猿の生贄(いけにえ)

美作(みまさか:岡山県)の中山神社には猿が祀られていた。猿は、農産物を荒らし、女子供を襲ったりする。そんな猿を祀ることについては、それなりの理由があったのだろう。当時の農民には、猿を撃退するだけの備えがなかった。鉄砲もなければ、ビリビリとくる電流を流す針金を張り巡らすこともない時代だった。だから、人間は猿の機嫌をとるしかなかった。

さて、村人は中山神社に、年に1度、生贄(人身御供)を捧げた。生贄となるのは、この村の未婚の処女と決まっていた。そして生贄として捧げられると、その娘は猿の餌になるのだった。筋張った硬い肉ではなく、脂の乗った軟らかい肉を好むという点では、猿も人間と同じということだろう。毎年、村人が集まって、来年の生贄を誰にするか、話し合って決めていた。

この村に比較的裕福な家族があり、夫婦と娘の3人で暮らしていた。村人の合議で、その娘が来年の生贄に決まった。この家族は深いショックを受けた。なぜこの娘が生贄に決まったのか、合議の議事録が残されていないので、知る由もない。父母と娘は、来る日も来る日も朝から晩まで泣き通した。

東の国からやって来た猟師があった。上背があり、筋骨逞しく、動作は機敏だった。顔はまあまあといったところだったが、勇敢さにおいて立派な青年だった。彼は犬を使って、ウサギやキツネなどをつかまえる猟師だった。彼は、通りかかった比較的大きな家構えの門をたたき、宿泊を願った。そこの家族は、とても感じのいい人たちだったが、暗い空気が漂い悲しそうな様子だった。
 「何をそんなに悲しんでいらっしゃるのですか?誰か亡くなられたのですか?」夕食のあと、猟師は訊いた。
 「これから娘が亡くなるのです。それで悲しんでいるのです。」主人が言った。
 「娘さんが重いご病気なのですか?医者の診たてですか?」
 「病気ではありません。娘は来年の生贄に選ばれたのです。ですから、娘は、来年、100%死ぬことに決まったのです。命日まで決まっています。」

両親は、少しでも慰めになればと思い、猟師を娘に紹介した。16歳で中背の、艶のある黒髪が腰のあたりまで延び、細面で、涼やかな切れ長の目の美人だった。その目から絶え間なく湧き出る涙をみて、猟師は心を動かされ、娘を生贄にしてはならないと心に決めた。生贄を捧げる儀式の手順を詳しく聞き、猟師は、その夜、明け方近くまであれこれと思案していた。朝食のあと、猟師は、両親に、娘さんを生贄にさせないための彼の計画を語った。それは、娘の代わりに猟師が生贄を運ぶ長びつに入るというものだった。両親と娘は、藁にもすがる思いで、猟師に命を託したのだった。

猟師と娘は意気投合し、両親も猟師を気に入った。猟師と娘は結婚した。だが、実はこの時点で、娘は生贄になる資格を失ったのだ。この結婚は他の村人には知らせなかったので、家族以外は誰も知らなかった。猟師の存在すら極秘だった。猟師は周到な準備にとりかかった。来る日も来る日も、彼の連れていた犬を、猿をみたら噛み殺す様に訓練し、彼自身は、竹を相手に剣術の腕を磨いていた。

時は流れ、明日は生贄として中山神社に連れていかれる日となった。妻となった娘は夫の猟師に手を尽くしてご馳走をふるまい、その夜、2人は語り明かして、眠らなかった。夜が明けて、妻は泣きながら食べきれないほどの朝食を夫の前に並べ、夫は妻の気持ちを思い、出されたものを全部たいらげたので、お腹がはち切れそうだった。涙の止まらない妻の前で、猟師と犬2匹が長びつに入った。刀もひとふり中に入れた。
やがて村人が続々とやってきて、長びつを担いで家を出た。はち切れそうなお腹と、真っ暗な長びつの中で揺られていると、船酔いのように気分が悪くなった。吐きそうになりながら、猟師は懸命に我慢した。そうこうするうちに行列は中山神社に到着し、長びつは堂内の神前に置かれた。

今にも吐きそうになっていた猟師は、そっと蓋を開けて外の空気を吸い、様子をうかがった。神前には大猿、その他100匹ほどの猿が座っていた。そして、まな板、包丁、それに調味料(味噌、醤油、塩)と酒が用意されていた。その光景をみて、猟師の吐き気は我慢の限界に達した。ちょうどその時、猿たちが長びつに近づいて来て、大猿が長びつの蓋を開けた。

蓋が開くと同時に、猟師と犬が中から飛び出し、猿たちに襲いかかった。犬たちは逃げ惑う猿たちを次々と食い殺した。堂内はパニックに陥った。猟師は大猿をまな板の上に押し倒して、首に刀を当てた。その瞬間、猟師は思いっ切り吐いて、吐物が大猿の顔にまともにかかった。刀を首に押し当てられていたので、大猿は吐物をよけることができなかったのだ。大猿に馬乗りになって、猟師は、生贄をやめるよう怒鳴りつけた。吐物まみれの猿は手を合わせて許しを乞うた。生き残った猿たちはみんな四散していなくなった。組み伏せられた大猿だけがまな板の上に残った。堂の下でかしこまっていた神主の1人に神が乗り移って(憑依して)、その口を借りて、神は、「今後は生贄を要求しない、さらに、猟師とその妻、妻の両親に対して、決して危害は加えない」と約束した。

こうして生贄の時代は終わったのだった。猟師夫婦は死ぬまで、この地で両親とともに、日々平安な生活を送ったそうだ。猟師の犬がいたので、この村には猿が寄り付かなくなった。彼らが、村人から感謝されたことは言うまでもない。

<今昔物語巻26第7>

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