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『紫式部日記』を借りてきた

【図書館の立ち読みで誤訳して笑えた話し】
テレビの前で、あまりにも時間を持て余して、立ち上がるのも面倒になってきた。これではいけないと、図書館に行ってきた。テレビの影響も若干あり、今年は放送授業で「『枕草子』の世界」の受講と、『源氏物語』を読んでみたいと思ってる。今年度はかなりのボリュームの授業を受けることになりそうだが、歩くのが億劫になると、その分好奇心ばかりが強くなってしまう。

で・・・、『源氏物語』の現代語を探そうと図書館に行ってみた。どうも『源氏物語』は、手当たり次第に女に手を出したり、幼い子供を自分の家に引き取り理想の女性に仕上げて自分の妻にしてしまう、ただの変態男の話しに思えて気が進まない。万葉集や説話や歌謡、さらには漢籍も学び、日本独特の文学を育て、素養を数百年間に渡り醸成し蓄積され、集約されたものが『源氏物語』だ。この後の文学界に大きな影響が、現在まで続いている、という事らしいので、せめて現代語訳だけでも読まなければ、と思うのだが・・・。

藤原道長や清少納言、和泉式部、紫式部などよりも早くから参内し、彼らよりも長く生きた文人赤染衛門の『栄華物語』にも興味があり、探していたら『紫式部日記』を見つけた。

これが読んでいて余りにも面白くて、クスクス少し声を出して笑ってしまった。余りにも面白いところでは、ククククと声を出した。フッと見たら、近くでしゃがみ込んでいた女性と目が合って、とりあえず本を借りてきた。

『紫式部日記』は道長の娘彰子と一条天皇の子の出産記録として、また宮中行事や宮使いとしての心得などを書いた物とされているが、同時に宮中内部の人間関係とか、他人を評価したり自虐的になったりして、読んでいて笑えてしまう。ある程度人に読まれることを覚悟した書きぶりのようだが、一種随筆的な、ちょうどnoteに向かっている自分と同じ様な気持ちも表れてしまうのだろう。


以下、笑えるところを少し抜き書きしてみると。

右大将(藤原実資:TVでは色黒のおデブ)なんかさあ、酔っ払っちゃって柱にもたれかかり、女の子の服の袖なんかをいじっていて、どうせ私なんかもう年寄りだから声も掛けやしない。祝杯が進み歌の順が来ても、大して上手くもないから、無難な千歳万代なんていう歌なんかでごまかしてた。周りは若くて綺麗な女の子ばかりだから、私は目立たないように静かに陰にいたら、とつぜん藤原公任が来てさ「若紫、若紫はおりませんか」などと、源氏物語の中の名なんかで私を大きな声で呼んでて、はい、何て出られるわけないよ。あれは物語なのに、バッカみたい。

彰子様が宮中へお帰りになるので、みなが片付け物などで忙しいと騒いでいるのに、彰子様は私をお相手に物語の製本ばかりしている。道長様が来て、墨や硯や高級品の色つきの紙など最高の物を揃えたのに、全部紫式部にあげてしまったそうだな、まあ良いけどさ。などと私が居ないと思って話してるから、何となく出られなくなってしまった。

和泉式部という人、色恋の文はサッと書いて、それが実に上手い。天賦の才能があるかもしれないけど、ただの男好きじゃないの。趣向の凝らし方や古歌の知識もないし、本物の和歌の作り方とは違うでしょうに。それなのに、他人の歌の評価などして、私からしたら大したことないのに、自慢ぶるんじゃないよ。

清少納言などはすっごい得意顔した物言いで腹立つわ。如何にも自分はお利口だなんて思わせぶりに漢文を書いてるけど、酷いもんだわ。だいたい、この程度で偉そうな態度を取るなんて、将来ぜったいに良いことないから。

左衛門の内侍という女、自分のバカを棚に上げて、私の事ばかり陰口を言って頭にくるわ。一条天皇が、私の書いた『源氏物語』を人に読み聞かせ、この作者は『日本書紀』にも詳しいようだ。漢学の知識も大したものだ。などと褒めたりするから、男でも漢籍の知識をひけらかすと出世など出来ないのに、女のくせに身の程知らずね。などと酷いことを陰で言ってる。

私はね、父が弟に漢学を教えているときに、教えも受けていないのに全部覚えてしまったの。父は私があまりにも頭が良くて、早く漢学を暗記してしまうものだから、お前が男であったら、などと言って嘆いていたけどね。彰子様が漢籍の勉強をしたいと言われても、人の居ないところで教えるようにしてるの。私は他の女房達に合わせて、「一」という字も書けないのよ、ホホホ、何て誤魔化してるので、あんなおバカな連中に合わせているので、疲れてもう宮中に行くのが嫌になってくる。


古語辞典もなかったので、適当に自分なりの訳し方で読んでいた。それが砕けすぎて、自分でも笑いが堪えられなくなってしまった。

清少納言や和泉式部や、女房仲間の左衛門の内侍の悪口を書いたり、同僚の女房達からの陰口にクヨクヨしたり、読んでいてまさにテレビで見てる「まひろ」そのままに思えてきた。

現代語訳で読もうと借りてきたが、いざ家に戻ると、読んでも、ああそう、というくらいの感じ方になってしまった。古典ってものは、その時の気分で読むのも大事なのかな。へんに現代語訳や古語辞典を引きながら読もうなどとすると、まるで高校の授業のように成ってしまい、楽しむ事なんて出来なくなる。

まあ、『源氏物語』現代語訳本は、あくまで訳した作家が新たに書いた小説として読むようかな。面接授業での「『源氏物語』の世界」や、清少納言の『枕草子』早く学びたい。4月までに現代語訳で読んでおこう。


追記
夜中に、勢いに任せて書いてしまったけど、今朝は暖かい布団の中で猫を抱きながら考えた。宮中の宮使いの女房達は、みんな家柄が良くて、若くて美しい、チャンスが有れば良い男と結婚が出来る。それに比べ、この時の紫式部は40歳くらい、しかも夫の宣孝と死別し、幼い子供を抱えた二人だけの貧しい下級の公家暮らし。自虐的になり、出仕が嫌になるのもわかる。

清少納言とは直に会った可能性などないが、『枕草子』の中で夫宣孝の名前を出して書かれ、その『枕草子』があまりにも評判なので、しかも清原家という名門貴族の出自では、しょげてしまうのもムリはない。道長からお誘いの和歌が来たり、ちょっとしたドキドキも有ったようだが匂わすだけ。自選和歌集ではかなり怪しいけど。

古典って、推理小説のようで面白い。4月から学ぶのが、いよいよ楽しみになってきた。

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