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彼女のオートバイ


彼女がオートバイの免許を取ったのは19歳だった。
高校を出て自動車部品会社に就職した彼女は営業部に事務員として配属された。
当然というべきか会社には車いじりが好きな人が多くて、草レースに出ている人たちに誘われてサーキットに行ったりもしたが、彼女に刺さったのはなぜかオートバイだった。

やがて彼女は2輪の教習所に通い始めた。当時女性がオートバイ免許といえばまず小型自動2輪免許からステップアップすることをを勧められることが多く、彼女も小型自動二輪の免許を取得した。
「小型で練習してから中免とるから」とは彼女らしい選択だと思った。
小型のオートバイといえば、まだそれほど種類もなく、足がつかないオフ車以外では乗りにくい2ストのレーサーレプリカぐらいしか選択肢がなかったが、彼女にとってはそれでよかった。

それから彼女は白と水色と赤の見るからに安い革ツナギとブーツを買い込んで、ツーリングに出かけるようになった。
あるときは小田原のかまぼこを土産に帰ってきた。
「ずっとダンプの後ろ走っててさ。」
彼女のツナギは排ガスのせいなのか、それとも元からチープなせいなのか、少しくすんで見えたが満面の笑みだった。
冬でも花火を売っていると聞いて軽井沢へも行った。
「雪があったら引き返そうと思ったけど行けた。寒くて死ぬかと思ったけど。」
ペラペラのツナギは相当寒かったろうが、やはり笑顔だった。

その後結婚、子育てでオートバイからは遠ざかっていたが、パート先のトラックドライバー達がハーレー軍団だったことでまた彼女のエンジンに火がついた。
彼らの勧めもあって普通免許へ限定解除し、さらに大型免許も取得した。大型バイクはモーターサイクルショウで一目惚れしたスクランブラーだった。子供も大きくなり、家に旦那と子供を置いて仲間とツーリングやソロキャンプ、一人で数日かけて東北を回ったりもした。そのたびに目をキラキラさせて土産話を語ってくれた。

「音はホント最高なのよ。でもやっぱ重いのよね。」
そう言って彼女は14年で10万キロ少々を共にしたスクランブラーを手放した。次の愛車は最終型のセローだった。
「もう夢のように軽くて最高。」なんだそうだ。
「お前も好きだねぇ。」と言うと「だって私、あの父さんの娘だから。」
そう言うと妹は目尻にシワを寄せて笑った。

#バイク #オートバイ

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