中空日記 東京高井戸

「俺の人生のテーマは『調和』なんだよね……」
何事もさくさくとスマートにこなす先輩と仕事をしている。時に彼の車に乗せてもらって、一緒に進行中の現場にいったりする。わたしには車の良し悪しは分からないがどうみても高そうな海外産の骨太な車。その助手席に座って、企業の話や業界の動き、今どきの思想のこととか、今進めている仕事の話なんかをする。
色々な人を乗せて走るから、ときに前にも聞いた話が繰り返されたりしている。繰り返すのはいい。繰り返しそう話すことが彼の仕事でもあり、相手によってまた見えてくるビジョンも違ってくるだろう。

冒頭の言葉はそうした流れのなかで出てきたのだけれど、あれ、歩いていたらふと出てきた。
流れのなかで聞いているときは自然だったのだけど、文字にすると何かすごい神秘な感じがしてしまう。けれども彼はある種実業家としてそんな動きをしようとしているし、大体彼の周りには調和の種がまかれているような気がする。そうやって調和が芽生えていったら、実際に世の中も過ごしやすくなりそうだ。家庭も円満で週末はパパをする彼は雄弁で、そんな説得力に満ちている。

だけれどふと思うことには、あなたが調和を目指すなら、わたしは破壊を目指したい。あなたの調和を破壊したいのではなく、わたしはわたしの破壊をしてみたいと思うのです。破壊したらまた調和もするし、調和をしたら破壊が待っている。わたしはどちらかというとそうだ。

あなたが破壊を目指すなら、わたしは調和を目指したい、というわけでもないだろう。だけど一緒に破壊をしたいわけでもない。じゃあ何か。見ているだけでいいんじゃないか。
それか逃げてわたしはわたしの破壊をしたい。
あるいは、調和をしたい……? その前にすることがあるような気もする。調和なんて、人はするのか。

とある身近な僻地から高井戸へいく道すがらでそう思ったのだけど、思ったことをいま考えたらこのような思いがあったと考えられた。
しかしこの世は億劫で、ことばの意味ばかり求められる。ところが意味なんてそうなくて、あの、声は伝わらない。
滑舌が悪いから。


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