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「釵頭鳳」を聴くと

 童麗の「釵頭鳳」を聞いてると、遠い遠いむかしの、赤いスカートに白いシャツ、おかっぱ頭を思い出す。

この陸游の詩、「釵頭鳳」の故事は以下の通り。

陸游には幼いころから一緒に育った、唐琬という表妹(いとこ)がいました。唐琬の母親はすなわち陸游の母親の嫂(あによめ)でした。二十歳の時に、陸游は唐琬をめとります。二人はとても仲が良かったのですが、母親はなぜか嫁が気に入りません。一説では、陸游の母親が実家にいた頃、唐琬の母親、すなわち嫂と折り合いが悪かったとか。あるいは占い師が唐琬を中傷したことが影響しているなど、いろいろな憶測があります。

そして結婚から一年後、とうとう唐琬は陸游の家を出されてしまいます。唐琬は完全に離縁されたのではなく、別居を命じられたようなのですが、その後も二人は密会を重ねていました。しかし陸游の母親に察知され、とうとう二十三歳の時に陸游は王氏という後妻と結婚させられます。そして陸游は科挙の受験勉強に励むのでした。

その後、唐琬の実家の唐家も陸家の仕打ちに憤り、唐琬を趙士程という著名な読書人のもとへ嫁がせます。趙氏は南宋皇室の親類でもあります。この趙士程はなかなかの人物で、唐琬に同情して丁重に扱います。また彼は陸游の文友でもありました。

唐琬と別れた後に猛勉強に励んだ陸游は、29歳の時に科挙に合格します。しかし試験結果が秦檜の孫の秦塤の上に出で、これが秦檜の怒りに触れたといわれます。これがもとで官界では出世せず、任用されたのは秦檜の死後、三年の後でした。いかにも奸臣秦檜らしいやり口のように見えますが、実際には陸游が熱烈な主戦論者で、秦檜の金との和平策に反していた、という事が大きいといわれます。陸游と秦塤は後々まで友人として交際しています。

陸游は31歳の春に、紹興の沈園という庭園で、偶然唐琬に再会します。二人っきりでばったり出会ったのではなく、互いに誰かを連れて花見の外出でもしていたのでしょう。この時唐琬は、陸游が好きだった料理に酒を添えて送ってよこしました。

これに深く感じ入った陸游は、”釵頭鳳”という形式の詩歌をつくって唐琬に贈ります。唐琬もまた”釵頭鳳”を返し、これに唱和しました。その後ほどなくして唐琬はこの世を去りました。後年、陸游は何度も沈園を訪れ、詩をつくり、晩年に至るまで唐琬を偲びます.

断箋残墨記

 三歳の頃から祖父の田舎の家に行き、書を教えられ、神道の考え方を教えられた。時には菩提寺の住職の家にも行き、真言宗の仏教も教えられた。そして、広い庭で放し飼いの鶏や犬や猫達と遊ぶのが楽しみだった。

 いつの頃からか、おかっぱ頭の女の子が付いてくるようになった。もう70年近く前の田舎のことで、この子の赤いスカートと白いシャツ姿は綺麗に洗濯されていて、印象に残っている。

 小学校の低学年の頃、昔の田舎のコンビニともいえる万屋で菓子を買い、店の道向こうの小さな神社の軒下で一緒に座っていた。店のお婆さんが茶碗に飲み物を入れて持って来て、三人で座って話した。お婆さんの話で、その子は「イイナズケ」だと聞いた。その意味が良く分からなかったが、いつかはこの子は自分のお嫁さんになり、一生この子を大事にしなければならない、そんな事を聞いた。

 祖父の家に行くと、気が付けばいつの間にか近くに来ていた。短いスカートから出てる足は、毎回虫刺されの痕があり、それが気になっていた。痛くも痒くもなかったようだが、いつものように万屋で菓子を買い、神社の軒下に据わり、その虫刺されの痕にツバを付けてさすってやった。傷にはツバを付ければ良いと聞いたことがあったので。

 さすってやった後に、初めてその子を抱きしめた。今の大人のようなイヤらしさではなく、ただ何となくそうしてしまった。大事なものを、大切に扱うために、そうしてしまった。温かくて何となく甘いような汗の匂いもして、その感触は今でも鮮明に思い出せる。

 中学に入る頃、田舎に行ってもその子が来なくなった。何度目かにきいたら、もう忘れるようにとだけ言われた。万屋のお婆さんに聞いても、仕方ないよ・・・というような、それ以上聞いてはいけないような風だった。

 許嫁だと言われながら、ある日からとつぜん逢えなくなり、その理由も良く分からないままだ。中学に入り、田舎に行く機会も無くなり、しだいにそのこの顔も思い出せなくなった。

 道路の拡幅工事で万屋さんの家はなくなり、次第に住宅も増えてきた。今でもかつての万屋さんの道むこうには神社が残ってる。祖父に会いたくなり、墓を訪ねる時にこの道を通り、小さな神社を見る。オモチャのような神社に、飾りで付け足したような軒があり、あそこに二人で腰掛けていたのかと懐かしく感じる。

 とつぜん逢えなくなった理由は未だに分からない。チョットか弱そうな、痩せた子だったけど、今は元気に暮らしているのだろうか。名前も顔も思い出せなくなった。小さくて温かだった、感触だけは残っているのに。

 陸游の「釵頭鳳」の故事の古詞、この悲しい歌謡を聴くと、痩せて虫刺されの足を思い出す。幸せになっていたら良いけど。

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