「人間に任せると精度が低いから、代わりにAIに任せる」が本質だと思う。

このnoteは、東京都社会保険労務士会の機関誌「会報」2月号において、特別企画記事として掲載された原稿を転載しております。

2018年に出会った人の話をミックスさせた、久しぶりに頑張った内容だと思ったので、東京都社会保険労務士会事務局様にお願いして転載の許可をいただきました。感謝申し上げます。


「AIとは何か?」が未だに分からない理由

はたしてAIとは何でしょうか。

この質問に対して、AIの専門家、エンジニア、ジャーナリスト、はては経済エコノミストまで登場して独自の見解を披露しています。関連本も多く刊行されました。

「私たちの生活を豊かにする」「私たちの雇用を壊す」「中国が覇権を握る!」といった楽観論、悲観論、脅威論から「どちらも正しくない」「メリットとデメリットを見るべきだ」といった中立論まで、様々な論拠が乱れ飛んでいるような状況が2019年現在です。

ちなみに専門家集団である人工知能学会に所属する先生の間でも、微妙に定義は異なっています。学術的に厳格に定義できない以上、「これ以外は不正解です」と決まっていませんから、言いたい放題・言い出したもん勝ちになるのは止むを得ません。

そういう私も、2018年には「誤解だらけの人工知能~ディープラーニングの限界と可能性~」「AIは人間の仕事を奪うのか?~人工知能を理解する7つの問題」「キーワードで読み解く人工知能 『AIの遺電子』から見える未来の世界」と関連本を3冊も刊行させていただきました。もしよろしければ、ご一読頂ければ幸いです。

そんな私の見解として、「AIとは何か?」と聞かれれば、いろんな諸説があることは理解しつつ「もはや、そのような曖昧な質問では返答できない」を提唱したいと考えています。

例えばイスを思い浮かべてください。イスとは何でしょうか?

「座る」「足腰を休める」という機能価値(機能やスペックによってもたらされる利便性や利益)を思い浮かべる人がいるでしょうが、中には「上に乗って高さを確保する」と考えた人も中にはいるでしょう。

それだけでなく、情緒価値(所有・体験することで得られるポジティブな感情)として「権力の象徴」を思い浮かべる人もいるかもしれません。豪華なイスに足を組んで座っている人は、何となく偉そうな印象を持ちます。「イス取りゲーム」は時に、大企業・巨大官庁における出世争いを暗に指す言葉になります。

すなわち「イスとは何か?」と聞かれても、質問がバックリし過ぎていて、何とでも答えられるのです。機能価値を答えても、情緒価値を答えても正解です。正解は1つではありません。正解の範囲が広過ぎるのです。

AIも全く同じです。AIができる機能、及びもたらした価値は多数あります。イス以上にやれることが多く、端的に表現できるほど抽象化するのは、もはや難しいのではないでしょうか。

加えて、さらにややこしい問題があります。イスはまだ物理的に存在しているから良いでしょう。とりあえずイス自体を「これです」と指で差せば伝わるからです。しかし、人工知能は目に見えないので「これです」ではまったく伝わりません。

2019年現在、AIはWEBサービスにも、自動車にも、家電にも、医療にも、あらゆるサービス・ブランドに浸透しています。機能としての汎用性は高く、あらゆる産業に応用が利いて、八面六臂の活躍を見せています。様々な「目に見える物」の一部にAIが組み込まれ始めたと言ってもいいでしょう。ですからWEBサービスを指しても、家電を指しても正解です。

しかし、目に見えるAIという物体があるわけではありません。したがって多くの人は「どういうこと?」と混乱するでしょう。医療サービスをAIだと指差すと「さっきは自動車と言ったじゃないか」と批判されるかもしれません。

目で見えるものは理解できても、見えないものはなかなか理解できないのが人間です。見えないものを理解しようと「脳で見える」ように概念化するのが人間は得意ですが、さすがに活躍領域が広すぎてイメージが湧かないでしょう。

もはやAIとは何かという質問は成り立たないかもしれません。機能を聞いているのか、役割を聞いているのか、価値を聞いているのか、様々な角度から光を当てなければその実態を掴みきれないでしょう。

たった数年で社会を一変させただけはあります。かなりの「怪物」ぶりです。


「AI」の何がすごいのか?

ものすごく広義な意味で考えて、AIの役割とは「人間が知能を持ってすることを機械にさせること」です。一方で、光文社新書から刊行された「誤解だらけの人工知能」著者の田中潤さんは、AIとは「ディープラーニングである」と端的に表現しました。(ちなみに共著者として私も名前を連ねています)

すると、人工知能の専門家から「価値を狭義に貶めている」「ディープラーニングではない人工知能もある」といった批判的な声が思いの外、聞こえてきました。この寄稿を読まれている方も「どういうこと?」と思われたかもしれません。

例えば、自動車を思い浮かべて下さい。自動車を走らせる手段として、ガソリン、太陽光、ハイブリッド、電気…様々なエネルギーが開発されてきました。しかし自動車自体の姿・形はもちろん、車体の中も大きく変わっていません。

では100年前に走っている車と、現在の車が一緒かと聞かれれば、自動車を開発するエンジニアの皆さんは「ちょ、待てよ!」と叫ぶでしょう。人工知能も同じなのです。

人工知能という言葉は60年以上前からありました。歴史だけ言えば、私の一生なんかよりもずっと前からあって、かつ様々な研究者たちが生涯を捧げてきた研究でもあります。そして今、ディープラーニングの登場により人工知能研究は大きな変革を迎えているのです。

いろんな役割や機能を並べ立てるより「AIとはディープラーニングそのもの」と表現した方が、これまでの流れとは異なる新たなイベント、現在起こっているイノベーションの本質を表現できるというのが田中さんの主張です。それぐらいディープラーニングは凄いのです。

では、どのあたりが凄いのでしょうか。物凄く端的に言うと、成熟市場において久々の「技術的な課題」を解決する手法だから凄いのです。

例えば、レントゲンの画像診断において何らかの「影」を見つけるのは、医者たち専門家の人力作業しかありませんでした。当然、ヒューマンエラーも起こります。医者たち専門家も「パパッと見てくれる機械があればいいのにな」と考えて当然です。そんな夢のような機械が、ディープラーニングの誕生により可能になったのです。

ライブに参加している人の顔を認識して楽しんでいるか判断する「顔画像認識」。過去の判例を踏まえて裁判の判決のアドバイスをくれる「意思決定支援」。大量の広告のキャッチコピーを読み込み人間には思いつかないようなクリエイティブを生成する「文章自動生成」。言葉やフレーズから人間には思いつかないようなメロディを生成する「自動音楽生成」。

例を挙げればキリがありません。今までやれなかったことがディープラーニングによって実現しているのです。

1つ言えるのは、ディープラーニングとは「人が今までやっていた作業の機械化」に留まらないことです。「本来なら機械に任せたかったのに、技術的な制約・課題によって実現してこなかった作業の機械化」こそが本質でしょう。

よく「人間の仕事がAIに奪われる」と言います。確かにそうなのですが、その本質は「人間の方が精度は低く、品質は劣るから、変わりにAIに任せる」ことにあります。これまで任せようにも実現しなかった作業が、ディープラーニングの登場でようやく任せられるようになったと考えれば良いでしょう。

先述したレントゲンにおける影の発見を取り上げます。2017年12月にアメリカ医師会に掲載された論文(※1)によると、乳がんの転移を調べる画像判定に、11人の医師(平均16年のキャリアを持つ臨床病理医)とAIが挑みました。

その結果、優勝したのはAIでした。AUC(転移がある画像を見逃さず、転移がない画像をないと言えた度合い)は驚異の0.994。時間制限ありの病理医判定では11人平均で0.810でしたから、いかに精度が高いかが分かります。

時間制限をなくして、ようやく11人平均で0.966まで高まりました。しかし、その時間はおよそ30時間を要しました。AIはほぼ瞬時に判定しますから、量でも質でも人間はAIに劣ると表現して良いでしょう。

これまで人間が担当していれば間違いないと思われていた作業が、AIの誕生により「実は精度は悪かった」「バラツキがあった」と気付かされる事例は、このレントゲンの事例の他にも多数出てくるでしょう。

本来なら機械に任せたかったのに人間が肩代わりせざるを得なかった作業が、ディープラーニングが登場したおかげで機械に任せられるようになった。この本質を見誤っていると、いつまでもAIと対抗・敵視したままで、AIによるメリットを享受できない状態が続くでしょう。


「AI」はどこに到達したのか?

東大・松尾先生は自著「人工知能は人間を超えるか」において「ディープラーニングによって人工知能は目を獲得した」と表現しました。

今までの画像認識技術は、目隠しされた状態でスイカを割っていたような状況でした。周囲にいる人間が「スイカは大きい!」「スイカはもう少し左!」と指図しないと、何もわからないのです。つまり、情報を与えないと世界を描くことはできませんでした。

ディープラーニングは、その目隠しを取る技術だと考えれば良いでしょう。代わりにハズキルーペでもかけましょうか。周囲が指示しなくても、とにかく膨大な情報量が入ってくるのです。人間が認識できていない、口頭で指示できない領域までも、情報として取得できるようになりました。それぐらい劇的な変革なので、松尾先生は「目を獲得した」と表現されたのでしょう。

静止画が対応できれば、続いて動画も対応できるようになります。動いているものを認識できるようになると、動かない物と動く物が混在する空間(家の中、街、倉庫…etc.)での活躍が想定されます。例えば物を摘む、運ぶ…。

ところが、なかなか掴む、開けるといった技術の再現が難しいとわかってきました。2015年からアマゾン・ピッキング・チャレンジとして、物流の自動化のためのロボットを製作して競い合う競技(2017年からアマゾン・ロボティクス・チャレンジに題名変更)が開催されていますが、今のところはブレイクスルーには至っていません。

もしかしたら、私たち人間が当たり前のようにできる肉体労働こそ現時点〜10年くらいの間は人工知能には難しく、適度な頭脳労働こそ人工知能が担えるかもしれません。


「AI」は限界を迎えるのか?

AIの限界点を上げればキリがありません。AIは錬金術では無いのです。ただし、恐ろしいほどの速度で「限界点と思われていた制限」は取っ払われているのも事実です。

例えば、2018年2月に国立情報学研究所教授の新井紀子先生が「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本を刊行され、「AIには読解力が無い」「AIが自然言語を読みこなすことは金輪際できない」と断言されました。

しかし2018年11月2日、GoogleがAI Blog(※2)にてBERTなる自然言語処理の手法を公開して、世界に衝撃を与えました。大学の読解力テストの結果、人間が82.304に対してBERTは87.433を叩き出したのです。AIには読解力があるように振る舞えますし、本が出てわずか数ヶ月後にはAIが自然言語を読みこなせるようになっていました。

新井先生には何ら非は無いのですが、今できないからといって、これからもできないと"言い切る本"は少し疑ってかかった方が良い時代になったとも言えます。

ちなみに、もし「1つだけ課題を挙げよ」と言われれば、私なら「技術は揃った、開発する環境も万端、じゃあ誰が作るのか。作れる人が圧倒的に少ない」という課題を挙げます。

日本にはAIをリードできる人材が圧倒的に不足していると言われています。しかし、それは先述したBERTを開発するような人材を指しており、不足して当然です。

問題は地方の中小企業や成熟した大企業にディープラーニングはおろか機械学習について理解している人が少なく(あるいは特定企業・業種に偏っており)、とりあえず知ってそうという理由でSIerに丸投げしてしまう現状にあります。

この寄稿を読まれている方も「自分の専門領域じゃ無いから分からない」「他の詳しい人に任せるから大丈夫」と思われているでしょう。そうした状況が需要と供給のバランスを悪化させ、さらに人手不足を招くのです。

AIやディープラーニングの凄さを理解できたのに、ここまで読んで自身の業務に活かせないと知らされるなんて! と思われるかもしれませんね。

ここで私が提案したいのは、ITやシステムは分からない、詳しい人に任せる、で済ませるのはもう止める、ということです。なぜなら、自分が何に困っているか相手に伝えるためには、相手の「言語」を使って説明する必要があるからです。

そして、その「言語」は世界共通で、誰しもが比較的簡単に学び実践できているのです。どうして「分からない」という理由で諦めるのでしょう。「やってみよう」という選択肢はありませんか?

PythonやRなどの言語でプログラミングができる機械学習エンジニアは、基本的には微塵もあなたの業界について知らないと考えるべきです。業界を知らない人に「私はこれをやりたい!」「こんなことに困っている!」と伝えても、チンプンカンプンでしょう。

まずは業界知識を共有して、必要なデータを公開して、自分の課題や仮説を説明して…そこまでの労力をかけるぐらいなら、自分で機械学習や統計学の勉強を始めた方がはっきり言ってコスパが良いです。

これからの時代、ディープラーニング(Deep Learning)よりキープラーニング(Keep Learning)=「学び続ける情熱」こそ、人間に欠かせない資質となるでしょう。

ご静聴ありがとうございました。


寄稿に書き足したかったこと

今となっては懐かしいwindows95の起動〜終了までの一部始終です。

当時、起動に時間がかかるという記憶も無いですし、インターネットのショボさも気に留めなかったですし、ただただ時代の最先端に立っているようでワクワクしかなかったです。(当時11歳の小学5年生だったはず)

しかし今見ると、遅っ、ダサっ、しょぼっ、そんな感想しか出てきません。それは新しい技術は常に古い技術を凌駕しているからです。新しい技術しか知らない人から見たら、windows95なんて「子供の遊びにもならない」と思われるでしょう。しかし、これこそが当時の「新しさ」だったのです。

そんな中で「これじゃダメだ。遅っ、ダサっ、しょぼっ」と言い切れた人こそが未来に目を向けていたのではないか…と最近思うのです。

ディープラーニング、そしてAIを取り巻く環境もそんな感じだと思っています。確実に未来を変える技術だとわかっているのですが、どう変わるか、何が変わるか想像できない人は大勢います。

95年当時のExcelを見て「これで業務が大きく変わるぞ」と発想できた人は何人いるでしょうか。しかし、そう確信できた人から未来を変えていったのは確かです。ディープラーニングやAIも同じだと思っています。

新しい技術が出てくる度に、windows95のUXを思い出しては「まずは触ってみないとな」と考える次第です。

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松本健太郎

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