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祓戸四神 「黄泉の国、根の国・底の国」~ 古事記の暗号 8


黄泉の国が、根の国・底の国と同一視される根拠は、黄泉比良坂(よもつひらさか)という出口が共通しているからです。

黄泉の国を訪れたイザナギが、イザナミから追いかけられ、命からがら逃げ出てきたのが黄泉比良坂(よもつひらさか)でした。

イザナギは、このとき千引きの岩で、黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞いでいます。

イザナミが黄泉の国から出てくることができないように塞いだのです。


根の国を訪れたオオナムチは、スサノヲが眠っている隙に、生大刀・生弓矢、天の詔琴などの宝物を勝手に貰って、スセリヒメまで連れて逃げ出します。

気付いたスサノヲは、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけてきます。

しかし、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで来ると、

「生大刀・生弓矢を使って、兄弟の八十神たちを追い払い、

大国主神(オオクニヌシ)となり、宇都志国玉神(ウツシクニタマ)となり、

スセリヒメを正妻として宇迦の山のふもとに立派な宮殿を建て、そこに住め。

このやろう!ばかやろう!」

と最後は、ビートたけしみたいになって、見送るのです。


オオナムチはオオクニヌシに生まれ変わり、スサノヲに見送られながら黄泉比良坂(よもつひらさか)から出てくるのですが、

千引きの岩は?

と問いたくなります。

イザナギが塞いだはずではなかったのか?


それとも、黄泉比良坂(よもつひらさか)は複数あるのでしょうか?

黄泉比良坂(よもつひらさか)の「さか」は坂ではなく、境のことだと解釈すれば、

「見える世界と見えない世界の境目」ということになりますから、まあそれですと複数あるのかもしれません。


根の国・底の国は、古事記以外では、大祓詞(おおはらえことば)の中にも登場します。

大祓詞における根の国・底の国は、あらゆる罪という罪を飲み込み消し去ってくれる

「罪のブラックホール」のような存在として描かれています。


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古事記で描かれる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、山にある洞穴というイメージですが、

大祓詞における根の国・底の国へのルートは、山ではなく海なんですね。


私たちの罪という罪を祓ってくれる祓戸四神の役割は、次の通りです。

※ウィキペディアより引用

瀬織津比売神(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

速開都比売神(はやあきつひめ) -- 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む

気吹戸主神(いぶきどぬし) -- 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ

速佐須良比売神(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

※引用終わり

まず、瀬織津比売神(せおりつひめ)が川から海へと罪を流します。

次に、「八潮道の潮の八百會(やしおじのしおのやおあい)」におられる速開都比売神(はやあきつひめ)が、それらを飲み込みます。


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八潮道の潮の八百會とは、イメージとしては多分こんな感じ↑

この八潮道の潮の八百會が、根の国・底の国の入り口になるわけです。

ここで、速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して、気吹戸主神(いぶきどぬし)が根の国・底の国に息吹を放ちます。

そして最終的に、速佐須良比売神(はやさすらひめ) が根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって消してしまう、という流れです。


海と山は、正反対に位置する感がありますが、神話的宇宙観においては、山と海はつながっているようです。

というより、「根の国・底の国」が山から海にかけてつながっているのでしょう。

ということは、現代人の想像を超えて、遥かに壮大な空間をイメージしていたことになります。


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例えば、仮にこれらの岩石を巨大な樹木の切り株だとした場合、その根は遥か彼方にある海の底まで伸びているかもしれません。

壮大なスケールですね。

根の国・底の国と言うと、「暗い地底の国」というイメージがありますが、

大祓詞の世界観の中では、「罪という罪が消える」世界であり、言い換えれば

「赦しの世界」とも言えます。

また、オオナムチは根の国・底の国から帰還するとき、オオクニヌシとして生まれ変わったのですから、「新たに生み出す」世界としての側面も持っています。

そういう意味では、祓戸四神が全て女神なのも肯けます。

「母なる大地」「母なる海」というように、

大地や海は「生命を産みだす源」そして「母、或いは女性性」のシンボルです。

「大地から海へと連なる根」は、根源から湧き出でる生命エネルギーの流れをイメージとして喚起させます。


さて、ここまでを振り返り、あらためて「根の国」とは何か?を考えてみたとき、

古代人は「見えない世界こそが、根源(ルーツ)である」と捉えていたのは間違いないようです。

スサノヲは、オオナムチに

「大国主神(オオクニヌシ)となり、宇都志国玉神(ウツシクニタマ)となり・・・」

と言って送り出しています。

オオクニヌシは、大国主で、偉大なる国の王、みたいな意味でしょう。

ウツシクニタマは、顕国玉で、現し国の魂、ということで現実世界の魂として、といった意味でしょう。

現世(うつしよ)とは、何をうつしている世界なのか?

現世(うつしよ)には何が投影されているのか?

現世(うつしよ)に対応するのは、かくりよ(隠世、幽世)であり、それは見えない世界であり、黄泉の国、根の国・底の国のことであり、永遠であり、目に見える現象の根源である、というのが神話的宇宙観なのでしょう。

私たちは、無意識から投影されたものを、目の前の現実として見ています。

それに似ていますね。


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