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優しくできたら支度できる

ここ数日久々に顔を出した「支度ができない」という問題行動について考えていました。

支度が苦手&できない

支度、私は支度するのが物凄く苦手です。
やりたくなさから行動が支度に向かない…支度が苦手だから外出も億劫、または外出が億劫で支度も億劫の両方…仕事や待ち合わせなど必然性のある用事でも早く支度しなければと思えば思うほど遊んでしまう。
らくがきやtwitter、お化粧前にはみ出し眉毛を抜いたらそのまま毛を抜くのが止まらなくなり家を出る時間を超過してダッシュ必須、超過しすぎて遅刻してしまった事も一度や二度ではありません。

過去を思い返して一番飛び出ていた気がするのは中3の頃です。
うろ覚えですがおそらく私は当時毎日のように遅刻していました。
確か学校へは8:10までに行かなければいけなかったのですが、8時からの特ダネの小倉さんが挨拶からの冒頭トーク、本題のニュースが始まる様子を見てから家を出ていた気がするし、朝の会または授業の始まっている教室のドアを開ける記憶、8時20分前後を指す教室の時計などの画が記憶に残っています。
のちに特別養護クラスも兼任する先生が遅れて教室に入ってくる私に特ダネの冒頭トークは何の話だったか等聞いてきてくれていた記憶があるのですが、ルールを守れない私を諌めず寄り添ってくれていた姿勢…!
担任が怒ってくれていた記憶もあるのですがしかし、怒られたところで寄り添ってもらったところで直せなかった習慣、習性になります。

いつも支度できないわけではない

中学卒業後親元を離れ高専に通学していた頃はバックレも多かったですが汗をかきかき走っていた記憶が多いので支度できていたようです。
卒業し社会人になってからは5分以下ではあるが間に合わない or ギリ間に合うという感じの到着感覚、今の仕事は2ヶ月が過ぎましたが遅刻の際の連絡方法や遅れてチームに加わる方が色々面倒だからか電車の遅延以外ではノー遅刻でやれているので支度できない病は治ったと思っていたのですが、ここ数日手を焼いたのでこうして過去事例を掘り起こしつつ考え始めた次第です。

間に合わせる能力はありそう

先ほどの中学時代の話、担任と寄り添い先生以外のパターンの遅刻の記憶が全くないので、記憶を失っている説の他に相手を選んで2人の時だけ遅刻していたというパターンが考えられます。そうだとしたらタチが悪い性格ですがありそう。
高専時代も出席日数が危うくなったものの留年などせず卒業できた経歴、そして外的要因以外での遅刻をしていない現在の仕事…どう足掻いても間に合うように支度ができない体質というわけではなさそうです。

支度ができない時とは

間に合うように支度・行動はできそうとなると解決させたいポイントはなぜそんなに支度を渋ってしまうのかという点になります。
遅れるのは嫌だし頻繁にやってくる支度の機会が憂鬱なのも嫌なので改善可能なのであればしたい!
仕事に行く支度ができず困ったここ数日、困りながら己を観察、過去事例も洗い出していたのですが、支度ができなくなる時に現れがちな兆候は

・不調による考えたり動く行為のハードルの上昇
・支度するより遊びたいという気持ちが強まりそれを制御できないタイミング(疲れ、ホルモンバランスの乱れ、逃避感情など)

という感じでした。
書き始めた時は自分はいつも支度ができないし支度が苦手なのだと思っていたのですがなるほど、体調が乱れると支度と向き合えなくなる…!
そして天気や疲労、偏頭痛にホルモンバランス等々、私の体調が乱れる機会は多い…!

楽しくなれたらアッサリ動けた過去事例

調子が優れない時いかにサクサク気持ちを切り替えて支度できるかという話になってきました。私支度できたんですね…知らなかった!
これに関しては散々手を焼いていた心のぐずつきが一瞬で切り替えられて自分でも驚くという経験を何度かしていて、たとえば先日横浜に遊びに行ってきたのですが、余程楽しかったようで見えた景色や体感した温度や光量、空気の感じ、食べたもの聞こえた音などが時々思い出されては元気が出るのですが、先日仕事に行く支度はできたものの憂鬱な気持ちで電車に乗っていた自分に対して「毎日横浜に遊びに行く仕事に転職した時の初月の交通費を稼ぐ為に仕事がんばろうぜ」と思ってみたところ、そんな仕事はないと理解しながらも物凄く元気が出てきてその日はもうぐずつく事はありませんでした。

去年逃しても逃しても部屋に小さい蛾が入ってきた時期があって、この小さい蛾が全部イケメンだとしたらと考えてみた途端「モテモテじゃねーか!」と一切つらくなくなった事もありました。

煩わしいわ嫌だわで仕方なかったのにむしろ入って来て欲しくなった。

いい

これもまた去年、ピルと偏頭痛の記事をいくつか書きましたがピルとの兼ね合いで起き上がれない日もある頭痛を脳神経外科で診察してもらったところ専用の薬が必要な偏頭痛という頭痛で完治などは基本ないという事が判明した時、薬と偏頭痛をイケメン化したところショックの大幅軽減に成功できた事がありました。

絵が下手でわかりづらいすが腕枕介抱です いい

薬の見た目では満たされずイケメン化させる

つらい頭痛症状もイケメンだったらちょっと耐えられるのではとイケメン化

イブA錠がよく言うセリフは「安い女だと思わないでよね」です。
(イブA錠は他の解熱鎮痛剤と比べると比較的お手頃価格)

どの事例も特に何も解決してないんですよね。
そして未来を改善させる手を講じられているわけでもない。
むしろかなり非現実的。逃避と言っていいような。
でもつらい気持ちやショックで動きが鈍った状態から脱出できると動けるようになれる。
動ける状態になれると日常があまり止まらない。
日常が止まらないとあまり困らない…!!

調子が悪い時は柔軟に動く事も大切

支度ができなくなっている時「この時間にはここまで支度していて欲しいのにどうしてまだ布団の中にいるの!?」などと焦ったり困ったりして余計にやる気がなくなるという体感がありました。
支度をして出かける事が目的の時って、要は外に出ていい状態にできて目的地に間に合えればいいんですよね。
いつもと同じ時間にいつもの行動を全て済ませられてなければいけないわけではない。
元気な時している行動からいくつか減らしたっていいわけです。
融通を効かせず自分を締め上げてたんだなぁという気持ちになったので、要は何ができていたらいいかを考えて楽々でいられる時間を増やしたいと思いました。

書いてるうちに結構変わった

今回の文章、書き始めの頃は「私の昔からの支度できない社会不適合症状には楽しい現実逃避を与えればOK!イケメンを取り入れると成功率高し」というような感じに書いていけばこの文章は完成するしちょっとコミカルが入るだろうと思っていたのですけど、なんか酷いですよね!
だから最初のタイトルは

支度して棺 くれ刻「俺がお前の支度をしてやる」

でした。
唐突にこのタイトルは碧棺 左馬刻と支度してくれを合体させましたという説明とヒプノシスマイクの話をちょっとしてから本題に入ろうと思っていました。
それはとてもいい。

左馬刻様もいいですし、支度して棺くれ刻が私の支度をしてくれるようになったら毎日ブチあがりです。
でも文章書き始めの頃の自己への認識と扱いは何かが酷い!
自分を軽視して自分にひどい気持ちを投げつけたり、自分をぞんざいに扱ってしまって自分が元気をなくすという事があるかもしれません。
他人にそんな事をしたらいい感じには絶対ならないとわかるからやっぱり絶対そうです。
自分だから雑に扱っていいという事はない…!
逆も然りですね。自分も他人も扱い方に対して相応の何かが起きる説。
自も他も楽しくやれる感じを目指していきたいなと思いました。


支度して棺くれ刻いいな〜…!

サポートとっても嬉しいです。制作環境の整備に使わせて頂きます。