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しおり山

昨日の晩ご飯を食べた後に、docomoオンラインショップでGooglePixel8を注文した。2日には着くということで、SuicaやWAON、その他のカード情報の引き継ぎを始めたが、しだいに目がよく見えなくなってしまった。しかもデータの引き継ぎも面倒で・・・。

YouTubeで調べたら、逆に解らなくなった。我慢できずに寝たら、久し振りの爆睡。目が覚めたら既に6時、よく寝た。しかも睡眠レベルは80とは、普段は70くらいで途中覚醒も多く、疲労感があったのに。

熟睡はできたが、幾つもの部屋が荒らされていた。ふたりが暴れていても、全く気付かなかったようだ。

ゆっくり散歩をして戻ったが、朝食の用意はしたものの、全く食欲が湧かず、何となくボーッとしていた。また冠動脈狭窄では無いと思うが、今までのとは少し違う圧迫感と息苦しさだ。

この前、遠縁のタカ姉と久しぶりに会った時に、赤城山の中腹にある赤城温泉郷(湯ノ澤温泉)に行きたいと話した。県内のある程度の温泉は回ったけど、ここはまだ行ってない。昭和5年の『温泉大鑑』には記載が無く、16年の『温泉案内』(鐵道省編纂)に3軒の名があるだけだ。本来の温泉の名は「湯ノ澤温泉」という、鉄鉱泉で、新島屋・元東屋・新東屋の3軒の宿名がある。近くの沢には国定忠治が隠れたという穴や、不動の瀧という名瀑があるという。若い時にその瀧を一人で見に行き、道に迷って数時間掛けて下に下り、県道まで行って車のところまで戻った経験がある。車など停められるような幅ではなく、未だに忘れられない想い出だ。

元々は何件だか知らないが、全景図で見るほど広くはない。明治の初め頃には1軒が湯治自炊の湯宿として営業してて、後に売却さられて3軒になったと聞いた。途中を右に行くと一軒宿の赤城温泉忠治館がある。余り広く知られた温泉ではないが、道に迷ったことから、気になりつつも未だに行ったことがない。


甘味処で話題が温泉に移り、不動の瀧で遭難しそうになった話になった。今度行きたいというと、タカ姉も付き合うと言った。2歳年上の割には、背も高く髪の毛もほどよく茶色に染められ、自分よりもズッと若く見える。歩くのも速く、ハキハキとした物言いと背筋の伸びた姿は、むかしから頼れる、本当の姉貴のようだった。

「タカ姉とお泊まりも良いけど、また子育てなんて面倒なことだ」
「あらやだ、そんな元気はまだ残ってるの。あんた、かなりジイさんになったから、子供が出来たら、わたし一人で生んで育てても良いわよ。ついでに、あんたが寝た切りに成ったら、一緒に並べてオシメの交換もしてあげるよ」
大きな声で、カッカ、カッカと笑いながらそんな事を言う。そんな事が、ごく普通に言えるような歳になったのかな。

「温泉も良いけどさ。余り人の来ないような、静かな山の中で、小さな貸し切り露天風呂なんかがあってさ、2泊か3泊くらい居ても飽きないような、二人で手を繋いで歩けるような所ってないかな」
遠くを見るような眼差しは、年齢の割に若く綺麗に見えた。
「二人でねえ・・・、羨ましいねえ」
「なに言ってんのよ、あんたと二人よ。あんたも若くはないから、今のうちにノンビリと楽しもうよ」

「えぇー。タカ姉、僕よりも若く見えるから、夫婦に見られてしまうよ。それって、誤解されるよ」
「良いじゃない。だってさあ、あんな事が無ければ、あんたは私のご主人様になってたのよ。50年ぶりの浮気旅行、というか不倫旅行というか・・・、もう二人とも独身に戻ったから婚前旅行かな。今日出掛けに祥子さんに言ったら、あらお母様羨ましい、ですって。
もう長男の嫁のお墨付きよ。堂々と行きましょうよ」

相変わらずの押しの強さに参った。サッと行ってサッと帰れる距離の、しかも少し広い街を歩いたり食べたり、休みながら景色を眺めたり出来る、鬼怒川温泉に行こうとなった。時々にしか会う機会はないが、こんな浮いた話をしてると、何となく今まで姉貴のような存在だったのに、少しドキドキするような相手に思えてきた。

「送るよ」
「イヤよ。あんたの車、小さくてシートも汚れてて、ゴミも片付けてなくて・・・。タクシーを頼むわよ」
そう言うとレジの方に行き、支払いをしながら何か話していた。
「タクシーは直ぐ近くに営業所があるので、5分も掛からずに来るそうよ。鬼怒川ね。宿は私が予約しとくね。2泊にしようよ。お部屋に小さなお風呂が良いね。あんたの車は軽だから、電車で行きましょう。ワクワクしてきた。
ねえ、本当に子供を作っても良いわよ」
楽しそうに、少し声を大きくして話すので、離れた席の中年女性グループが下を向いて笑ってた。
「よぉし、その日は頑張ろうか」
調子を合わせて言い、二人で笑ってしまった。
これが老人の会話かなぁ、なんて。

タカ姉はご主人を若くして亡くしてから、女手一つで子育てと家業を守り、以前にも増して事業拡大を成し遂げた。それに比べ、長く生きた割には何も出来なかった悔いが、恨めしさが自分にはある。

あの山のような、せめて家族だけにでも頼られるような、小さくてもいい、しおり山に成りたかったのに。土手の上を歩きながら、長かったのか短かったのか・・・、所詮は誰もが同じような、川の流れの中に出来た、一つの泡でしかなかったのかもしれない。

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