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ヒトは人間を動物ではなく神と錯覚し、その振る舞いを期待し、絶望する。ヒトは近くでみんなが「信仰」しているものをすべてだと思い込む。

いまヨーロッパ回ってパリから帰るフライト中暇なので、適当に書きます。

人間はただの動物であり猿が進化したものに過ぎない。
お腹が空けば動物を殺して食べるし、身の危険があったり割りに合えば人間も殺す。
たまたま今の時代、戦争が収まっていて法治国家なだけで、何万年も毎日戦争してきた。人類は脳が成長した訳ではなく、知恵の蓄積によって今の状態になっただけで環境が整えば誰もが人を殺すし、読み書きすらできない。

人類はその歴史のほとんどを移動しながら動物を狩って、木の実をあつめて生活していた。(ホモサピエンス系になって29万年ほど)
それが、最近、農耕と家畜を使えるようになり(1.1万年ほど前)産業革命が起こり、機械化が進み食料に困らなくなり現代では日本にいれば食料に困る事はほぼなくなった。
ただそれは僕らが先人より賢いからではなく、ただ恵まれているからだけだ。
1万年前の人類の脳と今の僕らの脳の大きさはほとんど変わらない。

この1万年間の間僕ら人類は常に戦争をし、人を殺し、隣の領土を奪い合ってきた。レイプや虐殺、拷問などは当たり前で、奴隷経済も当然のように行われていた。
奴隷がいない経済など想像もできなかったのが現実だ。
この数百年で考えられないスピードで科学やテクノロジーが発達し、食料の問題がほとんど解決され、資本主義の発明によってパイを奪いとるよりお互いのパイを大きくする事が賢い判断になった。核兵器の発明もあり戦争が相討ちになる可能性を孕んでいるのも要因かもしれない。
なにはともあれ、戦争は現代ではほとんどなくなった。
この時代にたまたま生まれて、環境が整っているだけで、「賢くなり、相手に思いやりを持ち暴力を本能から削除し野蛮な過去の人類とは違い、神のような存在になった!」と勘違いしてはいけない。

毎日のように、人を殺し人を奴隷にして隣の領土を奪い取っていた、あの人類と動物的に何も変わっていない。
たまたま今いる環境がいいだけだ。
人間を神格化するとこの事実は目を背けたいものに思えるが、動物として捉えれば至極当然の話だ。ライオンは縄張り争いをし、獲物を殺し食べる。

それだからぼくら人類が悪の存在だと言いたいわけではない。
環境が整えば人は自分も相手も含めて、そのような行動を取るということを歴史が証明しているわけだから、それを理解した上で人間や自分と接して行くとだいぶ楽だし、今は環境が良すぎるので、歴史の平均的な人類にする期待を相手と自分にすれば、大抵の場合はその期待を超えてくれる。
そういった前提を理解したうえで、用心深く人間と付き合うほうが(特に初めは)安全でそんをしにくい。

さらに期待が低ければ満足する可能性は高いので、お得だ。
人間という動物を勘違いして、神と認識するのではなく、正しく動物の一種だと認識すれば、期待しすぎて想定外の行動を相手がしたと感じる場面は少なくなるだろう。

例えばいつもと違う環境(海外とか)にいって理不尽にブチ切れられたり、謎の理由で正当性もなくブチギレられ事もある。
頭の狂ったおっさんが怒鳴り散らしてくることもある。

ただそれもホモサピエンスという動物の一種のうちの1匹がただ吠えていると捉えればずいぶん気分を害さなくて済む。

逆にそのようにホモサピエンスを捉えていて親切にしてもらえたら、より嬉しいしすごいと思える。相手が+でも-の対応をしてきても、最悪0にしかならない。
うまく行けば簡単に気持ちが+になる、やはりお得だ。
殺されなくてすごいし、戦争がなくすごいという気持ちが大事だ。

そのように考えていたほうが人生はより穏やかで豊かになると思う。つくづくいい時代だね。

そしてホモサピエンスの中でも種類がいて、様々な文化や常識というものを保有している。
地方に住んでいて、その街をほとんど出たことがない人や単一の民族(自分の学校や地元の人間など)としか関わりがほとんどない人には
想像しにくいかもしれないが、日本には1.2億人ほど、世界には75億人ほどの人類が存在する。
現在生きているだけでそれなので、歴史上の人類を合わせるともちろんさらに多い。

イタリア人はだらだら生活しているし、ヨーロッパでガムを噛みながら店員同士でお喋りをしている。もちろんスマホもいじってる。

日本ではほとんどの職場でそれらは許されていないが、環境が変わればむしろ日本が異常なのだ。

こういった事はさまざまなところで起きる。

人類というのは、周りにいるヒトが正しいと信じているものを正しいと信じるようになる。

子供の頃から天皇は神の子孫だと言われ続け学校でも教えられ友達もそれを信じていたら、その人にとってそれは常識となり、真実となる。

それがキリスト教やギリシャ神話その他の宗教でも同じ事だ。

その「環境」というのは世界中でさまざまな形をしており、様々な「神」、すなわち、「常識」や「当たり前」というものが存在していて、それをその環境にいる多数の人類が信仰している。

例えば「マイホーム」「高級車」「ブランド品」これらはすべてある観点から見れば「信仰」である。


このような、「信仰」=「共同幻想」はさまざまな場面で垣間見ることができる。

例えば、「高校を卒業したら、就職か進学」「大学3年になったら就活をして、大学を卒業すると4月から就職する」なども同じである。

江戸時代にその話をしたら江戸時代の人はそのはなしをきいて、「?????」となるに違いない。

人は周りがやっていると、思考が停止してしまい、その他の選択肢を考えなくなる。
無駄なエネルギーを使わずに、良い選択ができる確率をあげるという変化と選択肢が少ない時代に構築された本能がそうさせる。

5000万する高級車も猿からみたらただの鉄の塊で、バナナよりも役に立たないし、1000万のロレックスも落ちてても気付きもしない。

ただ、手取り年収が300万だとすると人にとって5000万の高級車は16〜17年間分の労働の価値になる。

実用性がないものに価値がつくのは、明らかに「信仰」であり、「共同幻想」だ。
僕はこれが悪いとか、やめるべきだとかそういうことは特に思わない。
僕はあまり共感できないが、「共同幻想」を持つ、「信仰」をするというのは、ホモサピエンスの特徴であり、強みでもある。

少し話はそれるが、ネアンダール人やその他ぼくらホモサピエンスに近い種族を絶滅させて、僕らが生き残ったのはこの能力が秀でていたからだと「ホモサピエンス全史」で書かれている。(おすすめ)

人間社会を快適に過ごすにあたって、自分がどんな「共同幻想」を「信仰」しそこにはどんな価値があるのかを理解しておいた方がお得だ。

周りの環境がただそうあるだけで「訳もわからず」、謎の宗教を信仰し、生類憐みの令のような事をやったり、植物は殺してもいいが、動物は殺してはいけなく、食べてはいけないなどというものを進行する必要はない。
勘違いされたくないので、繰り返すが「訳もわからず」信仰するのがあまり良くないだけで、自分が納得して理解していれば、もちろん個人の自由で誰も否定できないし、するべきではないと思っている。

日本人は良く無信仰だと言われるけど、広い意味で、無信仰な人はいない。それは神を信じるとかそういうことだけではなくて、「大学を卒業して、就職して〜結婚して〜」とかそういったことも含めてだ。

あくまでも大事なことは、自分に合った「信仰」を選ぶことであり、時の流れや自分の状況や考え方に合わせて自分が幸せに生きられるように「信仰」を乗り換えていくことだ。

僕は2〜3年前までは「お金」に対して、今より何倍もモチベーションがあり、儲かることはどんどんやろうというスタンスだった。
これもある種、信仰である。
お金を稼げば選択肢が広がり、豊かな生活ができ、周りからの評価高まると。

実際そうだが、ある一定ラインを超えると変わらないし、あんま意味ない事に気づいたので、この信仰の大半は捨てた。

序盤でいったように、ヒトは動物であり、神ではない。そして、それぞれがさまざまな「信仰」をもっている、つまり色々な生き方をしている。
その「信仰」を否定する事は、将来の自分を否定することになるかもしれないし、「正しい信仰」というものは存在しないし、信仰を否定すると人間とコミニュケーションが円滑に進みにくい。そして、ヒトの「信仰」を否定しないと自我を保てないようでは、おそらく自分の「信仰」の正当性が自分にとっても弱いので、やめておいたほうがいい。

まぁ要するに、ヒトはただの動物なので期待しすぎない方がラクだし、色んな生き方があるので、視野広く持って、自分がラクで気持ちいい生き方をすると人生全体的にラクだよねって話をだらだらとしただけ。おしまい。

おもしろかったら100円投げてくれるとよろこぶ。