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悠久の奈良に想う ~ 奈良時間への誘い~

“奈良時間”     ― 造語 ―

奈良の魅力探訪

訪日外国人の数が、年間3,000万人を越えた。

当初は観光と言えば、『東京』『京都』を訪問する観光客が大多数であったようであるが、昨今の旅慣れた方々は、そういったメジャーな観光地を避ける傾向にあるらしく、青森や長野などのそこまで観光地としてはメジャーとは言えない所にまで押し寄せてきているそうである。

『ふーん、そうなのか』熱い珈琲を飲みながら…ふと、自分は日本のどこの街が好きなのだろうか、と…ゆっくり考えて見る。

日本は南北に長く、そこかしこに四季折々魅力のある都道府県が広がっており、どこか一つを選ぶのは難しいものであるなぁ…と、自分で考えながら想うのである。

【奈良の都】

奈良と言っても広いのでざっくり過ぎるが…やはり答えは『奈良が好き』である、というところか…。

住んでみたいとも思うが、今の仕事を変えてまではフンぎれるほどではないのであるのだが…好きな事に違いは無い。今の私には、腹八分目とでも言うのであろうか。

『奈良は遠きにありて想うもの』…の距離感がちょうどいいのかもしれない。

奈良の何がいいのか?奈良の何に惹かれるのか?改めて考えると、具体的にこれだと言えるところは確かに複数あるのであるが…何か違う…何か足りない…物理的な物ではない。

いや、確かにそういう名所旧跡は世界文化遺産にもなっており、奈良を代表するものであるのは間違いないのであろう。

しかし…何なのであろうか…名所旧跡だけでは奈良の良さは表現できない。

では、例えば私自身が訪日外国人に『具体的に奈良の何が好き?』と、聞かれたらなんと答えるであろうか?カフェインで頭を整えながら…しばし考えてみる…。

私自身は、こう答えるのであろう…『奈良には奈良時間がある。それが好きである…』と。

【京の都】

歴史的に見れば同じく関西には京都という古都がある。

歴史の時間だけで言えば、奈良と同じようなイメージを受ける。しかし、京都は千年都市であるが、もっとこじんまりしていて、ちいさな街にぎゅっと歴史が詰まっているように想う。

そう、京都は歴史も街も文化も人も、すべてがぎゅっと手の届く距離間にあり、ある意味歴史と生活がお隣さん同士の街でもある。

京の都が四畳半であれば奈良の都は20畳のリビングと想えるのは過大表現なのかもしれないが…。それぐらい京都市は便利な都市構造ではなかろうか。四畳半の中で次々に歴史・文化・人…それらが目まぐるしく次々に塗り替えられた街という印象である。

そう、京都は歴史遺産の真横に現代が寄り添うように存在しているのである。

…同じ悠久の歴史を歩んだ両都市においても、変化を繰り返し研究分野も企業も先端から老舗の数まで、どこかきらびやか…で、ありながらも歴史を忘れない、京都らしい『今』を平安時代から今に至るまで生み出し続ける京都と、かたやどこか悠久の詫び寂びを感じる奈良。

これこそが現代において時間の流れを、違いを肌で感じとれる根底にあるものなのかもしれない。

【時間】

人智の及ぶ範囲では、時間とは質量の存在する所に必ず存在するものらしい。

時間のスピードは地球誕生の時からなんら変わりなく進んでいるのであろう。

何の根拠もないのであるが小さいころの1年と大人になってからの1年では大きく時間の流れが違うように感じてならない。

時間は先を読めば…先を見れば見るほど早く進み、先を考えない…時間の先を読まなければ遅く進むのではないであろうか。果たして時間とは本当に等しく平等なのであろうか…と、想う。

710年平城京
794年平安京

これは学校で最初に覚える西暦なのかもしれない。細かく言えばその間に何度か遷都が為されるのであるが…。794年に正式に京に都が遷都される。

しかし794年以降の奈良は歴史の表舞台の時間から外れていく…795年からの奈良の歴史に何がありどんな役割があったのか説明できる人は少数ではなかろうか。

794年、天平文化から平安文化への時間の衣替えである。

【いにしえの面影】

奈良も京都も寺社仏閣は数多く、建造物の国宝ランキングでは京都が1位で奈良が2位、3位には滋賀県がランクインしている。

寺社仏閣等の国宝建造物数を純粋に見れば、奈良は京都の後塵を拝している。

しかし奈良には世界最古の木造建造物『法隆寺』があり、日本最古の道『山の辺の道』が存在する。さらに京都と決定的に違うのは、現代が寄り添っていないというところであろうか。

古都奈良はとにかく空が広い、自然が多い、時間の流れが緩やかである。

古都奈良を最も奈良らしいものと感じる要素は、古都でありながらコンクリートジャングルの発展とは一線を画すこの崇高な空の広さと、自然が持つ雄大さというよりは、天平時代から続く人と奈良の歴史が作る悠久の自然を感じられるところであろうか。

寺社仏閣のみならず奈良の時間の流れに唐の都長安の息吹を感じてしまうのである。

珈琲を飲みながらゆっくりと奈良を考える…『奈良観光は日本で一番ゆっくり巡って欲しいなぁ…』と。

そう、奈良では寺社仏閣を大急ぎで回る観光はお勧めできない、奈良に来て時間を感じる事を無視し、次々いわゆる観光スポットだけを巡るという事は、言い換えれば角さん助さんまでは見といて、一番大事な黄門様を見逃すことになるのである。

奈良はゆっくりゆっくり経過する『時間』を観光しに行く場所なのである。寺社仏閣は時間が従える従者のようなものなのである。

【山の辺の道】

山の辺の道とは『日本最古の道』であり、天平文化の時代…いや、またそれ以前からの…いにしえの人々が歩いた道なのである。

その道中ではアスファルトでの舗装がなされている部分もあるのであるが、いまなお天平時代の人々が歩いた同じ土を踏みしめて歩ける道なのである。

このような道が運よく奈良には残されているのである。

山の辺の道を歩いていると、街を眼下に収める事のできる場所が出てくるのであるが、そこが私自身一番好きな悠久の時間を感じるスポットかもしれない。

奈良時代の人々が感じた時間の流れ、その時代の空気と今なお変わらない時間の流れ…空気がそこには確実に存在するのである。

【奈良観光について考える】

歴史に興味が無くても、およそ80年程度しかない奈良時代はポイントを捉えやすいので、少しでも学んでから古都奈良の時間観光をすることをお勧めする。

そして、言わずもがな…昨今の話題は奈良には観光ホテルが非常に少ないという事である。

例えばホテルが少ないから海外からの観光客は日帰りになってしまう人も多くいるのであろう、夜の街を歩く外国人観光客は少ないイメージである。

訪日外国人が3,000万人を超える時代に少し寂しい感じは否めない。しかし…である、ホテルが乱立すると奈良という風土が育んできた悠久の時間の流れに現代の時間の流れが混ざり込んでくるのであろう。

時間は質量があれば存在するという事はある意味生き物であるとも想う。

京都のように節操なく、観光客を取り込むためにそこかしこにホテルを作るか…。

いや…奈良はせめて作るなら、奈良ホテルのような建造物にしてもらいたいところである。

そう、ホテル建設は地域雇用も税収も観光客も産み出すので人口減少多死の時代においては、人の活気は生命線であるので、闇雲に否定はしないのであるが…。

絶滅危惧種『奈良時間』が失われない…浸食されない、奈良の悠久の時間を令和の時代と共に、さらに今後何百年もの間の悠久の時間と共に歩み続けられるホテルの作り方を…一奈良ファンとしては遠い地から望むのである。

改めて奈良には悠久の時間を感じられる、様々な見どころが存在する。

今後は圧倒的偏重『the奈良時間観光』を暇な時に綴っていってみようかと思う。

花粉症が治まる5月になれば、娘を連れて山の辺の道に行こうか…。ポケモンガオーレよりは健康的であろう。
唯一の問題は途中で抱っことならないかである…。負けず嫌い娘の頑張りに腰痛持ちのパパは心から期待しておこう。

“天野原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも”
― 阿倍仲麻呂 ―

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