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差別だハラスメントだと叫び過ぎ〜差別についての論考(2)

禁止して、違反者を糾弾する。
それだけで、世の中の諸問題を解決できると思い込んでいる、一部の所謂活動家諸兄諸姉。
理想、理念ばかりが先行し、世の中の現実が全く見えていない。

禁止しても、あいにく大抵のモノゴトは無くならない。

殺人、窃盗、詐欺、脅迫。
ハラスメント、ストーカー。
売春、密売、裏取引。
イジメ、戦争、核兵器。
差別、偏見、村八分。

禁止しても無くならない。

そればかりか、禁止することで、却って人びとに反感を抱かせてしまうモノゴトだってあるかもしれない。

差別・ハラスメントの禁止。
何を差別・ハラスメントとするか、その定義は難しい。
ある特定の人びとには差別・ハラスメントと感じられても、ほかの善良なる多数の人びとが、必ずしも、そうとは思っていないとしたらどうだろう。
差別・ハラスメントと思っていないのに、ある意味、突然かつ一方的に差別・ハラスメントだと断じられ、糾弾され、吊し上げられる。

「おいおい、そのぐらいのことも言っちゃいけないの?」
「そうです!」

「なんだよそれ?」
「これは差別(ハラスメント)です!」

「そんなつもりは無いよ」
「法律で禁止されました」

「はぁ?」
「罰せられます」

「 ふざけるな!」

却って反感を助長し、逆に煙たがられ、遠ざけられ、ついには無視されてゆく。

自分たちを被差別・被ハラスメント弱者と規定し、弱者の恫喝を以て多数の人びとを強引に従わせようとするのではなく、自分たちの有り方/有りさまを丁寧に説明し、理解を求め/深めてゆく試みを通して、多数の人びととの共通項を見出だし、共存共生を目指すべし。

理解の増進。

日本では、こうした方策を通じ、個々の有り方/有りさまと社会一般との関わりを巡る諸問題の解決を図るべく、努めてゆくのはどうだろうか。

日本らしい特色のある「liberation movement of individuals」
=「個々それぞれの存在を自由たらしめるための運動」。