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#KuTooと青鞜の声明文を比較してみたら、そもそもコンテンツの質がめちゃ違った

昨日に「青鞜」にまつわる本を買って読んだ。これがおもしろくて、なんだ青鞜の創刊メンバーって、すごく今っぽいな、と思った次第である。

フェミニストが増えているのは素晴らしいこと。女性は(多くの場合)筋肉の強度でいうと男性より劣るわけで、より大事にすべき存在だからだ。私は以前、建築の仕事をしたことがあり、ガラスは慎重に扱い、鉄板はぞんざいに運んだ。それと同じである。今でもセクシャルハラスメントは確実に女性被害のほうが多い。

数年前のMeToo騒ぎから「みんな声上げろ!もっと女性が生きやすい世界へ!」と騒ぎ立てる女性が爆増した。絶対に言うべきだ。MeTooは本当に素晴らしい動きだと思うし、それで失脚した男性たちはやはりコミュニケーションが下手なのだろう。相手が嫌がる境界線を知らんわけだ。

ただついにはKuTooという「ハイヒール履きたくない!革靴かスニーカーでいさせろ!」というMeTooと靴と苦痛をかけた、まさかのダジャレ運動まで起きたのは甚だ疑問である。

KuTooというネーミングを発見したのが誰かは知らんけど「あっ!KuTooっていいじゃん!MeTooにもかかってるし、靴と苦痛でクートゥー! 全部かかってんじゃん!あたし天才かよ」とか思ったんだろうか。アホなんか。真剣にやれよ。ボケる余裕を感じさせるなよ。フリースタイルダンジョンでやれよ……とまぁ、このフェミニスト運動には違和感を覚えるわけだ。

と思っていたらさっきAERAで石川さんのこんな記事が上がっていた。

「自分と同じ思いをする人をこれ以上出したくないと思っていましたが、木村さんの死を受けて、『被害者が出てしまった』と感じました」

いやどうした。誰だよお前。完全な部外者が勝手に被害者面してんじゃねぇよ。と、言いたくなる一文だ。この後、つらつらと「あたしかわいそうです」発言が流れていくわけだが、終始「いやだから誰だよお前」なのである。「まさか木村さんに託けて取材料もらってるんじゃねぇだろうな」なのである。まぁさすがにもらっていないはずだが……。

話を戻そう。ただし肉体的なか弱さがあるからか、女性は長らく虐げられてきたのも確かだ。家文化が強いころは「一番風呂は父」みたいなアホ制約もあったし、社会でも女性のほうが賃金が少ない場面はあった。

ただ、たぶん「パンプス以外も履きたい!」ってのは少し違うと思う。そもそもMeTooはマクロの運動だったから共感できるのだが、KuTooみたいなミクロの運動は「もう各々で解決して〜」って思っちゃうのだ。なんなら革靴を強制されている男性営業マンもいるだろう。靴擦れするけど我慢して履いているよ。

私の知り合いの女性ライターは「ヒールとか履きたくない」という理由でライターになったらしい。人を変えるより先に自分が変わる姿勢が、かっこいいよね。私もスーツ着て仕事するのが嫌だから、営業はやらない。これは肉体ではなく精神的な話なので男女関係ないわけだ……と思ってクラウドファンディングの声明文を見ると、これがまぁ恥ずかしいものだった。そういえば教祖の石川優美さんは、ライターを名乗っているそうだが、これで執筆料もらっているのなら、もう地獄である。

職場でのパンプス・ヒールのある靴の着用の強制。
辛い思いをしている女性は少なくないのではないでしょうか?
私は今、葬儀の案内のアルバイトをしています。就業ルールとして、ヒールのあるパンプスを履くように定められています。
ある日、男性社員の靴を揃えた時にふと思いました。
「私もこの靴だったらもっと仕事の負担が減るのになぁ・・・」
ツイッターで何気なくそのことを呟いたところ、たくさんのいいねとリツイートがされました。
そしてさらに、「#KuToo」というハッシュタグが生まれました。
「#KuToo」とは、「靴(くつ)」・「苦痛(くつう)」・「#MeToo(みーとぅ)」を合わせて、センスの良い同じ思いを持った方が作ってくださったものです。(後略)

なんだこの書き出し。「職場での革靴の強制。辛い思いをしている男性の方は少なくないのではないでしょうか(後略)」でも十分通じるだろ、これ。「ある日男性社員の〜」あたりで女性の健気さをわざとらしく演出しているのも恥ずかしい。「たくさんのいいねがありました」とかもう「私は1人では行動できないに人間です」と自称しているに近いレベル。あとサムネ画像がパンプスを履いている女性のもので、ジャーナリズムばりばり感じるんだが、これでは解決しない。むしろ呪いを深めるだけだ。革靴やスニーカーなど、改善された後の写真にしないと、好転するイメージは見えない。

あと男性の社員だって雑用を任されることは往々にしてあるぞ。そこにジェンダーの不平等はないぞ。それは男女問わず、人としての精神的な強さなので、もう各々で解決して〜! **大人なんだから。長いこと騒いで資金集めるより、もっと寛容な令和っぽい会社に転職してくれ。ちなみにこの後には「イギリスとかもっと女性に優しいよ!」とか「同じ職場なのに性別によって許される服装が違うこと、健康に害があるのにマナーを優先させることが問題の根底!」とか言っているが、その問題がなぜ起きているのかには言及されていない。言って~。そこがボトルネックだから~!なんだこのライタ~!**

というジョイマン発言も令和の今だからいえることだ。昭和初期だったら、男女感の不平等はもっと濃かった。

当時のフェミニストといって真っ先に思い出すのは、お察しの通り平塚らいてうだ。ブルーストッキングからヒントを得た「青鞜」という女性のための文芸誌を作り、ペンで社会と戦った。まるで令和からタイムスリップしたような、かっこいい女性である。青鞜には高村智恵子や伊藤野枝、与謝野晶子などの女流作家が並ぶ。彼女らの文を読めば分かる。なんと凛としてかっこいい女性たちだろう。

と思うのには理由があって、基本的に青鞜は「男性に屈しない!」という運動で「みんなたいへんだよねぇ!ねぇ!みんなで声出していこう〜!」ではない。「男女間の差異なんて本来ないはずだ。私らは知性がある。それは男性に劣るわけではない」と言っているのだ。運動がエスカレートするごとに「男だからってよぉ〜!てめぇら子どもも産めねぇくせによぉ〜」みたいな言動もちらほら出てきたKuTooとは違うし「みんなで声出そう〜!ワンツーワンツー!」みたいに新興宗教化したMeTooとも違う。

そこが青鞜の説得力があって、尊敬できるところだ。ゴールのない馴れ合いじゃない。きちんと問題が起きている背景を書き、きちんと指摘をしている。かの有名な声明文を読むとよくわかる。なにせ文章から気迫が伝わるもの。

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。そして私は少しも恐れない。(後略)

この後は元始、女性が太陽であった理由を渾々と書くことで、現状に鋭く切り込んでいく。ニーチェの文章なども例示し、しっかりと理論武装も構築している。まごうことなき名文である。もはやフェミニストというのも失礼なほどの、雄々しい文章は16ページにわたって続くのだ。

……と、書くと「そんなん言わなくてもわかるじゃん!これだから男は」と言われそうだが、男に問うのだから、男に分かるようにコンテンツを作るべきなのだ。ただ「男はもっと協力せえよ」というのはコミュニケーションではなくヒステリーなのである。ここに平塚らいてうの知性、つまり「青鞜(ブルーストッキング)」の強さがある。とにかく賢くてかっこいい方だ。

令和の今「フォロワーズ」が流行っているみたいだ。いやはやNetflixは良い仕事をした。女性が輝ける時代は、実はもう来ている。これからは「男よ自覚しろ!」と言えば言うほど、コンプレックスに苛まれた"弱い女性"と思われる。良い時代なのだから、もう汚い言葉なんて吐かずに、存分に謳歌しようではないか。

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