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歴史の「岩戸開き」(2)~女性の神性の復活

縄文の日本人は自然と人間の境界がなく一体のものとして認識していたのではないかということはお話しました。

ペンキ画家のSHOGENさんがアフリカのブンジュ村の村長さんから教えてもらった話によれば、縄文の日本人は自然の空や土、動物や植物、そして虫たちとも、日本語を通して、まるで人と話すかのように会話できていたそうです。

歴史考察系youtuberのTOLAND VLOGさんが紹介する『日月神示』によれば、「ミロクの世」は「半霊半物質」の世界となるそうです。また、別の表現では物質文明は「体主霊従」であったのに対し、「ミロクの世」は「霊主体従」となるようです。

「半霊半物質」「霊主体従」の世界とはどのような世界であるのかということですが、私個人としては自然の声を人が話しているかのように聞き取ることができ、自然の神々や精霊、妖精さんを誰でも普通に視ることができるようになると思っています。

妖精と言えば、絵本作家のぶみさんは妖精さんを視ることができるそうで、とても可愛らしくて綺麗な姿をしているとのことです。次回作は妖精さんをテーマにした絵本を出す予定とのことです。

前回、歴史の「岩戸開き」の鍵を握るのは「日本人」であるとお話しましたが、日本人の中でも特に「女性」がその鍵を握っていると思っています。

なぜそのように思うのかと言うと、ふたたびペンキ画家のSHOGENさんのお話に戻るのですが、縄文の日本人は女性を象(かたど)った土器をたくさん作っていたとのことです。

ブンジュ村の村長さんによれば、例えば私たちが「火焔式土器」として知っている土器も女性を象ったものであり、女性の周りを火の形をした男性が守っている象(かたち)とのことです。

「火焔式土器」だけでなく、「遮光器土偶」や「縄文のビーナス」なども女性を象ったものであることは、その造形から想像することができます。

このように女性を象った土器や土偶がたくさん造られたということは、女性を神様に近い存在、もしくは神様そのものとして敬っていたのではないかと思っています。

そこで思い出すのは、ブンジュ村の村長さんのお話で「女性の声は癒しの力がある」とお話されていて、「もしも、日本語を話す日本女性の井戸端会議の中にいたら、どれほど癒されることであろうか」と村長さんは大変あこがれておられたそうです。このことからも女性には男性には無い「神性」あるいは「神力」が備わっていると言えます。

そのようなことを考えた時に、これまでの歴史において岩戸の奥に閉じ込められて来たのは「女性の神性」であったのではないかと思うのです。

いま男性原理と女性原理の二元を考えてみた時に、これまでの物質文明は男性原理が主導してきた文明であったと言えます。そして物質文明において影の存在となってきたのが女性であったのではないかと思っております。中国の陰陽思想においても陽が男性、陰が女性とされています。

ところが縄文の日本人においては女性は影の存在ではまったくなく、人々の賛美と崇敬の中心に座していたのだと思います。だからこそ女性を象った土器や土偶を造って敬っていたのではないでしょうか。

なお女性を象った縄文時代の土偶は体の一部が破損していることが多く、何らかの呪術的な役割を果たしていたのではないかと考えられておりますが、これも女性が「神力」「霊力」を宿していると考えられていたことの証左となるのではないでしょうか。

近年、女性の社会進出や人権の問題がたびたび話題となりますが、物質文明が限界を迎えつつある今、かつて縄文の日本がそうであったように、女性こそ社会の中心であり、女性の神性の復活こそが「ミロクの世」を開く重要な鍵となっていると考えております。

頓首謹言


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