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近現代史の通説を覆す超一級史料「周蔵手記」(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む)

前回の続きとなります。
今回あらためて白頭狸先生の旧著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を拝読しましたが、その内容は新著『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』と一対となっており、白頭狸先生の洞察史観流に申せば、いわば新著と旧著は「対発生」を成すものであると感じました。

新著の特徴は「甘粕事件」に焦点を当てて、そこから展開される白頭狸先生の洞察の過程を詳細に綴った、いわば白頭狸先生の「洞察術」を追体験できる内容であるのに対し、旧著の特徴は「京都皇統と東京皇室の極秘関係」の情報公開および解説と併行して白頭狸先生が歴史研究をはじめられてから、どのような道筋を経て「國體史観」を体系化するに至ったのかの事績──紀州徳川家所蔵の奉天古陶磁に関わることとなった経緯から、佐伯祐三絵画の真贋論争、吉薗周蔵手記との出会い、國體秘史の伝授のはじまりなど──が時系列を追って解説されており、いわば「洞察史観の歴史」を知ることのできる内容となっております。

以前、note記事において白頭狸先生の洞察術は黄金螺旋の如き思考軌道を描くと申しましたが、人が美を感じる比率とされる黄金比を体現する黄金螺旋は、数学的曲線の中でもひときわ美しい曲線であると感じており、それとまったく同じ感動を白頭狸先生の洞察術に観じております。
黄金螺旋の軌道に竟(おわ)りが無いように、白頭狸先生の洞察術にも竟りがなく、探究し続けることに洞察術の妙義があると存じますが、白頭狸先生の言説に触れ、「國體史観」を学ぶことで、歴史を洞察するとはいかなることであるのかを感得し、歴史を洞察する眼すなわち「史眼」をおのずと養うことができると考えております。
同時に、黄金螺旋を物理的に考えれば、無限に軌道を描き続けるためには、その軌道を維持し続けるための強靭な中心力が必要であり、その中心力は人の営みにおいては精神力であり、白頭狸先生の洞察術の中心には、偽史を正し真実を究めんとする白頭狸先生の強靭不断な精神力が存することも申し上げておきたいところです。

前回、旧著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』は、白頭狸先生の「國體史観」を学ぶために最適な一書としてご紹介しましたが、その理由の一つとして挙げられるのは「特記事項」の存在です。
本書には白頭狸先生の「國體史観」を初めて知る読者に向けて、「國體史観」でたびたび登場する固有名詞について「特記事項」を設けて簡明に解説してくださっています。
いくつか列挙しますと「吉薗周蔵」「京都天皇と國體天皇」「欠史八代説と九代架空説」「乙巳の変の真相」などが要点を絞って解説されており、「國體史観」を理解する上で助けとなる基礎知識を得ることができます。

本書は全12章で構成されておりまして、本書をご紹介するにあたり、章を追って概要をお話していこうと思います。

第1章 新文書の発見

「新文書」とは、本書執筆のきっかけとなった新たに発見された吉薗周蔵が遺した「周蔵手記」の別紙記載のことで、京都皇統の系譜の一部を明らかとする内容となっております。

吉薗周蔵(1894~1964年)は、大正元年(1912年)に当時の陸軍大臣であった上原勇作中将より「草」(個人付特務)となることを命じられ、以来、日本国家の裏側で極秘任務を遂行した陸軍特務です。「草」となることを決意した瞬間から、己を捨てて、表の社会からは姿を消すこととなったわけですが、以来自身の活動記録としてしたためることとなった自筆の手記である「周蔵手記」は、現代歴史教育における通史を容易に覆す驚くべき超一級史料として遺されることとなりました。

とは言え、他に読ませることを目的とした手記ではないため、その解読は難作業で、白頭狸先生の他の著書によれば、白頭狸先生の他にも幾人かの新進気鋭の歴史学者が解読に挑んだとのことですが、専門知識以外にも当時の社会情勢や風俗、諸事雑学にも広く通じていなければならず、誰もが太刀打ちできず匙を投げてしまったところを、白頭狸先生だけがひとり「周蔵手記」を解読することに成功され、はじめて「周蔵手記」の持つ歴史的価値が見出されることとなったのです。

今回発見された「周蔵手記」の別紙記載は大きく分けると二つの内容となっており、
1.山村御殿における出来事
2.和歌山市の紀州徳川家での出来事
についてのこととなります。
と、またもや長くなりましたので次回に続きます。

(白頭狸先生のnote記事より転載)


頓首謹言









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