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Day39.ふじたゆかりに沼ってる

私、推しがいるんです。
ふじたゆかりっていうシンガーソングライターなんですけど。

ピアノで弾き語りをしてて、
毎週木曜日21時からツイキャスで配信をしている方。
ご縁があって、その推しと交流させていただけているっていうありがたい状態なんです。
本当にいろんな人のおかげでというか、
私の気持ち悪いクソデカ感情をぶつけにいった結果というか、いろいろそうなる過程はあるんですけど。
その人たちとこの間、お茶をしたんですよ。
その時のことを思い出しながら、私はこの人たちにすごい救われてるなって思って、そのうちの一人がふびたゆかりなんです。


■世界との繋がり

なんかね、私はふじたゆかりの音楽がすごく好きで愛おしいと思っているんですけど、 それはどういう感情なんだろうって今日考えたんです。
考えたというか、ふっと思い当たったというか、言語化したいなと思って。

私は世界と繋がってないなってすごく思っていて。
世界っていうのは社会とは別で、 社会とは繋がってたと思う。
社会と繋がろうとした結果、生きていくために自分を社会に寄せていったんです。
多分元々はそういう人間じゃなかったと思うんですよ。

でも生きていくために社会に寄せていかないといけない、っていうことをやった結果、
世界ときっと元は繋がっていたんだと思うんだけど、それが切り離されちゃったんです。
どっかのタイミングで。
それがいつかは明確にはわからないんだけど。

だから、降ってくる木漏れ日が美しいとか、
川の流れに触れたらその指先が冷たくて、
なんだか静かな気持ちになって、
キラキラしていて、世界が美しいな
って思う感覚みたいなものが切れちゃって、それが感じられないようになったんですよ。

だからすごく疲れてる時に自然の中とかに行くと、すごく落ち着くなっていうところまではわかるけど、その美しさを実感として感じられない。
感じる感性が多分その社会に適応していこうっていう中で、感覚とか思考って使わないと薄れていくじゃないですか。
言語とかもそうですけど、喋らなかったらどんどんどんどん喋れなくなっちゃうっていうのと同じで、世界を美しいと思う感性を私はどこかに置いてきてしまったんだと思うんですよね。

■ふじたゆかりの音楽

彼女はそれをちゃんと今でも感じていて、音楽にすごくそれを感じるんですよ。

彼女が見た世界、美しい世界、それは悲しかったり寂しかったりすることもあるんだろうけど、
彼女の感性で見た世界っていうのを、彼女の音楽を通して私は見せてもらっているっていう感覚なんです。

私が受け取れないものを翻訳して、
いつかすごく遠い昔に自分が美しいって思っていたものを、もう一度彼女が見せてくれるっていう感覚なんですね。

見えなくなってしまった世界を彼女が見せてくれて、そういう感性を少しずつ思い出させてくれるっていうそんな音楽なんです。

それがすごく愛おしいなって思ってて。
愛おしいなって思う人たちもみんなそれぞれそういう感覚っていうのを持っていて、だから自分が持っていない感性で世界を見ている人たちをすごく羨ましく思って尊いって思うんですよね。

■おわりに

っていうのをなかなか本人に伝えることが難しい。
こういう思考って意図して浮かんでくるものじゃないじゃないですか。
なのでその場ではなかなか伝えることができないんですけど。
心に浮かんできたこの感情を、ちゃんと伝えないとって思って。

この感覚が伝わるかどうかわからないし、
全然何言ってるかわからないって思うかもしれないんですけど、それはそれで良くて。

自分の中に生まれた感情があって、
そんな風に思っていて、
それを届けたいって思ったよ
っていうことが伝わったらいいな。

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