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「黄昏のダイアリー」 RYUTist

基本は一枚のCDに対する思いを徒然に書いていきたいと思っています。まだ初めてなのでこの先どうなるかは分かりません。感想というか音楽日記というか。テーマとしては在宅でいながらアイドルをどこまで楽しめるかということですかね。ライブになかなか行けない欲求不満に対する解消策。
記念すべき第一回は新潟を中心に活動するアイドル、RYUTistさんのシングルです。
(※下書きのまま先に進めずノロノロしてたら、4月23日にRYUTistは新しいシングル「センシティブサイン」を発売してしまいました。今のタイミングで前作について書くのは遅すぎるのですが仕方ないのでそのままいきます。そんなゆっくりしたスタンスの書き物だと思ってください・・・。)

最近「良い曲」の飽和を個人的に感じています。
良い曲が多いのならば、それはそれで悪いことではないでしょう。寧ろ良い現象かもしれません。「これは酷いな・・・」と思う曲が非常に少ない。好きなグループの曲でも通りすがりに聴いた知らないグループの曲でも一聴して悪い曲が殆どない。それどころか自分のツボをしっかり突いてくる良く出来た曲ばかり。それを飽和って言うなら贅沢じゃないですか?あなたが飽きたり追っかけたりするのに疲れただけじゃないんですか??

そうですね。そうかもしれません。

悪い癖で無意識のうちに「アイドル」という括弧付きで音楽を聴いてしまって「条件」に敏感になってるから勝手に疲れているのかもしれません。
素直になれなくて。

ずっと良い曲ばかり歌ってきたRYUTist。
前作「青空シグナル」の作編曲は元Cymbalsの沖井礼二さん。今回の「黄昏のダイアリー」はその沖井さんとROUND TABLEの北川勝利さん。48歳になる僕は「あ、良い曲くるな・・・」と無意識に意識してしまう。どこかで自然に構えてしまう。良い曲が良い曲の中だけで埋没してしまうんじゃないかという勝手な危惧を抱いてしまう。
そんなもんだから表題曲の「黄昏のダイアリー」を聴きながら僕はなるほどねーとつぶやきながら99点を付ける。良い曲で良かったという感想にもならない感想。
しかし、2曲目の「心配性」を聴いた瞬間に僕の心は大きく動いた。良い曲だねという感想をつぶやくこともできずに。不意打ちにも似た何か。

「音楽好き」という言葉に潜む欺瞞。

良くも悪くも音楽を馬鹿みたいにたくさん聴いてきて背負った「音楽好き」という重荷が自分を不自由にしていたということ。無理していたわけじゃない、好きで好きで聴いてきたってあなたは言うけど本当にそう?と問われたような気分。嘘だってあるよね?と。

「心配性」はayU tokiOさんの作詞作曲。カンタベリー・ミュージックを思わせる音と丁寧に紡がれる4人の少女の声。優しい世界。
僕は馬鹿正直なくらい「善意」を信じている。世の中に悪い人なんていないと思っている。しかし、それと同じくらい捻くれてるし意地も悪い。周囲が善意だけで溢れていたら懐疑的になってしまうし、誰かの幸せをすぐに羨んでしまう。
例えば嫌で嫌でたまらないニュースを見たときや好きなアイドルの理不尽な卒業に悲しみや悔しさで落ち込んでいるときにこの「心配性」を聴いたらいいと思う。悲しい思いはどこまでも悲しい思いのまま向き合うこと、美しいと思うことにはどこまでも正直でいること。世の中にきれいごとなんて存在しないでしょう。でも、きれいごとに染まらない「きれいごと」だってある。RYUTistはいつでも小さくて、小さいけれどとってもきれいだ。

「心配性」は素敵なMVもある。でも、出来たら最初はMVを見ないで音だけ聴いてほしい。3曲入りで1000円ちょっとのCDです。何も考えずに買っても大丈夫。試しに買うのに大きな金額ではないでしょ?何度か耳で聴いてからMVで見てほしい。だって4人のメンバーはとっても魅力的で可愛いのだから。可愛さにメロメロになってから聴くよりも音だけ聴いてからの方が僕はいいと思います。それくらい新鮮な気持ちになれる1曲です。

(※良い曲じゃないの・・・と曖昧な気持ちで聴いてた青空シグナルも黄昏のダイアリーも今では文句なしの超大好きな曲です。自分の経験や知識だけで警戒しすぎて損をするという見本ですね。。。)





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