鳥だって自己主張する

シジュウカラはさまざまな言葉を使うそうである。その言葉を研究し理解したのは京大白眉センターの鈴木俊貴さんである(2021.8.31朝日新聞)。天敵のモズの姿を見ると、逃げるのではなく仲間を集めて追い払おうとする。その号令は「ピーツピ・ヂヂヂ」だそうである。「ピーツピ」は警戒しろ。「ヂヂヂ」は集まれという意味で、これらの単語は単独でも使われるが、2つの単語を組み合わせるのである。これが、「ヂヂヂ・ピーツピ」と逆にすると意味が伝わらない。明らかにシジュウガラの言葉には文法がある。
鳥が主観を持って行動することを僕は肌身で経験したことがある(そのことは『時空と生命』(2009、技術評論社)でも書いた)。人間世界から隠れて暮らす臆病なホトトギスとは対照的に、ツバメは腹立たしいほどに厚かましい鳥である。駐車場の糞害に懲りて追い払おうと銀色の短冊のカーテンを張っていたのだが、そのカーテンを取り替えるために取り払ったとき、ツバメは僕の眼前でけたたましい歓喜の叫び声を挙げた。このとき僕はその歓喜を、ツバメという鳥の啼き声ではなく、生身の敵の歓喜の叫びとして畏れをもって実感した。すべての生命に主観があると直観したのはこの瞬間であった。
デカルトはなぜ動物を機械と見なしたのであろうか? 直接、動物に向かえば彼らに主観があることは実感としてわかる。もちろんキリスト教がヨーロッパ世界を支配した時代背景がある。人間だけが神に似せて創られた。この人間至上の思想が今日の世界を支配している。この人間至上主義の思想を改めないかぎり、人類の存続も生命の存続もあり得ないのではなかろうか。
それにしても、ツバメの生命力には畏敬の念を抱かざるをえない。

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