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【韓ドラ】ドラマ「お出かけ」と孫の<端午の節句>~<親の務め><子の務め>とは?

★今月の言葉「死と向き合っている人は、誰かを生かそうとするのかもしれない」

――どなたの言葉なのか、忘れてしまいましたが、この言葉を実感するようなドラマにめぐりあうことができました。

それは、韓国<KBSドラマスペシャル2020>のうちの一作、「お出かけ」(64分)という作品です。

▲KBSドラマスペシャル2020「お出かけ」のタイトルシーン。

「商売の達人と商売下手との友情物語」(作品ガイド)というストーリーですが、実際に観てみると、ニッポンとそっくりな韓国の(少子)高齢化の問題が色濃く反映されたドラマです。

●主人公は、露天商を20年、飲食フランチャイズチェーン(牛骨スープの<ソルロンタン>の店)を50年切り盛りしながら、息子二人がそれぞれ中流家庭をつくるまでに育てあげ、今は独居の80歳代の女性クム・ヨンラン(ヨンランは鈴蘭=スズランの意)。

●そのヨンランの家に横づけするトラック販売(おもに果物売り)の中年男性の店主が、もう一人の主役パン・スンチョル(純朴=スンパクに生きよと親が命名)。

スンチョルは、出版社の経営に失敗して多額の借金を抱え、債権者から逃れるためやむなく離婚し、苦学生の娘とも会わせてもらえないという、こちらも寂しく暮らすシロウト商売人。

▲二人は農家との買い付け交渉をめぐって対立する。

老いたヨンランは、客足も多くなく、見るからに儲けがありそうもないスンチョルの“辛口”のお得意さんではあるのですが、“昔取った杵柄”の商魂が湧き出てくるのか、栽培農家に出向いて農産物を直接買い上げるスンチョルのトラックに同乗すると言いだします。

そして、ブドウ農家や桃農家に付き添い、二人は身の上話をするほど親しくなっていくのですが、実は、ヨンランには、スンチョルに同行する切実な理由があり、それがドラマ後半に明かされます。

▲いつしか二人は、まるで恋人のように、でも寄り添う母子のように、なっていく。

<親の務め、子の務め>って、いったい何?

その<秘密>は観てのお楽しみとして、このドラマを観ていたら、<親の務め、子の務め>とは何だろうということをしきりに考えてしまいました。

ドラマの中の<親の務め>とは、子どもにひもじい思いをさせず、大学に進学したい外国に留学したいと子どもが言えば叶えてあげる、というものであり、<子の務め>は、産み育ててくれた親に対しできるだけの孝行をし、最期を看取ってあげる、というものとして描かれます。

この構図は現代家族の典型的なパターンですが、親子ともカネがなければ、互いの<務め>などまっとうできない、という<現実>に否応なく直面することになります。

「私は財布じゃない」~強烈な名セリフだ。母親の一人暮らしの心配をするより、カネの無心にきた息子が帰ったあと、悲嘆にくれるヨンラン。

考えてみれば、韓国もニッポンも、高度資本主義から現代の<新自由主義経済>へとカネ万能、自己責任論が大手を振ってまかり通るようになってしまいました。

そこでは親と子、双方のささやかな<孝行>など木っ端みじんに吹き飛んでしまいます。

でも、このドラマは、最後にヒューマンな救いの手を差し伸べているような気がします。

沖縄の「ゆいまーる」を理想として

それは、口先だけで親の世話なんか最期までみる気のない信頼できない<家族>よりも、老人ホームに入所しても、最期まで欲得なしに笑顔で訪ねてきてくれるような<真心>が通じ合う<他人>(沖縄の「ゆいまーる」のような地域内の助け合い)のほうが、老い先短い自分を幸せにしてくれる――ということを描いている、そんな気がしました。

▲母親のこんなおだやかな笑顔を見たこと、あったかなあ……。

**後記**

5月5日の<こどもの日>に、このブログをアップしたかったのですが、いつものように遅刻してしまいました。

トップ画像の<兜>は娘の連れ合いの母親が、孫の<端午の節句>にプレゼントしてくれたものです。

かなり高額だったと思われますが、せっせと働いて貯金した中から買ってくれたとあとから聞きました。

娘の家は手狭なので、築70年の古民家風の我が家に今年も飾り付けにやってきてくれました。

若いころは<年中行事>を大切にする気持ちなどなかったのですが、年々、季節ごとの節目を感じさせてくれて、ついこの間も、連れ合いと娘の飾りつけを見ながら、いいものだなとしみじみ感じ入りました。


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