぶん日本国民の80%くらいが読んだはずだ。「羅生門」は高校の教科書の常連ですよね。福田雄一監督の作品における佐藤二朗くらい毎年出てくる。 男が死人の髪を売ろうとする婆さんを見つけ、服を剥ぎ取り逃げていくシーンに衝撃を受けた人も多かろう。「イカれた婆さんだ。服をパクられても仕方ないだろ」と感じた方もいると思う。しかし一方で「ちょ、婆さんかわいそうじゃね? お腹減ってんだから仕方ないよ」と思った人も多かろう。 芥川龍之介(特に初期)という人は、こうした「

萩原朔太郎とは|日本近代詩を作り上げた「ザ・才能」の一生

文豪ストレイドッグス、文豪とアルケミストなど、文豪をモチーフにしたアニメ作品はいくつもある。そして当時の文壇は男性がほとんどであり、こうした作品はほとんど801向けになり、池袋で薄い本が出て……という運命を辿る。 まさか彼らも、死後にここまで男色化されると思わなかっただろう。これらの作品をきっかけに近・現代文学に興味を持った人も多いと思う。すごく良い試みである。 なかでも文学者を登場させたコミカライズとして私がお勧めしたいのが、清家雪子さんの「月に吠えらんねえ」。タイトル

樋口一葉とは|「奇跡の14カ月」で女流作家の道をひらいた天才

樋口一葉という作家には、いまだに熱狂的なファンが多いと思う。女流文学者の最初期に活躍した作家であり、その波瀾万丈な24年の人生には感動すら覚える。まさに「駆け抜けた」という言葉がぴったりとハマる作家です。 彼女は女流アーティストとしてのカルチャーを生み出した、ともいわれる。松任谷由実や椎名林檎への影響を語る書籍もあるくらいだ。椎名林檎に関しては歌詞にちょいちょい出てくる花魁言葉、また東京事変のキーボードに「伊澤一葉」と名付けるくらいには影響を受けているだろう。 今回はそん

二葉亭四迷の「浮雲」とは|あらすじ・言文一致体の意味をわかりやすく解説

日本文学の歴史において、坪内逍遥の「小説神髄」が革命的な役目を果たしたことは以前に紹介しました。この評論がきっかけで日本文学は「勧善懲悪の江戸戯作」から「日常を舞台に人間の心理描写をリアルに描くもの」に変化していくわけだ。 しかしこの評論をもとに坪内逍遥自身が書いた「当世書生気質」という作品は盛大にすべり散らかすわけです。「江戸戯作なんてもう終わりにしよう!」といった坪内自身が、まだ若干江戸戯作のテイストを引きずっていたのだ。 そのことを指摘したのが二葉亭四迷だ。そして「

坪内逍遥とは|戯作・歌舞伎など日本文化を変えた革命家【小説神髄の解説】

江戸時代の「南総里見八犬伝」やら「東海道中膝栗毛」などの作品に「なんとなく昔の古い作品」というイメージを持ってしまうのは私だけだろうか。それに対して明治期の「浮雲」やら「たけくらべ」などの作品は「距離が近くて親しみやすい雰囲気」を感じる。 このイメージは「坪内逍遥が作り上げた」といってもいい。さらにいうと、いまの小説、演劇の多くは坪内逍遥なくしては生まれなかったともいえる。 彼は日本文学史において、明確に区切りをつけた人物なのである。 今回はそんな日本文学史の大スター・

夢野久作について|47年の生涯やドグラ・マグラの解説など

夢野久作は間違いなく日本サブカル文学界のトップに君臨する小説家だ。というのも、彼の作品はもちろん万人受けしない。そして「マイノリティである」ということこそ、文学ファンはもちろん、アングラ好きに好かれる理由にもなっている。 しかし多くの人が「ドグラ・マグラは読んだけど夢野久作がなんでこんなに評価されるのかは知らんなぁ」と思っているだろう。サブカル・アングラ好きのなかでも、ドグラ・マグラから夢野久作にハマるのは全体の1割くらいだと踏んでいる。9割は最初の5ページくらいで「いやい

エドワード・ゴーリーの絵本を紹介! 不幸な子供、うろんな客など

「絵本」にどんなイメージを持つだろう。かわいい、健全なもの、教育的……どれも正解でしょう。 レオ・レオニの「スイミー」やエリック・カールの「はらぺこあおむし」など、絵本といえば「子どもに向けた安心して読めるもの」という言葉が当てはまる。 これらがメインカルチャーだとしたら、エドワード・ゴーリーは完全にサブカルチャーだ。完全に次のステージに行ってしまった絵本作家である。その作品はそれまでの「絵本」のテーマとはまったく違うものであり、世間的には「大人が読む絵本」と書かれること

日本文学史を年表でまとめ!作家・代表作で一気に振り返る【奈良時代から平成まで】

文学というでっかいカルチャー領域を理解するために、いったん日本の文学の歴史を年表でデータベース化したらわかりやすいかも! と気づいたので、時代ごとに代表作家と代表作品をざっくり書いていきます。ちなみに今後、いろんな記事を更新するなかで、このざっくり文学史年表をアップデートしていく予定です。 では!いざ歴史が長くてややこしい日本文学史を奈良時代から平成まで、代表作品と代表作家を見ていきましょう。 奈良時代の日本文学奈良時代の代表的な作家・ディレクター ・太安万侶 ・額田王

【自己紹介】私がnoteでやっていること・やらないと決めていること

突然ですが、フォロワーさんからこんなメールが届きました。(送信先は伏せますが、ご本人さまにちゃんと了承をいただいてます〜!) 月に数件ほど、法人だけじゃなくて個人の方からもメールとかTwitterのDMとかをいただけるのですが、正直めちゃんこ嬉しいです。はしゃいでます。勝手に友だちと思ってます。懇切丁寧にお返事させていただきますので、お気軽にどしどしください。 話を戻そう。私「カルチャーを知ると、もっと作品がおもしろくなる」をコンセプトに記事を書いとりますが、そもそも「こ

新感覚派とは? 前後の流れ、代表作家などを分かりやすく説明!

さて、昨日、横光利一の「蠅」について紹介しました。この作品を語るうえで簡単に新感覚派についても触れています。 個人的には「蠅」という作品というより、この新感覚派という野心に溢れた攻めっ攻めの表現者集団が好き(なかでも横光は太陽神)だったりする。今回は新感覚派全体について紹介をします。 新感覚派はリアリズムに反発して起こったコミュニティ 新感覚派以前の日本の文学を語るうえで、1880年代ので産業革命は外せない。これ以後、大量生産・大量消費の時代になり、日本では「一品一品て

横光利一の蠅を徹底考察! あらすじや新感覚派の特徴など

横光利一といえば、1920年代の日本文学における超重要人物だ。新感覚派の中心となったその作品はまさに「横光節」といえるほど特徴的なものだが、なかでも「蠅」は横光利一感MAXの、かなり特殊な作品である。 「蠅」を最初に読んだとき私は高校生3年か大学1年くらいだったが、その衝撃は今でも忘れない。「なんじゃこのオチ!」と叫びながらひっくり返って机のヘリに後頭部を強打し永眠しかけた。そして気づけば、まるで誰かに命令されたかのように図書館で横光利一全集を読み始めた覚えがある。 その

サブカルチャーとは? 日本と海外の意味の違いを事例で簡単に解説【アニメ・マンガなど】

前回の記事で「カルチャーとは」について「メインカルチャー・サブカルチャー・ハイカルチャー・カウンターカルチャー」に分かれまっせ!」ということを、そこそこちゃんと説明した。 しかし、実はすごく大事なことが抜け落ちているんです。土下寝しつつ白状します。この4つのカルチャーのなかでも「サブカルチャー」に関してはちょっとややこしいのだ。 この部分はそもそも人種的な背景もあるし、日本で使う際は少し違う意味になったりする。ちなみに私のマガジンは「日本でいうサブカル」ですので悪しからず

カルチャーとは?メイン・ハイ・サブ・カウンターの4つの意味を事例で紹介

さてさて、私は「サブカルマガジン」と銘打って、マンガ・アニメ・映画・音楽・映画・美術などなどについて日々記事を更新しています。 ただ「そもそもカルチャーってなに?」という前提を書いておかないと、このマガジンがなんのこっちゃ分からない。いやこれホント全力で自省の念が爆発したわけでございます。今年はマジで毎日、記事を更新していく姿勢ですので、ここでバァーンとはじめての方に向けて、カルチャーの概要について大紹介します。 そもそも文化(カルチャー)には4種類あるまず「カルチャー」