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チバさんが死んだことについて考えながら、完璧な日曜日という詩を書く、という完璧などではない日曜日に、完璧な日曜日などはない、と完璧な日曜日に過ごす。


 チバさんが死んだ。

 チバサンが歌うACACIAという曲を電車の中で聞いた。The Birthdayのアルバムもきいた。

 帰ってきてからもきいた。

 YOUTUBEでもきいた。

 チバさんの死を悼む人たちがXに投稿していた。

 それを大して仲良くもないのに、と非難する人もいた。

 何も言わない人もいた。

 チバさんを知っているけど何も言わない人、チバサンを少し知っているけど何も言わない人、チバさんと会ったことがなくて何も言わない人、チバさんの日常を知らず、あーてぃすととしてだけ知っていて何も言わない人、チバさんを人としてもあーてぃすととしても知らない人、ほとんど地球上に住んでいる人がそうだ。

 ぼくはあーてぃすととしてのチバさんだけ知っている。先週死んだと聞いて、何も言っていなかったけれど今書いてる。

 チバさんの詩集、『ビート』を今手元においている。

 この詩集はFOILという出版社から出ている。記憶が確かならばもうFOILはない。FOILは竹井正和さんという方が代表をされていた。リトルモアを設立した人でもある。

 竹井さんはリトルモア時代に写真家、川内倫子さんの写真集をまだ無名に近い存在だったのに一気に三タイトル出版して一躍時の人にした人だ。

 浅野忠信さんの画集を初めて世に出したのも竹井さんだ。

 ぼくは詩を書く人間だ。

 その詩を竹井正和さんに読んでもらいたいと思った。

 昔。

 東京で、竹井さんが『竹井正和の持ち込みナイト』というイベントをされていた。

 ぼくは夜行バスに乗って東京に行った。

 持ち込みナイトに出た。

 自分の番を待った。

 たくさんのFOILからの出版を夢見たあーてぃすとたちが集まっていた。ほとんどが写真と絵だった。

 お前の、作品見ても、ちんぽこたたんのじゃ、とビール片手に足を組んでパイプ椅子に座った竹井さんが、女性の背中の絵だけをたくさん描いてポートフォリオにしていた人のプレゼンテーションに言い放っていた。

 ぼくの番になった。ぼくは自分の素性を説明し、作品ファイルを開いた。詩だけじゃたたかえないと弱気になって、写真家やイラストレーターの友人と共作したものを持ち込みプレゼンテーションした。

 ほとんど何の言葉ももらえず、終わった。

 覚えているのは、君のやりたいことに対して、君の作品は? ときかれ、

 弱いです、と自らこたえたことだけだった。

 そのあとひどく落ち込んでいると、写真家の梶井松陰さんが、ゲストで会場にきていて、テキストいいと思うよ、と言ってくれたのが救いだった。

 チバさんの第二詩集は違う出版社から出ている。

 チバさんが死んだと聞いて高校時代の友人を思い出した。

 彼はチバさんが結成したミッシェル・ガン・エレファントのファンだった。

 チバさんの出ている音楽雑誌を集めていた。スクラップすることは邪道らしく雑誌そのままを買い集めていた。

 彼の持っていた雑誌を貸してほしいという女の子がいて(ぼくはその子と幼稚園同じで隣の席同士で絵の具を一緒によく使った。高校で再会すると垢抜けてスクールカースト上の方にいて、幼稚園同じだったと気づくのに二年かかった)返ってきたとき彼女が彼女の好きなあーてぃすとの記事をはさみで切り抜いてしまっていて穴だらけになっていた。

 その場面にぼくはいて、彼の顔を見ると彼はまた買うよ、と言った。その彼と高校を卒業して十年後、ハローワークで再会した。彼はお前も失業か? ときいてきた。ぼくは仕事できたと伝えた。そうすると、そっか、と言って彼は歩いて行った。

  詩が思いついてきたので詩を書きます。


        完璧な日曜日


 完璧な日曜日と完璧でない日曜日たちが恋に落ち、あるいは疑似恋愛かもしれず。あるいは一重の憎しみあいかもしれず、今日も拮抗し4.5対5.5は拮抗とまだいえるのかと議論し、議論だなんてあまちゃんか? と、男はとりだしたピストルをこめかみにあてトリガーをひいた。これが完璧な日曜日だよと。

 完璧な日曜日なんてないことが完璧な日曜日なんだよと。なあ、なあ、なあ? って

 昨日見た漫才師のYOUTUBE、酒飲んでたけど、一方が一方に気を遣って、料理に手をつけずにたばこばっかり吸ってたよ。それが完璧な日曜日だよって

 吸ってたたばこの銘柄は『完璧な日曜日』じゃなくて、ラッキーストライクだったよ


                     了



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