不可思議な現実を問い直す 【世界標準の経営理論6:ゲーム理論】
今、世の中はコロナで大変な状況になっている。
最前線で日々感染リスクに晒されながら活躍されている医療従事者の方々には本当に頭が上がらない。
また、コロナの影響により事業や仕事が中断せざるを得ない状況で、先が見えず苦しんでいる方々もたくさんいらっしゃると思う。
そして、いろんな批判を受けながらも政府・自治体の皆さんも不眠不休で日本を救うために頑張られていると思う。
私のような企業人は、在宅勤務であることや子供が常に家にいること以外はそれほど大きなストレスのない生活を送っており、(今のところは)日本全体で見れば相当に恵まれている状況にあると感じている。
そんな私にできることは、この今のwithコロナ、そしていつになるかは不透明だがコロナが収束した後のafterコロナの社会に対して、少しでも貢献できることを考えることしかない。
そういう状況の中、社内の有志で開催している「世界標準の経営理論勉強会」も、3月末に予定していた第3回を延期することになり、やっと先日リモートで開催することができ、前回の投稿からかなり時間が空いてしまった。
今回は「ゲーム理論」。
大学の経済の授業で習って以来だが、「囚人のジレンマ」くらいしか記憶に残っていなかったが、改めて読み直すと、産業界や社会で起きている「不可思議な現実」を読み解く切り口になることがわかってきた。
【読解】ゲーム理論とは
ゲーム理論について、冒頭で以下のように説明されている。
「相手がある行動を取ったら、自分はどう行動するか」あるいは「自分がある行動を取ったら、それに対して相手はどう行動するか」といった相手の行動を合理的に予想しながら、互いの意思決定・行動の相互依存関係メカニズムと、その帰結を分析するものだ。
これまで紹介してきた理論(SCP、RBVなど)は、あくまで自社だけの視点で考えられてきた。
しかし、実際のビジネスでは常に競争相手との読み合いや、反応によって自社の意思決定すら変わるのが現実であり、その相互のメカニズムを解明するというのがゲーム理論最大のポイントである。
ゲーム理論については、同時ゲーム、数量ゲーム、クールノー競争、ベルトラン競争、支配戦略、ナッシュ均衡、、、などなど説明しなければいけない概念が多く存在しており、それを一つ一つ説明すのは難しい。
詳細は、もちろん本書を読んで頂くほか、多くの分かりやすい解説が溢れているのでここでの紹介は最小限にする。
最近では、経済学者の安田洋祐さんがコロナの影響によるトイレットペーパー買占めをゲーム理論で解説されている。
そこで本稿では、ゲーム理論の基盤とも言える「ナッシュ均衡」を中心に読解していきたい。
【読解】ナッシュ均衡とは
例えば、ある業界でA社とB社が競争関係にあるとしよう。その両社が、今季の生産量を「現状維持」にするか、もしくは「量産」するかの意思決定をそれぞれが検討している。
そのような時、一般的には、両社とも自社の都合だけで考えるのではなく、競合関係にある他社がどうするかを読み合うことで自社の意思決定を考える。
そのようにお互いに読みあった結果、最終的に定まる「結果」(それぞれの意思決定の結果)を「ナッシュ均衡」と呼ぶ。
ナッシュ均衡は、競争の形(数量競争なのか価格競争なのか、もしくは同時に意志決定するのか、どちらかが先手を打つのか、など)によって均衡する位置は異なってくる。
しかし、ナッシュ均衡には大事なポイントが二つある。
①ナッシュ均衡は、「安定的」であること
②ナッシュ均衡は、必ずしも両社にとって「最善の状態ではない」こと
先ほど挙げた例だと、「両社が量産」することが読みあった結果のナッシュ均衡だったとすると、①その状態が安定的になるため、一度均衡すると中々変えることが難しい。
また、②「両社が量産」した場合の売上の総和が、「A社だけが量産して、B社が現状維持」(またはその逆か、「両社が現状維持」)という意思決定による売上の総和よりも、低い可能性がある(=両社にとって最善ではない)ということである。
このような状況が起きる原因は、公正取引のルールのもと、両社が「結託しない関係」という前提があるためである。
(※この点は後ほど触れます)
ナッシュ均衡の例
いくつか具体的な例を紹介する。
ナッシュ均衡は、数社が寡占する業界では頻繁に起こる現象である。例えば、半導体業界や液晶テレビ業界による量産競争であり、牛丼業界の価格競争などである。
半導体業界や液晶テレビ業界がナッシュ均衡に陥っていった当時の状況は、以下の経営共創基盤の冨山さんの講演が詳しい。18分〜32分あたりでお話しされている。(1時間と長い動画ですがオススメです。)
当時の各社の意思決定の様子が生々しく語られているが、おそらく多くの人は各社が量産することが業界全体で不利益になることを感じ取っていたはずだが、経営層の実際の意思決定はそのようにならなかった。
このように、お互いに読み合い、それぞれが合理的な意思決定をした結果(=「ナッシュ均衡」)、業界全体が不利益を被るということが起こる。
一度決まった「ナッシュ均衡」は安定的なため、当面その状態が続く。そして業界全体が沈没していく、ということを繰り返している。
もう一つの例は、本書で紹介されている、エスカレーターに立つ位置が、東京(左)と大阪(右)で異なる、という話である。
エスカレーターの立ち止まることについては、以下のような研究結果も紹介されている。
この研究によると、実は、エスカレーターは全員立ち止まるのが、皆にとってハッピーなのだ。
読みあった結果、片側に立ち止まるという「ナッシュ均衡」に落ち着いて、私含む一人一人は疑問を持つこともなく東京では右に立ち続けている。もはや文化・慣習となっている。
「ナッシュ均衡」の恐ろしさ
ナッシュ均衡は、本書でも、以下のように指摘されているが、
我々のビジネス社会には「なぜこんなことをするのだろうか」というような国特有の制度、慣行、不文律がある。そしてそれらは、変えたくてもなかなか変えられない。
それぞれの人が合理的に行った判断の結果が、全体的に見ると、全く合理的とは思えない不可思議な状況や文化を作り出す。
これこそが、ゲーム理論、ナッシュ均衡の面白さであり、一方でその恐ろしさでもあると理解している。
先に挙げた半導体や液晶テレビも、良かれと思った合理的な判断の結果が、業界全体を潰し、ひいては日本の産業界をおとしめる状況を作った。
社会全体の損失を生み出す「ナッシュ均衡」
「それぞれの人が合理的に行った判断の結果が、全く合理的とは思えない状況や文化を作り出す」、といったナッシュ均衡の特性は、産業界だけではなく、我々の日常的な生活にも大きな影響を及ぼしている。
エスカレーターの立つ位置も、それだけ聞くと微笑ましい話にも聞こえるが、日々の小さな無駄は、その積み上げた結果は、日本国内だけで見ると、どれほど大きな損害になるか。
日々の小さな行動の積み重ねが、知らず知らずのうちに、全体で見ると膨大な無駄を作る。
文化・慣習ほど恐ろしいものはない。
その、最たる例が、毎日、同じ時間に同じ方向に国民のうちの多くの人が移動する「通勤電車」であり、その前提となっている「仕事とは定時にオフィスに行くこと」という多くの企業に共通した不文律、制度であり、今この状況下で社会全体が疑問に持ち始めていることだと思われる。
小池都知事が就任してから時差通勤を推奨してきたが、小さな変化は起これど社会全体のムーブメントにはなって来なかった。
また、ハンコ文化も同様に、当たり前のこととして受け入れてきたが、美術的な観点から見れば素敵な文化ではあるが、生産性から見たら明らかに無駄である。
しかし、平時においてそうした文化・慣習を変えるのはとても難しい。
ナッシュ均衡を崩すものは何か?
今、このコロナ禍によって、その社会の前提も少しずつ疑問視され始めている。
通勤電車やハンコをはじめとして、平時においては一部の専門家しか問題視していなかったことに対して、多くの人々がその存在意義を疑い始めている現実がある。
すでに多くの人が指摘しているが、過去を振り返ると、大きな社会的イノベーションは、災害などの非常時をきっかけに起こることが指摘されている。
コロナは、多くの人にとってとても厳しい状況を作り出しており、普段とは異なる状況で生活を送ることを強いている。
しかし、そのために、実感値として、これまでの当たり前を疑い始めているのだ。
そして、だからこそ、今の状況を(余裕のある人たちは)前向きに捉え、ナッシュ均衡に陥った「不可思議な現実」を積極的に問い直し、仕組みを変革する大きな機会になるのではないか?
いつ収束するか分からない状況の中、大きな変革のチャンスと捉えて、今このタイミングで動き始めれば、きっと社会を良くするチャンスになるのではないかと考えている。
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