本で伝えたかったこと
昨年、私は「超訳・古事記入門~天地開闢編~」という本を書いたのですが、実のところ
古事記についてのウンチクとか、古事記に関する知識を伝えたかったわけではありません。
勿論、古事記がきっかけで私は「わたし」のことが分かるようになったし、生きるのがとても楽になったのですが、古事記そのものというより「超訳」したことが、私にとって意味をなしたのです。
ですから私にとって、古事記は手段であって目的ではない、のです。
本当に伝えたかったのは、「あなたが、本当のあなたとして生きる素晴らしさ」です。
私は、物心(ものごころ)が付いてからというもの、ずっと生きづらさを感じていました。
私は、目の前に広がる世界の中にいて、常にどこか緊張していました。
私は、目の前で展開する世界のスピードについていけない自分を感じていました。
子供の頃、親や先生から何かにつけ「早くしなさい!」と注意を受けていました。
私が、何かにつけ反応や行動が遅かったからでしょう。
実際のところ、今でも遅いのです。
みんなで話していても、私は結構黙っていることが多いのですが、これは会話に参加していないわけではありません。
誰かの発言に対し、頭の中ではリアクションしているのですが、内容を整理しているうち、次の会話に移ってしまい発言の機会を逃してしまうのです。
まるで、重いパソコン画面に表示される、あの「くるくる」回るやつみたいなものです。
ですから私は、アドリブとか大喜利みたいなことは、大の苦手です。
そのかわりと言ってはなんですが、くるくる回っている状態のとき、頭の中では相当深いところまで検証しているんですね。
みんなで何かの問題について話し合っていて、「あっ!そうだ!」と素晴らしいアイデアを思い付くことがあります。但し、それが翌日だったりするわけです。
現代社会においては、タイミングとして、それではダメなことが多いじゃないですか。
家庭でも、学校でも、部活でも、会社でも「遅さ」が評価されることはありません。
「遅いけど、そのかわり深いんですけど。」と言っても通用しません。
仕事の場合、「遅いけど、丁寧に、そして確実にやっています」と言っても、
「いや、仕事は丁寧に確実に、そして早くやれ!」と怒られて終わりです。
私には弟と妹がいるのですが、二人共頭の回転が早く、「口から先に生まれてきた」と言われるぐらい口が達者で、アドリブにも強く、大喜利とかできるタイプです。
彼らと比較されることで、私の遅さは際立ちます。
最初は、もしかして私はポンコツなのかな?という疑念だったと思います。
その疑念から「私はポンコツ」仮説が生まれ、その仮説を証明するような出来事を自ら探し求め、コレクションしていき、ついには確固たる信念(ビリーフ)になるまで強化していったのでしょう。
「私はポンコツ」という信念は、私の中に劣等感を生み、さらに「親の期待に応えられなかった自分」という罪悪感と絡みついていきました。
劣等感と罪悪感は、「悲しみ」という感情に結びついています。
劣等感と罪悪感は、他人には知られたくないので、無意識のうちに「悲しみ」と一緒に隠しました。
無意識の中にある「劣等感」「罪悪感」「悲しみ」は、私の目の前の世界に投影され続けました。
物心(ものごころ)が付いてからというものずっと・・・。
物心(ものごころ)というのは、自我の心です。
物理空間にたゆたう心です。
物心は者心でもあります。
「私は、こういう者です」という心です。
セルフイメージとも言います。
私たちはが、生きづらさを感じ始めるのは、物心(ものごころ)が付いてからです。
物心(ものごころ)が付くまでは、いま「あなた」が「自分」だと思っているものは存在しないのです。
私たちは、オギャーッと生まれたときから「自分」をやっていると思いがちです。
しかし、実際のところ、
二歳ぐらいまでは、つまり自我が形成され、物心がつくまでは
いま「あなた」が「自分」だと思っているものは存在していなかったのです。
じゃあ、何が存在していたのかというと、
何の分別もなく、判断もなく、評価もなく、ただじっと目の前の世界を観察していた
赤ちゃんの意識
純粋な意識だけがありました。
私たちの本質はそれなのです。
私たちは一旦、自分というものの本質に戻ることで、
「仮の自分」を手放し、「本当の自分」らしく、より豊かに、より楽しく人生を生きられるようになります。
自我の私と、本当のわたしが、仲良く遊ぶことが大事なのです。
私自身も、劣等感、罪悪感、悲しみと一緒に隠していた
「頭の回転が遅いポンコツな自分」を陽の当たる場所に引きずり出し、
古事記の超訳を始めたことで、いろんなことが変わってきたのです。
このことは、本の中で一番伝えたかった部分ではありますが、私たちには物心がありますから、なかなか受け入れられません。
ですから、これからも古事記のエピソードを例え話としながら、noteの記事や本を通してお伝えしていきたいと思います。
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