【ショートカット -SHORT CUT-】


【はじめに】

2023年1月28日に下北沢に新しいライブハウス「近道」が誕生しました。運営はロックバンド「THEラブ人間」のメンバー、ツネ・モリサワが代表を務める「近松」。オープンの1ヶ月くらい前、ツネと下北沢で飲んでいたら「オープンのお祝いに、ジュンさんブログ書いてください」と無茶振りをされました。僕は昔「妄想ブログ」という恋愛小説のようなものを書いていたのですが、それを読んだツネが大絶賛してくれ、今回はブログの執筆を頼まれました。
日頃からお世話になっているツネやスタッフ、そして愛するラブ人間のメンバーに、お祝いと感謝の気持ちを込めて書かせていただきましたが、時間が足りなくてオープンのタイミングでは8割くらいの完成度でした。ツネと金田には未完成のまま作品を送りましたが、いつか完成版を作成し、何かの記念で配布したいと考えていました。そして「JUNE ROCK FESTIVAL 2023」で、そのタイミングが訪れました。今回、THEラブ人間にはイベントのヘッドライナーをお願いしました。ヘッドライナーの出番は朝の4時台、ライブが終わったら朝5時になります。スタッフに話を聞いたら、ラブ人間は翌日の昼過ぎから大阪でライブのため、ライブ後にすぐ機材車で移動してギリギリ…という状況だと聞きました。そんな状況にもかかわらず、僕のリクエストに応えてくれました。僕がラブ人間に恩返しできることはないかな?と考えた時に、ラブ人間をもっと知って欲しい、彼らが経営するライブハウスにも足を運んで欲しい、という思いから、この小説を完成させ、配布することにしました。しかし、終演後に用意できたのは80部くらいしかなく、多数のお客様にお渡しできませんでした。申し訳ありませんでした。お約束した通り、その小説をデータでアップさせていただきます。拙い作品ですが、興味ある方は読んでいただけると幸いです。

JUNE ROCK 三浦ジュン

「龍平さんは誰がタイプですか?」
「えーっ……右から可愛い、可愛い、キレイ、可愛い…みんなタイプかも!」
「キャハハハ!」
「そういうの一番要らないから!」
「・・・。」

 龍平は人数合わせの合コンに参加させられていた。ドタキャンで来られなくなった友人の穴埋めとして急遽呼ばれ、まったく乗り気でなかったのだが、飲み会の場所が「下北沢」と聞いて龍平は参加してみることにした。シモキタは以前よく通った大好きな街だったが、最近は全く来る機会がなくなった。「シモキタに行けば何かが変わるかも…」ここ数年、何もヤル気の起きなかった自分を鼓舞するかのように、龍平はこの合コンに参加した。しかし合コンが開始して30分もしないうちに「やはり断っておけばよかった…」と、龍平は後悔しはじめていた。それでも全く興味のない話題にも相槌を打つくらいの社交性を龍平は身につけていたので、無駄に愛想笑いを振りまきながら、それなりに楽しんでいるかのように、この場をやり過ごしていた。

「ケンジくんは誰がタイプですか?」
「ルナちゃん!」
「えっ、私!?ゴメン。ムリ!」
「はい、残念ー!ケンジ、フラれたー!」
「えーっ!私はどうですか?」
「おーっ!まりな積極的!」
「まりなちゃん、付き合ってください!」
「はいっ!喜んで!」
「えっ、何それ?カップル成立!?」
「ズルいー!」

 合コンって、こんな簡単に告白タイムが始まるんだっけ?っていうか、タイプを伝えただけで成立したカップルなんて、すぐに別れるに決まってるだろ。そもそも出会って1時間ちょっとで好きな人なんてできるか?合コンなんて本当に時間の無駄だ…晴子と別れてからの5年間、龍平は刺激のない日々がずっと続いている。晴子と付き合っている時も、毎日何かイベントがあった訳ではないが、2人で過ごした日々に「ただの一日」なんて1日もなく、毎日が刺激的だった。晴子と別れて刺激のない日常に慣れてしまった龍平は、新しい人との出会いや、新しいモノへの興味もどんどん薄れていき、クローゼットもCDラックも本棚も、5年前からほとんど更新されていなかった。あんなに大好きだったギターの弦も錆びたままだし、ライブハウスにもほとんど行かなくなった。

「えっ、じゃぁ、龍平くんの好きな髪型は?」
「…ショートカットかな」
「ショートカット!」
「ってことは…」
「エミ狙いだ!」
「えーっ!ズルい!」

 何が「ズルい!」だ…好きな髪型を訊かれて答えただけで、誰も狙ってないし… っていうか、好きな髪型を答えてカップル成立するんなら、長澤まさみと付き合いたんですけど!あぁ、この無駄な時間と参加費の4500円を返して欲しい。パソコンのショートカット機能「command+z」で、「明日合コン行けない?」というお誘いのLINEにまで遡って、返事を「行く!」でなく、「断る」という選択肢に戻せたらなぁ…なんて無駄な妄想をしながら、龍平は現実逃避をしていた。ポケットからスマホを取り出し、テーブルの下でこっそりと時間を覗きみると【20:43】と表示されていた。この居酒屋は「2時間飲み放題」が売りなので、あと15分我慢すればこの無駄な飲み会から解放される。ゴールが近づいていることがわかると少しだけ気持ちが楽になった。龍平は時間を見たついでにスマホのLINEに届いていたメッセージをこっそりと開いた。メッセージを見た瞬間、龍平はこのお店に入ってから一番の笑顔になりそうになったので、みんなにバレないようにグッと堪えた。

「陽平、二次会どうする?」
「カラオケでしょ!」
「いいね!」
「じゃあ、みんなで行こうか!」
「イエーイ!!」

 合コンスタートから2時間が経ち、お店を出て解散かと思いきや続きが待っていた。しばらく参加してなかったけど、合コンには二次会というものがあることを思い出した。

「ごめーん。オレ明日早いから帰るわ…」
「えっ?龍平、明日も仕事?」
「そうなんだよね」
「ざんねーん」
「龍平くん、またねー!」
「またね!」

 もう2度と会わないであろう女子に、精一杯の作り笑いと社交辞令の「またね!」を返し、龍平は集団に背を向けて歩き出した。

「龍平!」

 ヒロキが少し大きめの声で呼びかけてきた。嫌な予感がした。ヒロキはオレの仕事が夜だって知ってたんじゃなかったっけ…?聞こえないフリをして、このまま進むか?迷っている龍平に向かって、もう一度ヒロキが呼びかけてきた、

「龍平、駅こっちだよ!」

 ヒロキが龍平を呼び止めたのは、駅への方向が間違っている、という指摘だった。龍平はその場で振り返って、少し大きめな声でヒロキに返事をした。

「こっち、ショートカットできるんだよ!」
「りょーかい!またな!」
「またな!」

 駅までショートカットできる道があるというのは嘘ではなかったが、1秒でも早くこの集団と離れたい、というのが龍平の本音だった。みんながカラオケに行くとしたら、駅前まで一緒に移動することになる。それを避けるために龍平は細い路地を選んで進んだ。人通りの少ない路地に入ると、騒がしい声が聞こえなくなって少し落ち着いた。まずはポケットからスマホを取り出しLINEを開いた。さっき合コンの合間に一瞬見たメッセージが龍平の読み間違え、もしくは妄想ではないか?不安な気持ちと共にLINEを確認した。

「明日の夜ヒマ?ラブ人間のライブ行かない?」

 間違いじゃない、ちゃんと誘われている。合コンの途中で、このメッセージを見た瞬間に、龍平は嬉しくて思わず笑顔になってしまったが、みんなにバレないように一旦スマホを閉じた。龍平はこの数年間、THEラブ人間のライブを観れていなかったが、突然の誘いで急遽ライブに行けることになった。龍平は合コンでノリの合わない女子の話に合わせるよりも、THEラブ人間のライブに行くことの方が何十倍もワクワクした。ライブに誘ってくれたのは昔のバンドメンバーで、一緒に上京してきた友人の遥だった。道端で立ち止まって「行きたい!チケットあるの?」と返信のメッセージを送った瞬間だった。

「龍平くん!」

 後ろから女性に声をかけられた。振り返ると、さっきの合コンに参加していたエミがいた。

「私のこと、わかりますか?」
「エミちゃん…だよね?」
「うわっ!嬉しい!憶えてくれたんですね!」

 正直、合コンにいた人たちの名前を殆ど覚えていなかったが、僕の好きな髪型が「ショートカット」と答えたときに「エミ狙い?」といじられたせいで、かろうじて彼女の名前だけは覚えていた。

「明日仕事とか言って、本当は女の子と待ち合わせしてるんじゃないの?」
「違うよ!!」
「え~?今、メールかLINEしてたよね?」
「してたけど、男の友達だよ!」
「わかった(笑)。じゃ、このあとどこか行きませんか?」
「えっ?カラオケは?」
「私カラオケ好きじゃないし、龍平くんの方が興味あるから!」
「えっ…」

ピコン♪

「あっ、ごめん。LINEだ」

 エミの発言にどう返して良いか戸惑っているところに届いた遥からのメッセージに救われた。メッセージを読むと、遥がライブに行く予定でチケットを取ったけど、急遽仕事が入って行けなくなったので、代わりに行かないか?という内容だった。遥のメッセージの最後には「2枚あるから、よかったら晴子と!」と書いてあった。そうか…遙は晴子と別れたことを知らないのか。ということは、遙とは5年以上会っていないことになる。そう考えると、ラブ人間のライブを観るのも5年ぶりになる。よく考えるとラブ人間のライブを晴子以外の人と観たことがなかった。「2枚ある」と言われても、一緒に行く相手なんて誰一人思いつかなかった。

「龍平くん、大丈夫?仕事のトラブル?」
「あっ、ごめん…なんだっけ?」
「龍平くんは、なんでショートカットの子が好きなの?」
「いや、なんとなく…」
「好きな芸能人がショートカットとか?長澤まさみ?波瑠?」
「違うよ!芸能人とかあんまり興味ないから…」
「じゃぁ、昔好きだった人がショートカットだったとか?」
「・・・」
「図星でしょ!」
「あっ、うん…そうかも」
「やっぱり!私じゃ代わりになりませんか?」
「えっ…!?」

 本気なのか、からかっているのか分からなかったが、下から覗き込む彼女との距離に正直ドキドキした。そして、確かに彼女はショートカットが似合っていた。

「私、タイプじゃ無いですか?」
「いや!!そんなことはないけど…」
「えー!じゃあワンチャンあります?」
「ワ、ワンチャン…?」

 人見知りの龍平は初対面の女子と話すこと自体苦手だったし、出逢ってすぐに人を好きになったり、好きになってもらうなんて経験もしたことがなかったので、エミの積極的なアプローチにどう返せば良いのか正直困っていた。

「あ、そうだ。明日の夜って空いてる?」
「えっ!デートしてくれるんですか?」
「デートっていうか、ライブ行くんだけど…行く?」

 遥のメッセージに出てきた「晴子」というワードに動揺していたところに、エミの積極的なアプローチでさらにテンパっていた龍平は、咄嗟にエミをライブに誘ってしまった。

「えっ、行きたい!誰のライブ?」
「THEラブ人間ってバンド」
「へぇ~。知らないけど、行きたい!」
「じゃあ、シモキタの駅に18:30でどう?」
「うんっ!とりあえずLINE交換しよ!」
「あっ、うん…」

 龍平はエミのペースにすっかり飲み込まれていた。駅へショートカットするつもりの裏道で、ショートカットの女子とLINEを交換して、翌日デートの約束を取り付ける展開が待っているなんて、龍平は想像もしていなかった。駅にたどり着くのも、だいぶ時間がかかってしまったが、その遠回りの時間は龍平にとって決して嫌な時間ではなかった。

 翌日、龍平はラブ人間のライブを観るために、2日連続でシモキタに足を運んだ。THEラブ人間は自称「下北沢の恋愛至上主義音楽集団」というロックバンドで、「下北沢にて(通称:下にて)」というサーキットイベントを毎年開催している。龍平は晴子と付き合っていた4年間、毎年「下にて」を観に行っていたし、龍平のアパートでラブ人間の「砂男」という曲を2人で一緒によく歌っていた。夜中に酔いながら歌うとギターと声が自然と大きくなり、隣の部屋からドンドンドンと壁を叩かれたこともあった。ある日、いつのように酔って2人で四畳半コンサートをしていたら、いつもより大きめな音で壁がドンドンドンと叩かれ、画鋲で留めていた時計が床に落ちた。

「……」
「次は壁が倒れてくるとか…?」
「えー!コントみたい!」
「アハハハ!」

ドンドンドン

 2人で大声を出して笑ったら、さっきよりひと回り大きな音で壁を叩く音が返ってきた。この日は流石にヤバいと思い、朝が来る前に「実家から届いたりんごを2つ」と「缶ビール2本」と「昨晩は騒がしくしてしまい、大変申し訳ありませんでした」というメモを添えて、隣の部屋のドアノブにかけておいた。翌日の昼前に龍平が家を出る時、扉を開けると「今度から歌うのは24時まででお願いします。りんご美味しかったです」というメモが玄関に貼ってあった。この日を境に2人の間に「深夜のラブ人間禁止令」というルールが作られ、壁を叩かれることもなくなった。

本当にきみが好きだったんだよ
きみを好きすぎて
もうなんもかんも手につかなくなった
             「コント」THEラブ人間

 翌日、龍平はエミとの約束の時間よりだいぶ早く下北沢駅に着いた。龍平のヘッドフォンからはラブ人間の「コント」が流れていた。晴子と龍平はまさにこの歌詞のような恋をしていた。龍平の人生を歴史に喩えるとしたら、晴子に出逢う前と後で、紀元前、紀元後と分けられる。そのくらい龍平にとって、晴子との出逢いは人生のターニングポイントだった。

きみがあまりにも可愛すぎるから
仕事も食事も全部もう無理
だからもう別れよう これがオチなんです
             「コント」THEラブ人間

 これまで「コント」の歌詞は何十回(大袈裟でなく100回は超える回数)聴いてきたが、龍平は初めこの歌詞を理解できなかった。こんなに相手のことを好きなのに、この男はなんで彼女と別れなければいけなかったのだろう…しかし「コント」のMVを見ると、とても平和な物語になっていて…龍平はこの曲がラブ人間で一番好きな曲になった。「コント」のMVは、お笑い芸人「スピードワゴン」の小沢一敬と、女優・モデルの岩井七世が漫才コンビで、恋人という設定の物語仕立てになっている。2人が客前でコントを始める直前に、彼氏(小沢一敬)が彼女(岩井七世)に突然別れ話を切り出し、最悪な空気のままステージに登場する。それと同時に「コント」のイントロが流れ始める。歌詞に合わせて二人の漫才の動きがリンクするというよくできたMVなのだが、CD音源と違いMVでは曲の途中でブレイクする瞬間が訪れる。曲の後半「♪もうすぐオチがやってくる~」のあとにブレイクし、2人の芝居だけが始まる。

「もう俺たち別れよう」
「なんでこんなとこで、そんなこと言うの?」

 ――― この後、漫才の台詞なのか、プライベートの別れなのか、わからない展開が始まります。このミュージックビデオを観ていない人は、この続きを読む前に是非この「コント」のMVを観てもらいたいです。約4分間のMVの中に、音楽と笑いと恋愛が詰め込まれていて、僕がこの世のMV作品で一番好きな作品と言っても過言でないくらい素敵なんです。もちろんこの展開を知っている方もいると思いますが、このあと素敵な「オチ」と共に、ハッピーエンドが訪れます ――― 

 龍平は晴子と別れたあと、このMVのことを思い出して「実はドッキリだったんじゃないか?」と自分に言い聞かせていた。しばらく家に帰ってドアを開ける度に、晴子が「テッテレー」と「ドッキリ大成功!」の看板をもって待っているんじゃないか?と、どこかでこの恋が終わっていないことを期待していた。しかし何度ドアを開けても龍平を待っているのは沈黙しかなかった。

本当にきみが好き、好き、
好きだったんだよ好き
きみの恋人になれて ぼくの人生本当に良かっ…

ピコン♪

 ヘッドフォンから流れていた「コント」がLINEの着信音で遮られた。それと同時に龍平の回想も遮られた。晴子との思い出に耽っていたためか、LINEが届いた瞬間「ひょっとして晴子から?」と思い、ドキドキしながらスマホをポケットから取り出した。スマホのロックを解除しLINEを開くと、エミからのメッセージが届いていた。

「こんばんは!シモキタ着きました!」

晴子からLINEが送られてくるはずがない。それよりも、今から久々のデートだ。しかもラブ人間のライブを観に行く。これはもう青春じゃないか!思考回路を現実の世界に引き戻して、エミにメッセージを返す。

「京王線と小田急の中央改札口わかる?」
「うん!すぐに向かうね!」

 スマホとヘッドフォンをポケットにしまい、代わりに龍平はあまり得意でない笑顔を用意して、エミの到着を待った。

「龍平くん、お待たせ!」
「あっ、どうも…」

 背後から声をかけられ振り返ると、昨日とは全く雰囲気の違うエミの姿がそこにはあった。ライダースジャケットとドクターマーチンというロックなコーディネートでエミは現れた。無意識のうちに足元から髪型までまじまじと見てしまったが、エミにも気付かれてしまった。

「昨日の女子っぽい格好の方が良かった?」
「全然!めっちゃ似合ってるよ!」
「良かった!コレ友達に借りてきたんだ!」
「えっ…そうなの!?」

 エミはロックバンドのライブにあまり行ったことがなく、ロックな服装を一晩考えた結果、ラブ人間がアー写で着ているライダースジャケットを見て、彼女なりに頑張ってコーディネートしてきたという。その話を聞いて龍平はちょっとキュンとしてしまった。

「そうだ!ラブ人間聴いてきたよ!」
「どうだった?」
「なんか恋愛小説読んでるみたいで、どんどん引き込まれる不思議な感じだった!」
「ライブはもっと良いよ!」
「うわーっ!楽しみ!」

 まもなく5年ぶりに観るラブ人間のライブが始まる。龍平は新しい恋の始まりの予感を感じながら、ライブハウス「近道」に向かってエミと歩き始めた。

 龍平は11年前に上京してから、数えきれないくらいライブハウスに足を運んだが、「近道」というライブハウスに行くのは初めてだった。それもそのはず「近道」は1年前まで「GARAGE」というライブハウスで、この日が「近道」への改装後、初めてのライブだった。GARAGEにはBase Ball Bear、ACIDMAN、ペトロールズ、パスピエなどの人気バンドが続々と出演し、1990年代から下北沢のライブシーンを盛り上げてきたが、2021年12月31日を持って惜しまれながら閉店してしまった。ラブ人間のメンバーであり、事務所社長の「ツネ・モリサワ」がシモキタのライブハウスシーンの火を消さないよう、そのGARAGEを改装し、新しいライブハウスとしてオープンさせたのが「近道」だった。その柿落としライブが、この日行われる「THEラブ人間」の公演だった。

「凄い人だね」
「ライブハウスは初めて?」
「ううん。でも、こんなにギュウギュウなのは初めてかも…」
「そっか。辛かったら言ってね」
「ありがとう!」

 定刻から10分押しでライブが始まった。ライブハウスで観るライブも久しぶりだったし、爆音でロックンロールを聴くのも久しぶりだった。会場内の空気は薄く、始まって10分で汗ばんできた。龍平は昨晩ラブ人間のアルバムを久々にじっくりと聴いたが、彼らのライブパフォーマンスは毎回CD音源とは違った魅力が楽しめる。特に裸足でステージを動き回り、全身でロックンロールを届ける歌手・金田康平は唯一無二の表現者だと改めて思った。そしてライブの終盤にさしかかると、初期の名曲「砂男」の演奏が始まった。この曲を聴いているうちに、晴子と過ごした時間、些細な日常を思い出して目頭が熱くなってきた。晴子と別れてから「砂男」を聴くこともほとんどなくなったけれど、やっぱり超名曲だったし、俺はやっぱり晴子なしでは生きられない、と改めて気付いてしまった。ラブ人間の音楽と、晴子との思い出で胸が苦しくなった龍平は「砂男」の演奏が終わると同時にライブハウス「近道」を飛び出した。ライブを観ていてこんな気持ちになったのも初めてだったし、こんな行動をとったのも初めてだった。近道の重い扉を開け、階段を上がると、音のない世界に来てしまったのではないか、と思うほど静まり返っていた。ライブハウスでは暑くて脱いでいたコートの袖に腕を通し、チャックを一番上までしっかりと閉め直した。一番街に出ると飲食店や古着屋の灯りと、人の声で少し冷静になることができた。龍平はこのモヤモヤとした気持ちを、晴子との思い出が詰まった部屋に持ち帰りたくなかった。とりあえずアルコールで一気に流してしまおうと、一番街の先に見える赤提灯の居酒屋目がけて足早に歩いて向かった。お店の前に着くと、隣にある喫茶店「春風」の看板が目に留まった。「春風」という名前も気になったし、レトロな雰囲気の外観と看板にも惹きつけられ、無意識のうちに居酒屋ではなく、喫茶店の扉を開けていた。

♪カランコロン

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「はい。」
「カウンター席で……よろしい…でしょうか」

 えっ…?店員さんの戸惑いはなんだ?コロナ禍だというのに、マスクをつけ忘れたままお店に入ってしまったとか…!?龍平は慌ててマスクを確認した。マスクはちゃんと付けていた。じゃあ、なにがいけないんだ…?龍平は急に不安に襲われた。恐る恐る目線を店員の足元からゆっくり上にあげていくと、予想外の姿が目に飛び込んできた。

「晴……子」

 目の前には晴子が立っていた。

「久しぶり…」

 2人が会うのは実に5年ぶりだった。というのも、晴子と龍平は別れた日の夜に、晴子の電話番号もメールも、SNSも全てスマホから消去してしまったため、2人は連絡を取る術がなかった。「もう一生会うこともないかもしれない」とさえ思っていたが、まさかラブ人間のライブ帰りに晴子に再会するとは…予想外の再会に龍平は驚きを隠せなかった。

「久しぶりだね。元気?」
「うん、なんとか。晴子も元気そうだね。ここは長いの?」
「ここは1年くらいかな…」

 晴子は1年くらい前から、この喫茶店で働いていた。龍平が下北沢に来たのも約1年ぶりだったから、2人がシモキタで遭遇する機会はなかった。あまりにも急な再会に龍平は動揺し、恋人だった時にどんな言葉遣いで会話をしていたのか思い出せず、丁寧に言葉を選びながら会話を始めた。

「荷物、ここ置いていい…ですか?」
「どうぞ(笑)。まだ着てたんだね、それ!」
「あっ…うん」

 龍平はこの日、晴子と付き合っている時に一緒に買ったモッズコートを着ていた。晴子に動揺を気付かれないように平静を装い、隣の空いているイスに荷物とコートを置いてからカウンター席の1番端っこの席に座った。このモッズコートはシモキタの古着屋で晴子に「絶対に似合うよ!」と猛プッシュされ買ったモノだった。当時の龍平には高価な代物だったが、着ているうちに愛着が湧き、何年も着続けていた。5年ぶりに再会した晴子は相変わらず白い無地のシャツを着ていた。

「シモキタはよく来てるの?」
「いや…今日はたまたまライブで…」
「えっ!?誰の?」
「ラブ人間」
「えー、独りだけズルイ!私も観たかった!」

 ズルイも何も、別れてから5年間連絡を取ってないし、連絡先すら知らないんだから一緒に観に行ける訳がない。晴子と付き合っていた頃は、一緒にシモキタでライブをよく観に行った。ライブ帰りには決まってコンビニに立ち寄り、数本の缶ビールとつまみを買って、路地裏の階段に座ってライブの感想や好きな曲の話など、終電ギリギリの24時まで話していた。どんなオシャレなお店よりも、どんな高級な料理やお酒の出るお店よりも、ライブ後にあの場所で晴子と飲んだビールとつまみが1番美味かった。あの頃の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「なんか雰囲気変わったね」
晴子の懐かしい声でふと我に返る。

「メガネのせいじゃない?」
「ホントだ!あんまり変わってないね(笑)」

 僕がメガネをとったら、視界がボヤけて彼女の顔がはっきり見えなくなったが、彼女が笑顔になったことは声のトーンでわかった。晴子と付き合っていた頃はバンドのフロントマンだったし、格好つけてコンタクトにしていたが、バンドをやめてから格好つける必要がなくなったのと、お金がかかるという理由でメガネ生活をするようになった。まさか晴子と再会するとは思ってなかったから、この日の龍平は身だしなみも完全にオフモードだったし、こうして晴子との会話も何気なくスタートしてしまったけれど、この先会話のゴールをどこに向かっていけば良いのか分からず、密かに焦っていた。

「何にする?」
「あっ…クリームソーダある?」
「でた、クリームソーダ(笑)。残念ながらないんだよね。コーラフロートなら作れるけど」
「じゃあ、それで。」

 THEラブ人間の曲に「クリームソーダ」という名曲がある。この曲がリリースされたのは2人が二十才のころだった。晴子は18歳の時にスタイリストに憧れて岡山から上京して専門学校に通っていた。晴子は銀杏BOYZが大好きで、所属事務所UK PROJECTがある「下北沢」という街で安いアパートを探したが家賃が高く諦め、シモキタから小田急線で3駅離れた「豪徳寺」のアパート(駅から徒歩20分・築45年)に引っ越した。そして晴子はすぐにシモキタでバイトを始め、1年の半分はシモキタに通う生活を送ったが、峯田和伸に遭遇することはなかった。一方、札幌で生まれ育った龍平はバンドでプロになることを夢見ていた。教師をしていた両親には猛反対されていたため、龍平は高校の卒業式の帰りにギターと卒業証書と小さなトランクと、夏休みにアルバイトで貯めた20万円が貯金されている預金通帳だけを握り締め上京してきた。東京に知り合いもいなかった龍平は、上京して1週間は新宿の漫画喫茶に寝泊まりしていたが、貯金が尽きる前に不動産屋で安い物件を見つけた。京王線の西永福駅から徒歩20分・築30年のアパート、ここから龍平の第2の人生がスタートした。

 上京して半年後、龍平のバンドは応募したオーディションを勝ち抜き、いきなり大型ロックフェスに出演した。それを機にメジャーレーベルとの契約も決まり、とんとん拍子に音楽人生を進んでいくことになった。とはいえ、いきなりまとまったお金が入ってくることはなく、バンドの練習と楽曲作り以外はバイトに勤しんだ。サニーデイ・サービスが大好きな龍平は、曽我部恵一さんに会いたい一心で、シモキタでバイトを探していた。たまたま通りかかった「ディスクユニオン」で求人募集をしていたので、その場で店長に直談判して面接を受けさせてもらい、翌日からバイトを始めることになった。驚いたことにバイトを始めた初日に曽我部さんがお店に現れ、普通にレコードを買って行った。憧れのミュージシャンに街中で会うなんてことは札幌では考えられなかったし、ましてやバイトを始めた初日にバイト先で出会うなんて、夢のような出来事だった。東京に出てきて本当に良かった、バンドも絶対に成功するし、俺には明るい未来が待っていると、龍平は揺るぎない自信に満ち溢れていた。
晴子と出会ったのはそれから半年くらい経った頃だった。「音楽」と「映画」と「お笑い」と「下北沢」が大好きな2人は偶然のようで、必然のような出会いだった。夏の終わりを迎え、少し涼しくなり始めたある日、龍平はバイトが終わってから、ずっと行きたかった『CITY COUNTRY CITY』(通称CCC)というお店に立ち寄った。お店に入る前に、曽我部さんが手書きで書いた看板を見て、龍平はすでに興奮していた。そして店内に一歩足を踏み入れると、店内の壁際いっぱいに置かれたレコードが龍平の目に飛び込んできて、「うわっ!凄い!」と思わず声が漏れてしまった。龍平はバイト先でも沢山のレコードに囲まれているが、美味しいコーヒーを飲みながらレコードをゆっくりとセレクト出来るこの空間は別格だった。CCCは曽我部さんが経営しているカフェバーで、コーヒーもパスタも美味しく、バイト終わりの遅い時間に行っても常に賑わっていた。龍平はバイト帰りに1人で行くことが多く、カウンターに座ることがほとんどだったため、1ヶ月もしないうちに店員さんとも仲良くなり、東京で一番居心地の良い居場所となった。

「こんばんは!」
「おっ、龍平!いらっしゃい!」
「今日も賑わってますね!」
「いつもの席キープしてあるよ」
「ありがとうございます!」

 カウンターの1番端に「Reserved」と書かれたプレートが置かれている場所が龍平の指定席だった。イスを引く瞬間に、隣の席で本を読んでいる女性と目が合ったので、軽く会釈をしてから座り、パスタとサラダとビールのセットを頼んだ。

「はい、ビールお待たせ」
「今日もキンキンに冷えてますね!」
「あっ、龍平、晴子初めてだっけ?」
「ハルコ…?」
「あっ、初めまして!晴子です」
「初めまして。龍平です」

 ハルコという名前は曽我部さんの娘さんと同じだ。曽我部さんの娘さんがこんなに大きくないのは知っているが、曽我部さんのお店で「ハルコ」という女性に出逢う、それだけでドキドキしてしまった。

「晴子も、うちの常連さんだよ!」
「あっ、そうなんですね!何、読んでるんですか?」
「曽我部さんの本です!」
「あっ、『昨日・今日・明日』僕も持ってます!」
「曽我部さん好きなんですか?」
「サニーデイ・サービスが神です!」
「私も曽我部さんが一番好きです!」

 龍平は初対面の人(特に女性)と話をするのが苦手だったが、晴子とは永遠に話していられるのでは?というくらい話が盛り上がった。学生時代からバンドの仲間以外で、好きな音楽やアーティストが一緒の人にほとんど出逢ってこなかった。上京してからはバンドメンバー以外の友達がいなかったし、バイト先では事務的な話しかしていなかったので、晴子は東京で初めて出逢った「音楽好き友達」だった。彼女と話している時間は本当に楽しくて仕方なかった。その日は終電ギリギリまで盛り上がり、慌ててお店を飛び出してしまったため、晴子とは連絡先も交換していなかった。帰りの電車で龍平は「また会えるかな…」という少し不安な気持ちになったが、翌日バイト帰りにCCCに行くと、1人でカウンターに座っている晴子の姿が見えてホッとした。晴子も龍平に気付いて、笑顔で迎えてくれた。

「こんばんは」
「こんばんは!隣いい?」
「もちろん!」

 晴子とは昨晩初めて会ったのに、お互いの好きな音楽、映画、お笑い、劇団の話をしていたら、一瞬で距離が縮まっていた。この日も話は尽きることはなく、また終電の時間が迫ってきた。

「あっ、そろそろ帰らなきゃ」
「あっ、オレも出ます!」

 二人は別々に会計を済ませ、一緒にCCCを出た。つい2~3分前まで散々話をしていたのに、お店を出てエレベーターを待っている間から、下北沢の駅に着くまでの短い時間、ちょっとだけ沈黙が続いた。お互いに別れを惜しみながらも、何を話していいか迷っていた。そして下北沢駅の改札に着く直前に、龍平が切り出した。

「あのさ…」
「…うん?」
「タクシーで家まで送っていくから、もう一軒行かない?」
「えっ…帰るの遠回りにならない?」
「あっ、無理なら大丈夫!」
「ううん!そしたら、ちょっと梅ヶ丘まで散歩しない?」
「うん!散歩いいね!」

 途中のコンビニで350mlの缶ビールを4本買って、梅ヶ丘に向かう緑道のベンチに座って、この日2回目の乾杯をした。駅に向かう途中、一度酔いが醒め始めていたが、アルコールが再び入ると2人のテンションは徐々に上がりはじめ、2人の距離も徐々に近くなり始めた。晴子の目指しているスタイリストの話、龍平の組んでいるバンド「SHORT CUT」の話、お互いの将来の夢や悩みを2人は熱く語った。時計を見ることも忘れるくらい2人は夢中に話をしていたが、缶ビールが4本空になりかけた頃、ベンチに置かれた晴子の左手に、龍平は自分の右手を重ねた。それはあまりに自然な流れで、晴子はほろ酔い気分のなか、この温もりで眠りにつきたい、と心の中で思った。晴子が頭を龍平の肩にもたれかかろうとした瞬間、緑道の先から少し酔っ払っている男女の ―― この時間にしてはやや大きめな ―― 話し声が聞こえてきた。だんだんと話し声が2人に近づいてきて目の前まで来た瞬間、咄嗟に龍平は晴子から手を離してしまった。と同時に酔いが醒めてしまい、その気まずさと照れ臭さから龍平は時計の時間を見た。時刻は「2:55」と表示されていた。

「そろそろ帰ろうか…」
「うん…」

 「帰りたくない」という本音と、「そろそろ帰さないと」という責任感の間で、龍平は葛藤していたが、意を決して上京してから一番の勇気を振り絞った。もう一度晴子の手に龍平は手を重ねた。すると晴子は俯いていた顔をあげ、龍平の瞳を見つめ、そのままゆっくりと顔を近づけてきた。月明かりの下、2人は唇を重ねた。

「お待たせ。はい、コーラフロート」
「あ、ありがとう」

 晴子の声で再び現実の世界に戻った。晴子との思い出の回想を、現実の晴子に遮られるこの世界線…一体なんなんだ?それにしてもコーラフロートを飲むのは何年ぶりだろう…小学生の頃に飲んで以来かもしれない。毎年、夏休みになると祖母の家に家族で泊まりに行くのだが、祖母が病院に薬をもらいに行くのに龍平がついていき、帰りに喫茶店に寄ってコーラフロートを飲むのが楽しみの1つだった。そんな少年時代の思い出が蘇る味だった。しかし、今はその懐かしい味よりも、晴子との口づけの感覚を思い出したかった。

「龍平、ラブ人間のちょっと前に出たアルバム聴いた?」
「…えっ?あっ、まだ…」
「えー!聞いてないの?『コーラフロート』って曲が入ってるんだよ!」
「へぇ、そうなんだ…」
「絶対聴いてみて!感想も教えてね!」
「うん…」
「あとねぇ・・・」

 好きなモノを語り出すと止まらなくなる晴子の性格は5年ぶりに会っても変わってなかった。特に好きな音楽の話になると止まらない。付き合っているときは「また始まった…」と思うこともあったけれど、久々に聞くと永遠にこの話を聞いていられる気がした。

 晴子の話によると、THEラブ人間が2020年にリリースしたアルバム「夢路混戦記」には「コーラフロート」だけでなく、「砂男Ⅱ」「東京の翌日」という、昔の作品の続きのような楽曲が入っているという。今日のライブでも「クリームソーダ」や「砂男」や「東京」を聴いて、晴子との思い出が一瞬で蘇ってきたが、その記憶は全て5年前で止まっていた。その続きのような曲を聴いたら、一時停止していた2人の思い出の続きが見られるんじゃないか?そんな曲を聴いて欲しい、聴いたら感想を教えて欲しい、という晴子の言葉を喜んで受け止めて良いのか、龍平は戸惑いながらも、淡い期待を抱いてしまった。ライブ中に蘇った晴子との思い出を、アルコールで流しこもうと居酒屋に向かったのに、なぜか隣にある喫茶店に入ってしまい…そこでまさか晴子に遭遇して「クリームソーダ」の歌詞のような盲目な恋を思い出す展開が起きるなんて…30分前まで想像もしていなかった。人生何が起こるかわからないものだ。上京してから11年。東京という街では色々な人に出会ったし、色々なことが起きた。バンドのメジャーデビュー、晴子との出逢い、メンバーチェンジ、メジャーの契約解除、バンドの解散、晴子との別れ…「波瀾万丈」の人生というには大袈裟すぎるが、自分の生活環境が目まぐるしく変わっていた時期に比べると、今は特別なことを何もしていない平凡な日々を送っている。もうすぐ30歳を迎えてしまう龍平は、THEラブ人間の「クリームソーダ」に出てくる「29年も生きてきたのか」という歌詞の年齢に追いついてしまったことを、今日のライブで聴きながら焦りを感じていた。あと少しで30歳を迎えるというのに、結婚とか、子供とか、家族とか、仕事とか、この先どんな人生が待っているんだろう?1カ月後どころか、1分先のことですら想像ができない自分の人生に不安を感じていた。

ブルブルブルッ

「あれ?電話鳴ってる?」
「えっ!?オレ?」

 コートのポケットに入れていたスマホを取り出したが着信の表示はなかった。そもそもライブハウスに入ってから龍平はスマホをマナーモードにしていたから、電波が入ってなかった。

「電話、オレじゃないよ?」
「えっ!?私?」

 晴子は慌てて、レジの横に置いてある自分のスマホを確認した。そのタイミングで、龍平も自分のスマホのマナーモードを解除した。するとスマホがブルブルっと震え、不在着信が3件とLINEが5件届いていることを知らせてくれた。

「あっ、ゴメン。着信私だった。店長からだから電話してくるね」
「あっ、うん。外でタバコ吸える?」
「出て、すぐ左に灰皿置いてあるよ!」
「オッケー。ありがとう」
「タバコ、まだやめてないんだね」
「うん…」

 龍平はコートを羽織り、ハイライトとライターとスマホだけ持って、一旦お店の外に出た。晴子の一言で、酒とタバコが原因でよく喧嘩したことを思い出した。2人が別れたのも、龍平の計画性の無さと、金銭感覚の緩さが大きな原因だった。付き合い始めた頃は別々に住んでいたが、週の半分は晴子が龍平の部屋に泊まり、一緒にご飯を作ったり、深夜に映画を見たり、休みの日にライブハウスや劇場に出かけたり…これまでの人生で一番の「青春時代」だった。付き合い始めて3年が過ぎた頃、2人は同棲生活を送っていたが、龍平のバンド「SHORT CUT」のメジャー契約が終了し、その頃から生活環境が変わり始め、2人の関係が徐々に悪くなっていった。2人の関係が悪くなったというより、龍平の怠惰な生活に晴子が嫌気を差してきたのだった。ちょうどその頃、晴子はスタイリストのアシスタントという仕事に就き、自分の時間が全く取れないような生活を送っていた。早朝から衣装を借りに行き、夜遅くに衣装を返却するという、長時間拘束の仕事だった。晴子が忙しいのは、夢に一歩ずつ近づいている証拠だし、本来なら一緒に喜んであげたかったが、龍平は晴子が忙しくなるにつれて、自分だけ前に進めていない焦りを感じ、思うように曲作りが進まなくなった。メンバーからスタジオ練習の連絡が来ても、曲が出来てないから顔を出しづらく、仮病を使ったり、時には連絡をスルーして、スタジオに行かなくなった。その状況が半年も続くと、バンドの活動はストップし、ほぼ自然消滅の状態でバンドは解散の危機に追い込まれていった。行き場のない気持ちを龍平は居酒屋のバイトで発散していた。時間になったらお店に行き、与えられた仕事を黙々とこなし、時間になったら解放される。このルーティーンのような生活も、バンド時代に苦しんだ、締め切りのある曲作りに比べたら、龍平には楽な道だった。バイト先の居酒屋は18時開店なので、17時に毎日お店に顔を出し、24時までの7時間(繁忙期はほぼ休む時間もなく)働き続けた。終電で帰れる時間だったが、龍平は家に帰らずバンドメンバーを呼び出しては朝まで飲みに行き全て奢っていた。稼いだバイト代 ―― 時にはそれ以上のお金 ―― を、その日のうちに使ってしまうような生活を送っていた。龍平が奢っていたからなのか、龍平の人柄のせいなのか、バンドが活動休止になってもメンバーとはしばらく飲みに行く良好な関係は続いていた。龍平は飲んで明け方にアパートに帰ると、そのまま布団で眠りにつき、昼過ぎに起きてコンビニに行き、カップ麺や弁当を買い、家に帰って食べたら昼寝をして、夕方になると再びバイトに行き、バイト終わりにまた飲んで、明け方に帰ってくる…そんな生活をほぼ毎日繰り返していた。晴子が家を出る時に「行ってきます」の声をかけると、明け方に帰ってきて寝たばかりの龍平は機嫌が悪くなった。それでも唯一のコミュニケーションとして晴子は「行ってきます」の挨拶を続けてきたが、ある朝機嫌の悪い龍平が「毎朝うるせえな。ほっといてくれ」と怒鳴りつけてから、晴子は声をかけずに仕事に行くようになった。その頃、龍平はそんな身勝手な行動にも罪の意識を感じないようになっていた。そしてヘビースモーカーの龍平は1日にタバコを1箱半、多い時には2箱以上吸っていたので、部屋の灰皿も常に山盛りになっていた。2日に1回は晴子が灰皿を綺麗に掃除して「少しタバコ減らしなよ」とメモを添えてくれていたが、龍平はそんな晴子の優しさに感謝するどころか苛立ちだけが増えていた。
 
 龍平は喫茶店の外に置かれた灰皿を見つけると、長年吸い続けてきたハイライトに火をつけ、深呼吸をするかのように、いつもよりゆっくりと深く吸いこんで、ゆっくりと煙を吐き出した。この日は1月の下旬で、雪が降りそうなくらい寒い日だったが、愛煙家にとっては寒さよりタバコの吸えない環境の方が辛い。2口目も同じくらいゆっくりと煙を吸って、ゆっくりと吐き出すと、スマホの画面をタッチして、パスワードを打ち込みロックを解除した。着信履歴を見てみると、3件の不在着信はすべてエミからだった。そしてLINEを開いてみると、送信相手はやはり全てエミからだった。

21:05
「どこにいますか???」

21:08
「帰っちゃったんですか?」

21:11
「今日は帰りますね…」

 3分おきに送られてきたエミからのLINEを読み返す。エミには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。龍平からライブに誘っておいて、途中でエミを置いて先に出てしまったのだから、普通だったらブチ切れられても仕方ない。なのに、この健気な対応はなんなんだ…?このメッセージを読んで、龍平の心はますます痛くなった。聴いたこともないバンドのライブに突然誘われたのに、しっかりと音源を聴いてきてくれたり、そのバンドのライブに着ていく服装を色々と考えてくれたり…こんな子が彼女だったら毎日楽しいんだろうな。そんな子に少なからず好意を抱かれているのに、それを手放しで喜べない自分は男性として、どこかおかしいのではないか?龍平は自問自答した。オレは幸せになりたくないのか?オレにとっての幸せってなんだ?考えても結論が出る筈がない。それよりも今はエミの気持ちに応えるのが先だ。エミから届いた残りのメッセージを読むために、スマホの画面を下にスクロールした。

21:15
「ラブ人間のライブ凄く良かったです。泣いちゃいました。またライブ誘ってくれますか?」

21:20
「私じゃ、代わりになれませんか…?」

 エミちゃん、本当に良い子だよなぁ。性格も良いし、顔も可愛いし…なのに、なんでこんな平凡で、将来性もない俺なんかを選んでくれるんだろう…龍平は自分の意識とは別のところで、無意識のうちに返信のメッセージを打っていた。

「エミちゃん、今日はごめん。もう一緒にライブは行けない。エミちゃんならオレなんかより相応しい人に絶対出逢えるよ。さようなら」

 送信ボタンを押すと龍平の中の何かスイッチが入った。スマホの電源をオフにし、コートの左ポケットにしまい、それと同時に右のポケットから潰れかかったハイライトのソフトケースを取り出した。しわくちゃになったタバコがあと1本だけ入っていた。今日も一箱(20本)吸ってしまったか。ハイライトは1箱520円だから、1カ月で約1万6000円、1年で約19万円…タバコ代、本当に馬鹿にならないよな。最後の1本を取り出し、口に咥え、100円ライターで火をつけた。さっきよりも深く、ゆっくりと吸い込んだ。そして目を閉じたまま、ゆっくりと煙を吐き出した。

タバコも酒もやめて、もう一度曲作ろう。

 龍平は現在29歳。東京に来て10年ちょっと、思えば遠回りの人生だった。沢山の人たちに出逢ってきたし、沢山の人と別れてきた。泣きたいほどに嬉しい瞬間も沢山あったし、それ以上に辛くて哀しい瞬間も沢山経験してきた。どんなに楽しい日でも、どんなに辛い日でも、次の日は必ずやって来るし、龍平の生きる道に行き止まりはなく、ずっと続いている。ここに辿り着くまでに長い道を歩いてきたが、このタイミングで晴子に出会えたことは偶然でなく、運命なんだと思う。「遠回りは最大の近道」と誰かが言っていたが、その通りだと思う。だいぶ遠回りしてきたけれど、まだオレは人生の終着点に辿り着いていない。これから先、どんなに遠回りしても、悔いのない人生を送りたい。オレはもう一度音楽と向き合いたい。そのためには意識改革から始めないと。不摂生な食生活と、不規則な生活はやめる。貯金もしないと行けないから、酒はほどほどにして、ちゃんと終電までに家に帰るし、タバコもやめる。この後、バンドメンバーに連絡して「再びバンドをやってくれませんか?」と伝えよう。

人生は常に山あり、谷あり。龍平は金や富よりも大事なものを見つけた。
大好きな晴子とバンドの仲間と、俺は下北沢で生きていく。
やっぱりあんたらなしじゃ生きられないや。

 まずは最後の1本を吸い終えたら、この扉を開けて店の中にいる晴子に「やり直して欲しい」という気持ちを伝えたい。神様、ほんの少しでいいので僕に勇気をください。

♪カランコロン

「晴子!」
THE END

【あとがき】

THEラブ人間のファンならお気づきになった方も多いと思いますが、この物語に登場する人物の名前はTHEラブ人間のメンバーや、元メンバーの名前を使わせていただきました。主人公の「龍平」と「晴子」はTHEラブ人間の曲タイトルから使わせていただきましたが、同様に物語の要所要所に、THEラブ人間の曲タイトルを散りばめながら引用させていただきました。また、事務所の後輩「THE BOYS&GIRLS」「メメタァ」の楽曲タイトルも数曲引用させていただいています。
そして「近道」という言葉は英語にすると「ショートカット」。今回「ショートカット」というワードで、いくつか言葉遊びをしながら恋愛小説を書かせていただきました。途中、回想シーンと現実が行ったり来たりで、わかりにくいところも多々ありますが、素人の書いた作品なので、どうぞ大目に見てやってください。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

2023年10月14日         JUNE ROCK 三浦ジュン


【SPECIAL THANKS】

THEラブ人間

歌手 金田康平
ドラムス 富田貴之
バイオリン 谷崎航大
キーボード ツネ・モリサワ

ベース 川上陽平(2009)
ドラムス とがしひろき(2009-2010)
ベース おかもとえみ(2009-2013)
ドラムス 服部ケンジ(2010-2016)
ギター 坂本遥(2014-2018)
ベース さとうまりな(2014-2016)
ベース わかつきるな(2017-2018)

【BGM】

「京王線」 THEラブ人間
「晴子と龍平 (with むらかみなぎさ) 」 THEラブ人間
「二十才のころ」 THEラブ人間
「東京の翌日」 THEラブ人間
「砂男Ⅱ」 THEラブ人間
「コーラフロート」 THEラブ人間
「電波」 THEラブ人間
「コント」 THEラブ人間
「クリームソーダ」 THEラブ人間
「これはもう青春じゃないか」 THEラブ人間
「東京」 THEラブ人間
「砂男」 THEラブ人間
「病院」 THEラブ人間
「ちょっと梅ヶ丘まで」 THEラブ人間
「昨日・今日・明日」 THEラブ人間
「卒業証書」 THE BOYS&GIRLS
「東京」 THE BOYS&GIRLS
「ロックンロール」 THE BOYS&GIRLS
「朝が来る前に」 THE BOYS&GIRLS
「階段に座って」 THE BOYS&GIRLS
「札幌」 THE BOYS&GIRLS
「ただの一日」 THE BOYS&GIRLS
「間違いじゃない」 THE BOYS&GIRLS
「勇気をください」 THE BOYS&GIRLS
「僕がメガネをとったら」 メメタァ
「ハイライト」 メメタァ
「無地のT」 メメタァ
「少年」 メメタァ
「春風」 メメタァ
「ほっといてくれ」 メメタァ
「24」 メメタァ