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アマテラス 岩戸籠りの意味 <前編>「見畏みて」 ~ 古事記の暗号 3

アマテラスは高天原でのスサノヲの狼藉をみて、天の岩戸に隠れたとされています。

スサノヲの狼藉を 「恐れて、岩戸に隠れた」 或いは

「怒って、岩戸に隠れた」 と訳されることも多いのですが、

私個人の意見として、そうした訳は微妙にニュアンスが違うと思っています。


アマテラスは、

「恐れて、岩戸に隠れた」~スサノヲに恐怖を抱いて、目の前の現実から逃げたのでもなく、

「怒って、岩戸に隠れた」~ 遂に堪忍袋の緒が切れて、ストライキに及んだわけでもなく、

勿論、世界を闇にして、みんなを困らせてやろうとしたわけでもありません。


というのも、原文には

天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理坐也。 と、あるからです。

天照大御神見畏(み、かしこ)みて、天の岩屋戸を開きて刺許母理(さしこもり)坐(ま)しき。

「見畏(かしこ)みて」の「畏(かしこ)」には、確かに恐れるという意味もありますが、

単に恐れてビビる、というニュアンスではありません。


接客で、お客さんに「かしこまりました」と言うときの「かしこ」です。

祝詞の最後に「畏み畏みも申す」と言うときの「かしこ」です。

手紙の最後に「あなかしこ」と書く場合の「かしこ」です。

これらの「かしこ」が、「マジ、超怖いんですけど」という意味ではないことは明らかです。


この場合の「かしこ」は、「謹む」という意味合いです。

時節柄、「謹んで新春のお慶びを申し上げます」というときの「謹む」です。

「謹む」とは、相手を尊重し、礼儀を失わないようにかしこまることです。

つまり、「畏み」には単なる恐怖という意味合いではなく、「相手を敬って、自分の行動を慎む」というニュアンスが含まれます。

「アマテラスは、スサノヲの狼藉をみて、畏み、天の岩屋戸を開いて、そこに閉じこもった」

天の岩屋戸というのは、洞窟のような場所で、そこに閉じこもる、というのは何を意味するかを考える時、古代において洞窟は何であったか?に意識を向ける必要があります。

古代において、洞窟とは、住居であり、墓所であり、聖所でした。

かつて洞窟は、

雨風や危険な獣など、自然の脅威から身を守ってくれる生きるための住居であり、

に至っては、永遠の眠りにつくための墓所であり、

また、霊的な再生を期する儀式のための聖所でもあったのです。

私が住む熊本には、晩年の宮本武蔵がこもって「五輪書」を著したとされる霊巌洞という洞窟があります。

洞窟には古くから「古い自分が死に、そこからもう一度新しい自分が生まれてくるための母胎」というイメージがあり、それゆえ修行者は洞窟にこもったのでしょう。

アマテラスの岩戸籠りは、こうした霊的再生を期して行われた参籠(さんろう)の元型だと思うのです。

つまり、アマテラスはスサノヲを恐れて、天の岩屋戸に逃げ隠れたのではなく、

スサノヲを敬い、自らを慎むために、霊的再生を期して天の岩屋戸に籠ったのです。

つまり、スサノヲという恐怖から逃げたのではなく、恐怖を受け入れたのです。

「恐怖という幻」を創ったのは自分自身であったことを看破し、古い自分を捨て(一度死に)、そして再び生まれるために、その母胎としての天の岩屋戸に籠ったのです。

実際のところ、アマテラスが行った天の岩屋戸「籠り」は、命懸けです。

「親に怒られた子供が、拗ねて押し入れに隠れた」ぐらいの生易しいものではありません。

洞窟に入り、入り口を塞いでしまうのですから、当然中は真っ暗闇です。

視覚的情報が一切得られない状態です。

私たちが潜在的に暗闇を恐れるのは、そこに危険が潜んでいるかもしれないからです。

実際に危険があるかどうかは別として、危険という可能性がある場合、私たちの思考はあらゆる可能性を想像してしまいます。そして、その想像は、実際に「幻影」を創造してしまうのです。

こうして創造された恐ろしい「幻」は、心を圧し潰す勢いで雪だるま式に増幅していきます。

実際のところ、現実的な危険性よりも、「想像上の恐怖」の方が危険なのです。

ですから、「籠り」には、まず「幻の恐怖」との闘い、という試練が待ち受けています。

次に、当然ながら洞窟内に食品や飲料水、おやつ、携帯電話などは持ち込みできません。

絶飲食です。

私などは、絶飲食と聞いただけで恐怖を感じます。

「籠り」が長期に及べば、そこに肉体的な衰弱という試練も待ち受けています。

こうした極限状態の中で、ただひたすら内なる自己と向き合うのです。

外界からの視覚的情報がなくなり、自分の外側に向けた肉体的な「目」は機能を失っていきます。

そして、眠っていた自己の内なる「目」がゆっくりと開いていきます。

その「目」は、物事の本質を見る「目」です。

真っ暗闇の中では、自己の外側と内側の境界が曖昧になっていくでしょう。

そして遂には、外側と内側はひとつになります。


その時、洞窟の外からアメノウズメの声がします。

「あなたより貴い神がおられます!」


アマテラスは、岩戸籠りにより、徹底的に真の自己と向き合うことを通して、より貴い神に生まれ変わった、というのが私の解釈です。


あいや待たれい!

待て待て、待て~い!


狼藉に及びたるはスサノヲにて、アマテラスにあらず!

なにゆえアマテラスが「相手を敬い、自分の行動を慎む」のでござるか?

はては、命懸けの岩戸籠りと申されるが、得心いかぬ。こはいかに?


という疑問が生じるかと思いますので、これについては次回、もう少し深く掘り下げてみたいと思います。


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