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過去からの開放・・・かな

人は過去の出来事、物にも縛られ、自由になれないようだ。
過去の遺物ともいうような、野鍛冶で使う金床を処分したら、今までに無い自由感が湧いてきた。たった一つの金床に縛られていたようだ。


工場内や周りに有る鉄くずを見ると、無料回収者が回ってきては回収したがる。まだ片言の外国人に外のを任せたら、もっと欲しいと言いだし、しかも外は以前よりも散乱させたままだった。パソコンなどは回収するが、金をくれと言うし・・・、けっきょく断った。まあ、かなり良い鉄板や丸棒、ステンレスや銅だけは無料で回収したが。

その後、日本人の回収業者が来たので、どの程度の物を回収するのか見積もりを聞いた。中を見て、ほぼ全てを回収して、中にはまだ充分に使える物も多くて、内外の片付けもすると言う。もちろん無料で、パソコンやモニタ・テレビ・ビデオデッキ・CDラジカセなど、その他の廃棄物処理費用、小型家電リサイクル法の回収費用なども要らないという。

2日間に渡り周辺のゴミや、溶接機・ボール晩・その他様々な、その気になれば直ぐにでも再会できる機械や道具を回収してもらった。

最初の日に入り口近くに有った、金床を持っていった。これは思い出がありすぎて、この金床1基のために何も整理できなかった。それが無くなり、気持ちが晴れたようで、2日目は着替えて手伝うことも出来た。

作業着など久し振りで、面白いものだった。一日ノンビリとしてるよりも、多少の労働の方が人には良いのかもしれない。


今朝YouTubeを何気なく見ていたら、野鍛冶の仕事があった。この中で使われている各種の「火箸」を、金床と大きな片手ハンマーで作らされた。古くなったヤスリを、ナイフに作り替えたり、農家の農具の修理もさせられた。

弟が会社を継いで、妹が事務をし、この頃の両親の頭には、どうやら自分はいなかったようだ。野鍛冶の仕事は、物を作るという面白さを覚えさせ、体力を付けさせるためだったようだ。それと、いつ居なくなっても、死んでも良いように対応を考えていたのかもしれない。

妹は勉強のために某化粧品会社に就職し、語学力を認められ、発のNY支店開設に行くことに成った。弟はゼネコンに就職し、ちょうどあの頃に国際通貨制度の変化と中東の地域紛争で、残された自分が大不況の中、継ぐことになった。


50年後、親の期待通りには行かないで、未だに生き延びてるし、工場は閉鎖した。

わずかな道具類、始めるなら田舎で農機具の修理の、少しくらいなら出来そうな物を見てると処分できなかった。特にいつも毎日鍛えられた金床が目に付いていた。この小さな仮設工場、いつの間にか物置小屋になり、ビニール袋やロープは粉のようにボロボロになり散らかり、段ボールは崩れ、道具類は整理もされずに散乱していた。

入り口の金床を見ると、最後の砦、ではないが、処分できなかった。

いよいよ片付けなければと思っていたので、回収業者に頼み、金床が真っ先に運び出された。この金床だけは残したかったが、目を離した隙に車に乗せた。2日目の朝に金床のあった所を見ていたら、何となく気持ちが吹っ切れたようだ。

野鍛冶など出来る体力も無いし、何よりも頸椎ヘルニアで右手に力が入らない。ハンマーなど振るう事は出来ない。


兄弟達は・・・、一人は農家に嫁いでバアさんになり、一人は相変わらずゼネコン勤務だがそれなりの役付きになってる。子供二人も、それぞれ親元から独立して、それなりに充実した生活を送っているようだ。全員が自分の希望した「場」を得たわけでは無いだろうが、悪くは無い生活を送っているようだ。

自分は親の期待通りには行かなかったが、こんなモノかな。
これで良いのかもしれない。

人の浮き沈みや、場外退場も見てきた。生き方というのは、おおかた思い通りには行かないようだ。だから面白いのかもしれないが。

あの金床も、いずれは鋳つぶされてしまうだろう。金床にしては誠に不本意なことだろう。それもまた、こんな所に来てしまった運命だろう。共に、仕方ないと諦めるだけだ。

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