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『一千一秒物語』を徹底解説! 稲垣足穂自身が「代表作」とした作品

私が折にふれてつづってきたのは、すべてこの作品の解説にほかならない

稲垣足穂が「一千一秒物語」について宣言した言葉である。足穂の生涯や作品解説については前に書いた以下の記事をどうぞ。

いちょっともうこれ、やはり名作すぎる。デビュー作こそ至高。と宣言することってものすごく勇気のいる行為だと思うんですけど、この作品だったら確かに胸を張れるな、と思った。

昨晩に読みながら眠ったんですけど、どうしても語り足りず、今回は『一千一秒物語』について、背景や影響を与えた作品なども加えながら解説しようと思う。

一千一秒物語というタイトルについて

一千一秒物語は1923年に発刊された。当時は稲垣足穂ではなく「イナガキタルホ」名義だった。はじめは「タルホと月」「タルホと星」という名前で、佐藤春夫に200もの短編を送ったのが原型である。この作品を機に、稲垣足穂は上京して大量の門下生を持つことで有名だった佐藤春夫に弟子入りする。

では、なぜ一千一秒物語となったのか、というとそれは稲垣足穂が佐藤春夫の未完作品の仮題からパクったらしい。仰々しいタイトルにしてはやけにあっさりとした理由だ。

ただしその発想の原点にはロードダンセイニの「51話集」があるとされている。一千一秒物語と多少似通っているのは確かだ。


また原題を考えた佐藤春夫自身が「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」を一冊のシガレットに閉じ込めた」とも書いていることからやはり、千夜一夜物語との関係性は深い。

千夜一夜物語と一千一秒物語との関連性

これについては稲垣足穂フリークとして知られ、中央に穴が空いている珍書「人間人形時代」の編集者でもある、松岡正剛氏もコラム中で言及している。

一千一秒物語中の話は月や星など天体が登場することもあり、ほぼ(全部かも)夜の時間の話だ。千夜一夜の「夜」はどちらかというと「日」の意味での単語だが、やはり千夜一夜物語と一千一秒物語との関連性も想起させるファクターになっている。

一千一秒物語は「人と天体との出会い」を描いたシュルレアリスム詩

一千一秒物語は「物語」とあるが、足穂自身がたしかに「詩」と明言している。そして「詩とは着想外のもの同士の連結」という言葉を信じていた。この言葉はダダ・シュルレアリストの西脇順三郎氏の言葉であり、まさにダダイズムの原理である「合理性を捨てること」を意味している。

そのなかで足穂は「人間×天体」こそがまさに着想外の2つであることを想定した。これは足穂がもともと飛行機乗りを目指していたことも関係しているだろう。彼は飛びたかったのだ。

だから一千一秒物語では人間と天体のコミュニケーションや、擬人化された天体が多く登場する。これは(意識を通してこそいるが)シュルレアリスムを原型とした作品だといえる。

一千一秒物語あらすじ……ってその難解な質問には答えられない

一千一秒物語のあらすじ、といわれても詩なので、書くのは難しい。今作は50ページ弱に70篇もの短編作が詰め込められている、おもちゃ箱のような作品だからだ。プロットが存在するわけではない、1話完結型の詩なので、短いものだと2、3行しかない話が連続で書かれている。

一千一秒物語のあらすじは「星を盗んで怒られたり、月と追いかけっこをしたりする」と書くしかない。

特徴としては、これも当時アメリカで流行っていたスラップスティック・コメディだ。非常にユーモラスであり、先述した松岡正剛氏は同作について「ハイパー・コント」と言っている。

確かに、とても軽快で笑える作品の連続であるので「喜劇」という言葉はしっくりくる。夜、天体と人が戯れたり、ときには命の危機を感じたりする様を、面白おかしく描いた作品だ。

また、コント師が原案を書く際に、よくバラバラなワードを偶然的に2つつなげて発想することがある。そういう意味でも人×天体という着想外の2単語をつなげて作った今作は、立派なコントだともいえるだろう。

一千一秒物語はあなたに未体験の感動を与える作品

と、ここまでつらつらと一千一秒物語の素晴らしさや特徴を述べてきたが、結局のところ私が何より一千一秒物語について思うのは、やはりその独自性と不条理性だ。ダダ・シュルレアリスムに付随する不条理さ、そして天体と人間の戯れをあたかも当然のように書き上げるおしゃれさ。まさに洒落(ジョーク)なのである。それでいて本人は異様なほど真剣にこのおかしな世界観を構築している。

それでいて「物語」と名がついているのにもかかわらず、詩的であり、散文でもある。この不確かで曖昧な感覚、しかしユーモアあふれる筆致は未だかつてなかったし、私が知る限りこの後にも登場していない。もし登場しても稲垣足穂の二番煎じだといわれかねない。それほどまでのオリジナリティが今作にはある。

特にデータを取れる現代は、論理的に「売れる本」を作りやすくなった。それはつまり物語の想像がつきやすくなったともいえる。決して売れることを否定しているわけではない。ただ、こうした世の中において、一千一秒物語のような突然変異のような作品を読めるのは、とても幸福だといえるだろう。

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