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韓国映画「君の誕生日」と「KCIA 南山の部長たち」をめぐって(Ⅳ・終)

「KCIA 南山の部長たち」暗殺の真相は?

<金大中事件>の首謀格であるKCIA(韓国中央情報部☞)の拠点が南山(ナムサン)地区にあることから、映画のタイトルは「KCIA 南山の部長たち」となっていますが、<金大中事件>から6年後の1979年、当時の金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長が軍事独裁体制の打破という大義というよりも、ごくごく個人的な動機により、KCIAの秘密宴会場(宮井洞クンジョンドン中央情報部別館)で銃を乱射し、朴(父)大統領を暗殺したというふうに映画では描かれています。

(↑)「大統領に次ぐ権力を持つ中央情報部の歴代部長は“南山の部長たち”と呼ばれた」(「KCIA 南山の部長たち」のテロップより)

☞KCIA(韓国中央情報部)は、国家安全企画部(NSPA)に改称されたのち、金大中政権によって開かれた情報機関として国家情報院(NIS)に改編されたが、韓国サスペンスドラマでは、今も政府の恐ろしい闇の工作機関として描かれることが多い。

朴正熙大統領暗殺の真相は、映画の原作(『実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」』金忠植キム・チュンシク著、講談社刊)を読んでいないので、暗殺者の動機など今一つわからないところがあります。

(↑)車智澈大統領府警護室長の非情さに食ってかかる金載圭中央情報部長(イ・ビョンホン)

暗殺者の金載圭中央情報部長が、大統領の寵愛を受ける強権派の車智澈(チャジチョル)大統領府警護室長に対する嫉妬、それに当時の軍事政府に対する<釜山市民決起>(☛)に対し、朴(父)大統領から“デモ隊など戦車でひき殺せ!”と命令されながら、国民に銃を向けることをためらったため叱責され、穏健派の金部長はさまざまに追いつめられて暗殺に及んだというふうに「KCIA 南山の部長たち」は描いています。

 (☛)映画では<釜山市民決起>と呼ぶが、歴史学者によれば<釜山・馬山抗争>釜山とその西に位置する馬山で、釜山大・東亜大・高麗神学大・慶南大らの学生、労働者たち数千人が「独裁打倒」を叫びながら、それぞれの地で裁判所、警察署、放送局ほかに押しかけ、全斗煥率いる戒厳司令部に鎮圧されるまでの6日間を闘い抜いた。
これが朴大統領暗殺の一つの要因となった1979年10月中旬の出来事で、暗殺決行の40日ほど前のことだった。なお、釜山・馬山地域の逮捕者は1563人、そのうち軍事裁判所送りの89人には、相当数に死刑判決が下ったものと思われるが不明である。
(『韓国現代史60年』徐仲錫著・明石書店刊より要約)

 仮に、映画で描かれたことが真実だとすれば、大統領の警護員まで乱射のすえに殺害した、西部劇まがいの<活劇>は、それがありのままの描写だったのか、それとも事実があまりに暗く重いから、それを払しょくするためにアクション娯楽色を濃くしたのか、それすらも謎です。(ワンカットで撮られたというイ・ビョンホンによる長回しの銃撃シーンは圧巻!)

 でも、大統領を暗殺した金部長が逃走中に国軍の応援を要請し、軍事独裁体制の転覆をはかったという映画のシナリオが事実に基づいているとすれば、権力者の首をすげ換えるだけの専制体制の継続が狙いだったのか、あるいはアメリカ並みの民主主義体制への急進的な改革なのか、その判断が観客にゆだねられたまま、映画は幕を閉じます。

朴政権を継承した全斗煥の<光州事件>

(↑)1980年5月、金大中氏の逮捕をきっかけに市庁舎前の広場に結集した民主化要求のデモ隊(写真奥)は、国軍と対峙し、多数が虐殺された。(韓国「ハンギョレ」新聞より)

朴(父)大統領の暗殺直後、国軍司令官の全斗煥(チョン・ドゥファン)は、部下の盧泰愚(ノ・テウ=第13代大統領)らと、これ幸いとばかりに<粛軍クーデター>を起こして戒厳令を敷き、朴大統領と同様の冷酷な弾圧策を発動します。

 その戒厳令下で金大中氏らを逮捕したことに反発した学生・市民のデモ隊に対し、戦車と銃を向けた<光州事件>(5・18民主化運動)(☛)を1980年に引き起こし、“拷問と虐殺”のすえ反政府活動を制圧したのち、全斗煥はすぐさま大統領の座につきます。

(アジアの軍隊が国民に銃を向けたという意味では、1989年6月の中国・天安門事件、2020年の中国による香港弾圧などとまったく同じです)

 (☛)1980年の<光州事件>(5・18民主化運動)に関連した映画では、名作「オアシス」で共演したソル・ギョングとムン・ソリ主演の「ペパーミント・キャンディー」(1999年)、「光州5・18」(2007年)、ソン・ガンホ主演の「タクシー運転手 約束は海を越えて」(2017年)などがあり、釜山の読書会メンバーを“赤色分子”(共産主義分子)にでっち上げた1981年の<釜山事件>をモデルにしたソン・ガンホ主演の「弁護人」(2013年、当時弁護士だった盧武鉉第16代大統領がモデル)、1987年の民主化闘争に至る事件を描いた「1987、ある闘いの真実」(2017年)なども軍事政権下の学生・市民による、朴正熙から全斗煥の軍事独裁打倒闘争をテーマにしている。

(↑)光州市のデモ隊を武力で鎮圧した全斗煥司令官は、大統領退任後に死刑判決を受けるが、金大中氏の進言で特赦となり、遺族に対する謝罪もないまま、2021年11月に90歳で死去した。(NHKニュースより)

<漢江の奇跡>と<朝鮮戦争特需>の合わせ鏡

このような韓国の政治闘争史は、ニッポンが反省すべき“合わせ鏡”のように思えます。

 たとえば、朴(父)大統領は、ニッポンの朝鮮統治下では日本帝国陸軍士官学校に留学して軍国主義を骨の髄まで叩き込まれると同時に大日本帝国に心酔し、第二次世界大戦そして朝鮮戦争後には陸軍少将の地位から軍事クーデターを起こして大統領となり、自国植民地化の<韓日併合>の大罪を問うこともなく、<韓日協定>にもとづき戦時賠償金(☛)をニッポンから得て、その資金をもとに“漢江の奇跡”と言われる急速な復興(開発独裁)を成し遂げたという経緯があります。

 (☛)この戦時賠償金によって、ニッポンと韓国の国家間の戦時補償問題は解決済みという態度をとるのがニッポン政府ですが、現在も日韓で係争中の<従軍慰安婦><戦時徴用工>の問題は、ニッポンの占領統治下、朝鮮半島の庶民が日本帝国に<強制連行>されるも者も多くいた<人権問題>であり、ニッポン政府による真の謝罪を求め、民間人による国家に対する賠償請求は現在も有効であるとする<被害者>たちの言い分が認められないかぎり、本当の日韓友好関係は築かれることはないように思われます。

 ひるがえって、戦後のニッポン国内はどうかと考えると、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯となった東條英機は処刑されましたが、東條内閣の重臣だった岸信介アベ元首相の祖父)賀屋興宣はA級戦犯の容疑がかけられながら、GHQの右旋回の方針転換により岸は不起訴となって3年後に釈放され、賀屋は10年の刑期を務めて仮釈放されました。

 その後、ニッポンの<朝鮮戦争特需>に始まる戦後復興を成し遂げた功績などにより、賀屋首相あるいは法務大臣に就任という経緯を思うと、北朝鮮を含む朝鮮半島侵略に対して反省などせずに札束で決着し、心からの謝罪をネグレクトした、これら<戦犯>は、朴(父)大統領の強権姿勢となんら変わりのないように思えてくるのです。

 でも、金大中大統領以降の断続的な民主化推進後の韓国がすばらしいのは、朴(父・娘)大統領が政治の主役となった、大統領暗殺とセウォル号の大量海難事故という歴史的な出来事を、それぞれ映像化し、観客の心を動かしたということです。

そして、どちらの作品も韓国を代表する俳優たちが見事に演じてみせてくれました。

 また、「君の誕生日」には、事故の記録映像がまったく出てこないにもかかわらず、大惨事を想起させる力がありました。

これは脚本もさることながら、イ・ビョンホンはじめキャスティングの妙だったと思いますし、「パラサイト」「ミナリ」を引き合いに出すまでもなく、映画という総合芸術の分野でも韓国ははるかにニッポンを超え、BTSの音楽とともに、世界に飛翔しています。

 (おわり)

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