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美しく老いる秘密は

 若いときに美人と言われていた人がいるが、高齢者になっても衰えず、歳に応じた輝きがあり美しいと思える。単に化粧だけではない、知性と頭の回転の速さ、話すことがいつまでも若々しく魅力的だ。一般的にいわれる後期高齢期に入っても、老人らしさを感じさせず、個性的な魅力を増して人を引きつけている。その秘訣は何なのだろうか、後期高齢者に近づくにつれ、考えるようになった。

 若いときに何度か訪ねた大叔父がいる。この人の奥さん、大叔母は親族の中でも有名な美人だった。陰で化粧が濃いなどと言う者もいたが、子供心に日本的な穏やかな瓜実顔で、優しくて目元がスッキリした美しい人だと思えた。その大叔父は我が親族の血統を受け継いでいた証明のように、60代であっけなく亡くなった。大酒飲みで気前が良くて親分肌で、他人の借財に奔走したり保証人になったり、結局どうにもならずに父や他の大叔父達を頼ってこられ、困っていたことが何度もあったと聞く。

 大叔父の家は何かの卸をしながら、自宅でも小さな商店を開いていた。葬儀の後、もうあの店もお終いだと噂をしていたのを聞いた。葬儀の日に、大叔母は懸命に悲しみを堪えていた。あんな大叔父のどこが良かったのか、火葬場では人目に付かない所で泣いていた、喪服の似合う綺麗な横顔が忘れられなかった。

 数年後に父を乗せて訪ねる機会があった。子どもの一人が後を継ぎ、商売は続けていて、以前よりも繁盛をしたようだ。大叔母は葬儀の席で会ったときの印象よりも、若く輝いて見えた。家業の関係でも美人で有名で、酒の席や業界の集まりにも呼ばれることも多く、積極的に顔を出し、様々な所にも出掛けていたそうだ。その時に聞いた話では、選挙活動などで事務所の手伝いなどに呼ばれることが多かったらしい。年齢の割に若く見られ、気さくに話しかける人柄は、若い運動員に慕われて、事務所内を纏める力もあり候補者としては喜んでいたとか。

 大叔母は自他共に認める美人で、80歳を過ぎる頃まで現役で頑張っていた。親族の法事のときなどで挨拶をすると、会うたびにハキハキとした動きと若々しさが増していた。単に化粧だけでは無い、目の輝きも増していたようだ。かなり事業でのキツい時期も、大叔父の兄に助けられながらも乗り越えてきた、その自信もみなぎっていたのだろう。

 この元気だった大叔母が入院したと聞き、見舞いに行く前にあっけなく亡くなった。最後の別れで見た棺の中の顔は、初めて会ったときの、若かった頃と同じ様に美しかった。孫を育てながら子ども夫婦を手伝い、様々な席に呼ばれることで人の注目を集める、そのために新聞や読書を欠かさず、化粧もお嫁さんよりもシッカリとしていたとか。人から美人と言われると、それを保とうと努力をし、人と接することが多くなると話題や世間の出来事に着いていけるように努力するようだ。そういう緊張感が、いつまでも若さを保つ秘訣なのかもしれない。

 近い親族の中に、実際に会ったことは無いが、伝説的な美人がいたそうだ。父もその叔母に会えることは嬉しかったらしい。父の家系の顔立ちで、目鼻立ちがハッキリした洋風の顔で、ジッと相手の目を見ながら話す人だったらしい。多くの家から結婚の話が出ていたが、ある日大所帯の組長が訪ねてきて、1年間通い続けたとかで、とうとう組の後継者と結婚をした。一生涯何もしなくても良いし、金銭的な苦労は絶対にさせないと約束をしたそうだ。実際に、女中さんが数名いて、亡くなるまで掃除洗濯など何もしなかったという。組長の少し引いた横に座り、組全体を指示していたそうだ。恐い顔の組長や組頭や三下という組の主要な人達に、面と向かってジッと見つめながら話すと、みな目を背けて臆してしまったそうだ。

 戦後のいろいろと大変な時期があり、抗争もあったそうだが、話し合いは組の家で行われた。叔母が美人だと有名で、他の組の者も来たがったとか。問題が起きると話し合いの席に叔母も同席して、近くでジッと見つめてると、恐い人相の人もおとなしくなったそうだ。夫の組長が亡くなった後、短いあいだ組を仕切り、解散させた。残った者の再就職の手伝いをしたり、若い衆のために動いていた。家事については最期まで何もせずに、お手伝いさんが広い家の掃除洗濯から、買い物や身の回りの世話まですべてをしていた。元組員家族の面倒まで見ていたようで、それでも最初の約束どおり、金銭的には一切の不自由は無かったそうだ。伝説的な美人という人を見てみたいと思うとともに、その人の話を聞いた時に、一生楽に暮らせるほど儲かる仕事なのかと思ったものだ。

 最期は癌で亡くなったそうだ。咽頭癌であったが手術や治療を断り、数名の元組員とお手伝いさんに見守られながら、自宅で息を引き取った。喉の奥や上あごの骨を削らなければならず、顔が変わってしまうのを嫌がったそうだ。先に逝った夫が好きだった顔のままでいたいと、強烈な痛みのはずなのに、何も言わずに堪えていたそうだ。他の組長が見舞いに来ると、自ら化粧もしてから会ったそうだ。最後の最期まで自分自身を失わないように頑張っていた。晩年の質素な生活に比べ、葬儀は稀に見る盛大なもので、和服の似合う美人で、腹の据わりは男勝りであったと聞かされたそうだ。死に顔は苦痛も消えて、穏やかな笑顔を浮かべた、優しそうな綺麗な顔をしていたそうだ。父や叔父達にまで、この人は有名だから、よほど綺麗な人だったのだろう。

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 身近な人にネエがいる。父の妹で、産まれたときから子守として世話になっていた。高校は私の家から通い、卒業して早い時期に結婚をした。ネエは高校でも校内一の美人といわれ、一緒に暮らしていた家の周りでも有名だった。近くの工場の人が毎日のように数人で会いに来るほどで、面白い話しが幾つもある。

 高校卒業前から父の実家に幾つもの結婚の申込があり、大きな機屋に嫁ぐことになった。戦後の農地改革で多くの土地を失い、各地の親族も決して裕福では無くなった時で、一族の急激な凋落に金銭面で困窮を極めていた。相手は旧家で古くからの大きな機屋を営み、話しはトントン拍子に進んでいた。

 結婚相手の紹介を兼ねて、友人を集めて飲み会を開いたときに、友人の一人がネエに一目惚れをした。家内工業的な小さな機屋だったが、余りにも強引さに、とうとう両家と二人が折れて、叔父と結婚した。命を懸けて尽くすと言った言葉通りになったというのか、叔父は60歳頃に亡くなった。ネエは一人で、娘三人と姑の面倒をみた。

 というと、家の中で倹つましく暮らしてるようだが、元来明るい性格で、様々な行事にも出席して、充実した時間を過ごしていた。父と似て顔が洋風で痩せて背が高く、何でもハキハキ言う性格でもあり、人気はあったようだ。父の言うには、見た目ほど生活は楽ではないはずだが、娘たちの性格も華やかで明るいので、町内の人達や同業の機屋に助けられていたようだ。

 結婚式には父と並んで亡き母親代わりになった。明るい性格で話題の豊富さから、式後は父の友人や仕事仲間から、美人だとか父の愛人かと、随分と盛り上がったそうだ。ネエ一人が話題の中心になり、義母は途中で怒って帰ってしまった。

 他にも数人の人を見て、元々の美人と言われた人も、余りそうでもないのに年齢を重ねるとともに綺麗になる人も、その生活ぶりを考えるとみな似ている。人前に出ることが多く、積極的に参加してハッキリとした意見を述べる。性格は明るくて、悔やんだり後悔したりしない。何よりも、けっこうなストレスを抱えているが、そのストレスも外の活動で適当に発散できてる。

 他人からの見た目、見られ方を意識している。これは若いときから綺麗だとか美人だと言われていた人に特に多い。夫の陰に隠れていたのに、ある日とつぜん夫の代わりに表舞台に立つようになり、懸命に化粧をして作り笑顔をして、それが習慣化した人も綺麗だ。
 歳を取って面倒になり、何もしないでグズグズしてると、顔つきは間の抜けた顔になり、臭くて不潔感のある老人になるようだ。女性だけではなく、70歳を過ぎても現役で仕事の第一線で活躍してる人は若々しい。知人に自営業が多いので、この高齢になっても先頭に立つというのは、次世代の育成にはなっていないように思えるのだが。現役を引退後、若い友人と楽しく過ごしてる知人もいるが、かなり若い人との付き合いをはじめると、やはり見た目を気にするのか若々しくなる。そして何故か夫を失った女性の方が、独特な美しさと輝きを感じる。

 他人の注目を浴び見た目を気にして、誰とでも話が出来る広い話題があり、若干のストレスが常にあり、その解消法も心得ている。どうもその辺に衰えないという秘訣があるようだ。独居老人として自由に暮らせるのは良いが、自由すぎて他人との関わりを絶ち、臭くて不潔な老人になることは気を付けなければ。
 
 いつ若い友人が出来るか分からない。というか、少し気になる人がいて、この歳になっても、外に出る時には着る物にさえ気を遣ってしまう。人に知れればエロ爺といわれそうだが、そういういささか秘めた想い人は、独居老人には生きるよすが、少しの緊張感にも成る。それが旅先の、年に数回も逢えないような人なら尚更かも知れない。・・・話題がずれたかな。

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