THE YELLOW MONKEYと僕-part2-

THE YELLOW MONKEY
30周年おめでとうございます!

僕は48歳なので、人生の半分以上を
THE YELLOW MONKEYの楽曲と
共に過ごしてきました。

THE YELLOW MONKEYの曲で
好きな歌詞は山ほどありますが
「SO YOUNG」のこの歌詞が特に好きです。


誰にでもある青春 いつか忘れて
記憶の中で死んでしまっても
あの日僕らが信じたもの
それはまぼろしじゃない 

僕にとってTHE YELLOW MONKEYを
好きだった時間は「青春」そのものでした。

前回「note」で
THE YELLOW MONKEYとの思い出を
振り返って書かせていただきましたが
出会いから初期の思い出だけで
終わってしまいました。。。

今回は前回の続きを書かせていただきますが
好きな気持ちを書き出すとキリがないので
今回も記憶の一部を「記録」として
綴らせていただきます。

前回「part1」で「初の日本武道館公演」
までの記憶を遡っていましたが
今回はこの続きを掘り起こしてみます。

1995年は4thアルバム「Smile」と
5thアルバム「FOUR SEASONS」を
異例のスピードでリリースするという
バンドにとっても激動の1年でした。

この頃の記憶は少しあやふやですが…
鮮明に覚えているのは
「真夏の暴走」というタイトルで開催された
「富士急コニファーフォレスト」という
富士山の麓にある野外コンサート会場で
行われたワンマンライブでした。

この会場はテレビで何度か観たことがあり
90年代前半にユニコーンと
JUN SKY WALKER(S)が対バンしたり、
ユニコーン、すかんち、SPARKS GO GO
などの対バンイベントもありました。

TVK(テレビ神奈川)で放送された
このライブイベントを観て「この会場に
いつか行ってみたい!」と思っていました。

話は戻って1995年の8月15日。

憧れの富士急コニファーフォレストで
THE YELLOW MONKEYのライブを見るために
新宿から観光バスで会場に向かいました。
バスの中でメンバーのコメント動画などが流れ
道中もワクワクしていたのを覚えています。

だだっ広い会場に着き、係の人に聞きながら
席に辿り着くと…なんと最前列!!
(EMMAの真正面あたりでした!)

オールスタンディングのライブハウスや
フェスで最前列は何度も経験していますが
指定席で最前列は人生で最初で最後!

ザ・ベンチャーズの「パイプライン」で
ライブがスタートした記憶があります。
(記憶違いでしたらすみません)

そして吉井さんはウルトラマンの
マスクを被って登場!!

「熱帯夜」のイントロが始まると同時に
マスクを外し吉井さんの顔が現れ、
本物のヒーローが登場した瞬間に
絶叫したのを憶えています。

セトリ自体、神がかっていたのですが
この日は終戦記念日ということもあり
「争いの街」が特に印象的でした。

当時、地方までライブに行く経験もなく
この富士急遠征が一番遠かったのですが
その1ヶ月後に早くも記録更新します。

「FM RYDERS Rolling 5 Yearh!」という
FM局のイベントを観るために
今度は長崎までライブ遠征しました。

長崎市公会堂で開催された
このイベントのラインナップは
THE YELLOW MONKEY
KYO+広石武彦(UP-BEAT)
SPARKS GO GO
PLAGUES

ジャンルでは少しバラバラな印象ですが
個人的には好きなバンドばかり…
さらに長崎は美輪明宏さんの生誕の地。

一度は訪れてみたかったので
このイベントのラインナップを見た瞬間に
旅行を兼ねて行くことを決めました。

そしてもう1組…
全く聞いたことのないバンド名が
出演者に記載されていました。

スマホもネットもない時代だったので
そのバンドのことを調べる術がなく
「地元(九州)のバンドかな?」
くらいの感じだったのですが、
そのバンドのライブが始まると
驚きと興奮の連続でした…

えっ!?
ギターがマーシーにそっくりなんですが…
えっ、ボーカルはヒロト…!?

そうなんです…無名バンドの正体は
「↑THE HIGH-LOWS↓」だったのです…!
(当時はまだデビュー前でした)

この日はハイロウズのパフォーマンスに
とにかく衝撃を受けてましたが…
どのバンドのライブも本当に良く
「長崎まで来て本当に良かった!」
という最高の遠征となりました。

ちなみに、この日はリリース直前の
「太陽が燃えている」をライブで
初めて観ることが出来ました。

「めっちゃ売れそうな曲だなぁ…!」

と、ワクワクする気持ちと同時に、
人気者になって、どんどん遠い存在に
なってしまうなぁ…
という淋しい気持ちも芽生えました。
(特に近い存在ではありませんでしたが…)

そして11月に5枚目のアルバム
「FOUR SEASONS」をリリース。

アルバム予約特典で当たったトークライブを
池袋のWAVEに観に行きました。
(トークは確かEMMAとANNIEだったかと)

そしてTHE YELLOW MONKEY史上初となる
オリコンチャート1位を獲得!

名実ともに日本を代表する
ロックバンドの仲間入りです。

だから熱が冷めた訳ではありませんが
しばらくライブは観られませんでした。

【仕事】

そうこうしているうち
1997年に僕はフジテレビに入社。

当初からの希望通り音楽番組
「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に
配属されました。

その年の8月にTHE YELLOW MONKEYが
「BURN」のリリースタイミングで
番組に来たのです!
(緊張しすぎて、ほぼ記憶がありません…)

その後もHEY!HEY!HEY!には
1998年に「MY WINDING ROAD」
2000年に「聖なる海とサンシャイン」
のリリースタイミングで出演。
(この時も緊張しすぎて記憶がありません…)

また2000年にスタートした
「Music_Museum」という音楽番組も
ADで担当することになりましたが、
その番組にもTHE YELLOW MONKEYは
「パール」のリリースタイミングで出演。

「パール」の歌唱も嬉しかったのですが
印象に残っているのが、この日のトーク収録。
吉井さんがレトルトカレーに詳しいとのことで
「利きカレー選手権」的な企画をやりましたが
見事に全問正解しました…!

影響されやすい僕はしばらく
レトルトカレーを食べまくりましたが、
味の違いがわかる男にはなれませんでした…

そんなこんなでTHE YELLOW MONKEYと
仕事でご一緒するようになったものの
ライブを見る機会はしばらくありませんでした。

社会人になって THE YELLOW MONKEYの
ライブを初めて観たのは1999年の12月28日。
日本武道館で行われた「メカラ ウロコ・10」
という公演でした。

「メカラ ウロコ」シリーズのライブは
コアなファンからしてみたら
とにかく特別なライブなのですが…
僕の言葉だと伝わらないといけないので、
公式から引用させていただきました。

https://theyellowmonkeysuper.jp/feature/mekara_history

THE YELLOW MONKEYが企画する公演
「メカラ ウロコ」は、結成7周年にあたる
1996年に“普段のツアーではやらないような事に挑戦しよう”と、日本武道館にて初開催された。以降、ファンの中でもお馴染みのこのタイトルは、結成10周年や2001年活動休止直前のドーム公演など特別公演のタイトルとしても使われている。
ここでしかない驚きときっかけを持ち帰ってもらう為に、毎回趣向を凝らした選曲と演出が人気を博している公演。

↑ 

「メカラ ウロコ」はそれまでに
「7」と「9」の2回開催されましたが、
シングル曲より、初期の曲満載のセトリで
ブレイク前から応援してきたファンにとって
垂涎のライブ…是が非でも観たかったのです。

しかし年末はテレビも繁忙期で
3日後の大晦日には生放送の大型特番…

仕事現場はいつも以上に殺伐としていて
3年目のADが「ライブに行きたいので
帰らせてください」なんて言える訳もなく、
正直ライブは諦めていました。

しかし音楽の神様は
僕に味方をしてくれたのです…!

疲れから風邪をひき、微熱があったため
この日は運良く(?)夕方に早退をさせて
もらうことになりました。

僕は家に帰るフリをして、ユンケルを2本飲み
日本武道館に向かいました。

1曲目から最後の「バラ色の日々」まで
「メカラ ウロコ」なセトリに興奮し、
もうずっとアドレナリンが爆発!

飛び跳ねて、拳をあげて、汗だくになって、
翌日には熱も下がるという(!)
まさに魔法がかかったような時間でした。

今だから笑って話せる話ですが、
当時は誰にも話せない行動でした。

その次に行ったライブは2000年の4月
「SPRING TOUR」でした。

「メカラ ウロコ・10」の熱が冷めず
THE YELLOW MONKEYのライブに
行きたいモード全開だったのですが…

5月の横浜アリーナの公演は
仕事で行くことができなかったので、
レコード会社のスタッフに頼み込んで
北海道「月寒グリーンドーム」の
チケットを手に入れました。

この日、このライブを観に行ったことが
THE YELLOW MONKEYとの今後に繋がる
ターニングポイントになるとは
この時は知る由もありませんでした。

北海道まで観に行った甲斐があったというか
ライブ自体はセトリがとにかく最強でした!

「メカラ ウロコ」のセトリも最高ですが
僕は「SPRING TOUR」のセトリが
過去一好きなセットリストでした。

人生で一番聴き込んだアルバム
「jugar hard pain」と「SICKS」の
曲が多く披露された、ということが
印象的だったのかもしれません。

そして、“鬼才“演出家・岡田俊二さんとの
出会いもこの日のハイライトの1つでした。

会場で開演前に、岡田さんを紹介され
何気なく挨拶をしただけだったのですが…

そのライブから数日後、
とある制作会社のスタッフから
「岡田さんのプロジェクトを手伝って欲しい」
と連絡があり、都内某所に向かいました。

「SPRING TOUR」最終日の5日後に、
THE YELLOW MONKEYが
都内某大学の校内でゲリラライブを行う
という、驚きと興奮で満ち溢れた
超極秘プロジェクトでした。

その日は平日で通常業務がありましたが
入社して3年間、会社以外の仕事を
当然したことがなく、あくまでも有志の
「ボランティアスタッフ」としての
参加となるのですが、会社にバレないか?
一瞬不安がよぎりましたが…

「これを手伝わないと一生後悔する」

と思い、半日だけこっそり仕事を休んで
その収録に参加させてもらいました。

現場に着いて、まず驚いたのは
カメラマンや音声スタッフの数名は
フジテレビの知っている人たちで…!
色んな意味でドキドキする現場でした(笑)

そしてスタッフ打合せ時に、この日演奏する
3曲の歌詞カードが配られました。

「I Love You,Baby」
「サイキックNo.9」
「パール」

「I Love You,Baby」は言わずもがな
最高に格好良いロックナンバー!

「サイキックNo.9」は
「SPRING TOUR」で披露された新曲で
個人的に大好きなタイプの曲!

そして、もう1曲は
「パール」という聴いたことのない新曲。

まだ出来立てホヤホヤの曲で
配られた歌詞カードには
仮の歌詞が記載されていました。

ADとして手伝いに行った僕は
資料のコピーから弁当配り
打合せスペースのテーブルやイスの準備
なんでもやるつもりで向かいましたが、
その日与えられたミッションは
「屋上にデジカムを設置して
俯瞰から定点で撮影をする」という
予想外の超重要な仕事でした…!

側からみたら「録画ボタン」を押すだけの
簡単な仕事のように聞こえますが、
当時はデジカムを扱ったこともなく
これが「デジカムデビュー」だったので
とにかく緊張しながらスタンバイしました。

いよいよ運命の瞬間が近づいてきました。

お昼休みで学生の賑わう中庭の一角、
普段何もない場所に、突然バンドセットが
セッティングされているため
その違和感に気付いた学生たちは
「誰が来るのだろう!?」
「いつ始まるのだろう?」
と、ソワソワしている感じでした。

そんななかメンバーを乗せた1台の
ハイエースが校舎に入ってきました。

学生の人だかりが凄い勢いで
車の方に集まっていきます。

現場ではひたすらドキドキしてましたが
のちに「SPRING TOUR」のDVDに
入っているドキュメント部分を観て、
僕の撮影した俯瞰の映像が使われている
ことを知り、鳥肌が立ちました…

作品を観るたびに「歴史的瞬間に
立ち会ったんだな…」と改めて、
自分の取った行動を誇りに思います。

ちなみに「SPRING TOUR」の
エンドロールに「Jun Miura」という名前が
クレジットされているのも自慢です(о´∀`о)



この先、「ROCK IN JAPAN初出演」
「メカラ・ウロコ 8」
活動休止、解散…

THE YELLOW MONKEY結成20周年特番
『メカラ・ウロコ 20』の制作

まさかの再集結、ツアー、番組出演…

まだまだ濃い思い出がたっぷりとあるのですが
とりあえず「part 2」はここまで。

また、続きは記憶がなくならないうちに
書きたいと思います。

かなり長くなってしまいましたが…
最後までご拝読いただき
ありがとうございました!