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31歳になる前日に起業した理由


社員からインタビューを受けた際のテキストまとめです。


■ひきこもり少年だった…

すー:小さい頃どんなことをやっていたのですか?

谷本:習い事が毎日あり、友達と遊んだ記憶がほとんどないですね。家で小説やマンガを読んだり、ゲームしたり、プラモデルを作ったり…1人でできることに熱中している子供でした。こう言うとかなり寂しいですね笑

よくある地方都市で育ちましたが、そういう子は珍しかったかも。。

すー:…く、暗い…( ;∀;)  ちなみに小さい頃の夢はなんでしたか?

谷本:母数は多くないかもですが、「他人の創作物」と触れ合うことで成長していく子供もいます。僕はまさにそんな子供でした。

当時の自分のような少年少女に向けた「クリエイティブな仕事やエンターテイメントの仕事がしたい」と思い、最初はゲームデザイナーか映画監督になりたいと考えていました。

こういった根底にある情熱は今も醒めずありまして、まわりの人たちや次世代の子供が喜んでもらえるような何かを生み出したい気持ちは変わっていないですね。

■みんながやらない事が面白い

すー:中学校や高校はどうでしたか?

谷本:「映画よりゲームを作りたい!」と思って、色々と進路を調べたんですよ。じゃあゲームを作る人が行く「高専」という学校があることを知りました。ここしかない!天命だ!と思って、進学しました。同じ中学から進学した人は他にいませんでした。

で、自転車で雨の日も雪の日も毎日15kmを1時間かけて通って笑、ゲームを作る勉強をスタートしました。…と思ったのですが、高専で待っていたのは主にプログラミングの勉強。

プログラムを学ぶ学校なので当たり前なんですが笑、C言語をひたすら書く授業がありました。ただ、どこか興味が持てず、ゲームのストーリー、システム、人の気持ちを動かす演出に関心の矛先が向かう自分がいました。

当時は無邪気にも明るい未来を確信して進学しましたが、ほぼ男子校で他にも楽しみを見出せず笑、「プログラミング向いてない」と思い、完全に高専生活に挫折したといいますか。。路線変更しました。

ゲームともう1つ興味があった「映画」を学べる芸術系の大学に進みました。理系の極地から文系の極地と真逆に転向ですね笑

ちなみにだいぶ余談ですが、地方都市によくあるイ○ンでよく売っているような1万円台の自転車は、毎日行き帰りで30km走っていると半年くらいでダメになるのでやたら買い替えた記憶があります笑

すー:行かれた大学ではどんなことを学ばれたのですか。

谷本:ひたすら映画を撮っていましたね。制作は一人の時もありましたし、チームで作ることもありました。また、当時はweb回線がブロードバンドにほぼ完全に切り替わったタイミングで、勝手にwebで拾ってきた画像や動画を拾ってきて、それを編集して1本の動画にすることに夢中でした。なんの生産性もない笑

エキソニモというメディアアートグループがつくった「フラグメンタルストーム」(http://www.exonemo.com/FMS/indexJ.html)に影響を受けたからですが、当時のweb文化は自分の血肉となっています。…こんな話でいいんですかね?笑

同時期にたまたま『広告批評』という、もう廃刊になったのですが毎号購読していた雑誌がありました。今や少なくなった、素敵な文化を発信する雑誌でしたね。。その中で、『広告学校』という広告制作の仕組みを学べる講座の宣伝ページがあるのを目にしました。

過去の名作CMを見る授業を受けていてハマっていたこともあって、これはおもしろそうだなとさっそく授業に潜り込んだんですね。

すー:潜り込んだんですか笑

谷本:ちゃんとお金払っていきましたけど笑

そのときダントツで人気だったのはCMプランナーやコピーライターになるための講座でしたが、ちょうど「web部門」の募集もしていました。…なんやねんそれと笑


普通でしたら映画を作る学生ならCMの方に行くかと思うんですけども、「みんながやってることをやっても面白くないな」と思い、それで「新しくできた、なんだかよくわからないwebの講座」に行くことにしました。高専のときと同じく、よく調べもせず笑

すー:どうだったのですか?

谷本:さっき言った人気講座の10分の1しか参加者がいなかった笑 ただこれが大当たりでした。

講師陣がそうそうたるメンバー。ユニクロが自分史上勝手にイケていたと認識している2000年代後半に、そのweb広告制作の中枢を担っていた、tha中村勇吾さん&projector田中耕一郎さん。このお二人がつくったUniqlockはwebの世界では社会現象になっていました。

…webの世界での現象だけだと社会現象じゃないか笑 カンヌ広告祭でもグランプリを取ったり、日本のweb文化が、世界でも1番輝いていた時期の代表作ですね。

他にも「Party」代表の伊藤直樹さん、777インタラクティブ福田敏也さんなど、田舎上がりの学生の僕じゃなくても、講義がすごく衝撃的でした。

講義自体はwebという枠組みを超えて、「人が感動する正体は何なのか」「クリエイティブな精神を持つための日常の過ごし方」などなど、とてもおもしろくて、僕はwebには疎かったのですが、webをつくってる人にまず惹かれて、こういった世界で働きたいなとデジタルの世界に本格的に興味を持ちました。

もうボロボロですが、当時の講義メモは、前職の広告代理店時代にもいつも持ち歩いて見返したりしていましたが、結局その内容は最後まで色褪せませんでしたね。今も大事に取ってあります。

この講座は1回かぎりで終わってしまったのですが、今も自分の最高のイベントだったと思っていますね。そこで学んだことが、今のベースにあります。東京に出てきた意味を感じた、大きなターニングポイントでしたね。

ある講師から「うちに来なよ」とインターンの誘いを受けました。人生で初めて大人から評価された瞬間でしたが、大きな自信になりました。でも諸事情あり行かなかったんですが笑

その後、広告代理店に入り、運が良かったこともあり、広告のデジタルクリエイティブを仕事にすることになりました。

■30代は、20代とは違う自分を生きたい

すー:それからO:を起業したきっかけは何ですか。

谷本:広告業界の基本的なマネタイズモデルは、番組の間の枠にあるテレビCM、新聞などの広告スペースを安く買って高く売るモデル。高度経済成長時代はそれで良かったんですが、日本の人口も頭打ち、経済の先行きもあまり明るくない状態となり、業界の中でも構造変革の機運が生まれました。

中でも衝撃的で覚えていますが、2015年頃からアメリカのR/GAというデジタルエージェンシー中心に「広告会社はスタートアップに並走する『アクセラレーター』になろう」とチラホラ聞かれ始めました。

「スタートアップに並走して、彼らを大きくしていく応援者であるべきだ」ということで、広告会社が培ってきた「興味のない人にコミュニケーションを通じて振り向いてもらう技術やアイデア」が彼らの支援材料になるのではとのことです。

すー:そのころ谷本さんは何をされていましたか。

谷本:肩書はコピーライターだったのですが、3流コピーライターだったので笑、「売上をつくるのではなく、新しい売り方の方法を発明しなさい」とか、「他の人がやっていない仕事をやりなさい」とほぼ白紙に絵を描くような笑、そんな仕事とも呼べない仕事を担務していました。

で、おそらく会社としてもかなり早い段階で国内のスタートアップとお仕事する機会があったんですよ。同期の営業と組んで自主提案に持ち込んで、、、なんとお仕事ご一緒させていただくことになりました。

決済までのスピード感、代表とスタッフとの風通しの良さ、忖度のなさ、情熱、そして朝令暮改感(笑)、すべての面で広告代理店にいる自分の思想とは違っていました。それなりに一生懸命仕事している自負とそこからくる成長感はあったのですが、圧倒的に自分が「同世代の人間に取り残されてる」なと思ったんです。

起業どころかスタートアップに入るなんて思ってもいなかったですが、今に至るのは当時の出来事が種になっている気がします。

その後、会社でもスタートアップのような動きを取って、新規事業を立ち上げられないものか藻掻くような時間が始まりました。で、結果からいうと自分の力不足で実現出来ませんでした。

「このままやりたいことができないが、安定を選んで会社に残る」

「どうなるかわからないが、会社を飛び出してやりたかったことをやる」

わりとあっさりと後者を選び、前職の会社を辞めました。元々起業したかったわけではありません。

すー:起業したかったわけじゃなかったのですか!?意外です。

谷本:僕が起業したのが30歳最後の日だったんです。31歳になる1日前です。


すー:(少し早めのビッグプレゼント 笑)

なぜ誕生日前日に企業したのですか。

谷本:20代の流れを30代に残したくないと思っていました。20代も全力疾走で毎日楽しかったのですが、そのままの状態が続くことで得られるものは、多分そんなに大きくないなという気持ちが後押しになりましたね。

人生の転換期に自分を変えたいと思うことが多く、大学から東京に出るときなども絶対それまでの自分と分断しようというような感覚がありましたね。移民と同じ気持ちです笑 

マグロは止まったら死ぬといいますが、同じ水で止まらない状態を保つよりも、おそらく別の海に移して環境を変えたほうがより成長するのではと勝手に思いこんでます笑 エビデンスはゼロですが。 

すー:私も思い返せば、小中高と切り替わるたびに自分を変えるためのアクションをかけていました。例えば人見知り卒業、最強プレゼンターになるとかですね。

■睡眠データとは、隠そうと思っても隠せない、自分でもわかっていない自分の本音を教えるもの


すー:O:SLEEPは健康改善にもつながるサービスですが、なぜ健康に着目したのですか。

谷本:個人的な経験からも、健康な状態で働いた方が自分にとってもみんなにとっても、従業員にとっても会社にとっても得だというのが僕の確信していることです。そういう認識が共通する世の中にしていきたいと思って今の事業を展開しています。

すー:O:の今後の目標は何か伺ってみたいです。

谷本:我々は睡眠民族です。寝ないと生きられません。我々のサービス「O:SLEEP」を通じて睡眠状態の変化を見ても、アプリだけでも個人の健康状態・組織のKPIが改善することが分かってきたので、それをとことんつき進めたいですね。

また、睡眠データというのは、隠そうと思っても隠せない人々の本音です。個人のパフォーマンスやメンタル状態と睡眠データが非常に関わっています。「自分でも分かっていない自分の本音を教えてくれるもの」です。あまり知られていないのでそこを訴えていくことが我々のミッションです。

睡眠データがあることで、今企業がどれぐらい生産性が落ちているのか、どれぐらい生産性が良いのかが分かり、改善にも繋げられます。これが自分たちの事業の面白さだと思っていまして、他にそういうことをやっている人はいません。

すー:最後にどういう方に入っていただきたいか、ストレートに言っていただいてもよろしいですか。

谷本:我々はまだまだ小さい会社ですけど、野望は大きい会社だと思います。本質的な人間の課題とか、会社の課題とか、社会の課題とかに向き合って行こうとしています。

「睡眠データは人々の本音」と話しましたが、とすると、世界最低の睡眠時間を維持している日本はとても危険な状態だと思っています。
大げさかもですが、この病理を解決していくことをねらっています。


※こちらWantedlyの下記記事の転載になります。
https://www.wantedly.com/companies/o-inc/post_articles/135742



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