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幸福は落差と相対性。

多くの人にとって幸福とは相対的だ。落差だ。周りの環境とくらべてどうかが重要で、いつもと比べてどうかが重要だ。
たとえばいつもより高いなにかを食べて「おいしい、楽しい」とか、餓死しそうになってから食べるラーメンとか、真夏の無人島で風呂なしでめちゃめちゃ日焼けした後のシャワーとエアコンに文明のありがたみを感じたり。サウナの後の水風呂が最高だったり。
前までできなかった事が出来て嬉しいとか、人よりお得に生きれて嬉しいとか。
こういうった類の幸せは、毎日回らない寿司を食べて、エアコンとシャワーがある生活では感じる事は難しい。人間は適応する生き物なので、その状況に満足せずより進歩しようとする生き物だ。さほど古代から幸福度は変わってないらしい。これはとても残念なことに思えるし進歩した意味を感じられなくなってしまうかもしれないが、今より状況が悪くなっても、適応し、考え方次第で同じくらい幸せに生きていけるんだという安心感を与えてくれる。
幸福度が一定に保たれる事は動物の進化的には正しいのかもしれないが、人間は考える事ができるので、うまくやればバクを起こしておいしいところどりをできるかもしれない。

要するに、この「落差」を感じやすくすればいいわけだ。
「落差」を感じやすくするためには、広い範囲からの情報が大量にあるととてもいい、体験すると更にいい。
たとえば日本と比べて物価が安い国とか、海外と比べて日本は治安がいいとか、無人島に比べてエアコンがあってすごいとか、
そう考えると、マイナスの体験も幸福度の最大化にはとてもお得だし、プラスの経験になればもちろん普通にいい、どちらにせよ未知の体験はお得だ、色々チャレンジしてみてもいいかなぁという気持ちになってくる。
あとはその手に入れた情報を都合よく解釈して、自分の有利な形で相対的な幸福度上昇に使えばいい。たとえば、あらゆる時代の世界中の情報を集めたとして、自分よりお金持ちの人は山ほどいるし、美男美女も多く存在して、英語圏に生まれただけで英語は勉強しなくていいし、さらにそれに加えて地頭の良い人もいる。その全てが自分にはない。と考えれば不幸に感じるが、長い歴史を振り返り、そもそも大人まで生き延びる事の方が稀で健康にここまで長い間「生きれる」だけでこれまで生まれ死んできた人類の中でだいぶ幸せな方だと感じられるだろう。
例えば進学校に通ってきた大学生がいて、自分が受験に失敗してまわりより良い大学に行けなかったとしたら不幸に感じるかもしれないが、そこで視野を平均的な日本人、もしくは世界に向ければ自分が圧倒的に恵まれている事に気づく、それでも足りなければ、アジアやアフリカに、戦争中の時代と、比べてみれば良い。
普段の行動としてできることは例えば、あえて安いパスタを常用し、普通のパスタを食べた時にとても美味しく感じ、少し高級なパスタを食べた時はめちゃくちゃ美味しく感じる事ができる。
これはもちろん金銭的にはとても低コストで済むし、幸福度は最大化する、まさにバク。
多くの人は、自分がたまたま生まれて、たまたまいるその環境(地元や学校や職場)が全てだと思い込んでしまい、その中で相対的に(人と比べて)幸福を決定してしまう。そのことを覚えておけば、都合の良い情報を集めて都合よく解釈すれば、だいぶ楽に、楽しく生きれるかもしれない。

ちなみに僕は落差の相対的な部分は普通に感じるけど、人と比べてというのはあんまりないのでラッキー。
おしまい。

おもしろかったら100円投げてくれるとよろこぶ。