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神社(ポケモン)が落ち着く理由

それは、そこが神の社だから。
そういったイメージが具現化された場所だからです。

実際に神様が宿っているというよりも、古来より人々の生活、心の支えになってきた神がその場所に宿っているというイメージ、その様式美が人々に認知されているからに他なりません。

二礼二拍手一礼という作法も、その様式美の一つと言い換えることができます。

それをしないと祈りは通じないのか?それさえすれば必ず祈りは通じるのか?

答えは、人それぞれです。

その人の宗教観、信仰心によるところが大きいもの。
というのが大人としての模範解答なのかもしれません。

しかし、つい神様にお祈りしたくなる願望と、そんな人の脆さを優しく包み込む空間がそこにあるという事実は揺るぎないものでしょう。

現実社会ではなかなか吐き出すことのできない人の想い、そういった行き場のない感情を神の名の元に預かる神社。

それは同時に、為政者の業と共に、そんな社会的役割、国家運営上の機能を今でも担っているという証左でもあります。

そしてそれらの役割、機能の有効性は伝統や格式によって担保されている。

だから人々は神社という存在に大きな価値、安心を感じるのかもしれません。

また、神社という存在ほど、人の欲、本能に近い場所はないかもしれません。
それは言い換えると、誰もが素直になれる場所、本心をさらけ出せる場所。

だから人は神社に安らぎを感じるのです。

それは他の宗教、ずっと人の心に寄り添ってきた歴史的な概念も同様。

それが具体化したものとして物理空間にあるなら尚の事、人は自然にその存在を受け入れられるのかもしれません。

そして

今はポケットの中の怪獣がスマホ越しに好き放題、あらゆる場所を駆け回る時代。

テクノロジーの進化はあっという間にキャラクターを神化させてしまいました。

そして正当に本来のショバ代、賃料を請求しようにも、相手は物理空間に存在してないからさあ困ったもの。

スマホの中で、モンスター達も一緒にお賽銭や二礼二拍手一礼をしているなら、話は全然違ってくるんでしょうけど。笑

あなたの心の余裕に感謝❤