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東京の“ツラ”、アジアの“ツラ” ──ICCシンポジウム「アジアのカルチャーシーンをつくるには」感想 前編

ICCのシンポジウムに行った

先日、ICCで行われたメディアアート国際シンポジウム「インターネット以降の文化形成──創作、発信、ネットワーク──」を聞きに行った。シンポジウム自体は2日間にわたって行われていたが、僕が参加したのは目当てだった、2日目の第3部「アジアのカルチャーシーンをつくるには」のみ。


ネット社会特有の新たな表現を発信するプロダクションとメディアによるカルチャーシーン形成の実践を紹介.インターネット以降の文化の相互作用,そこで生まれるアジアにおけるユースカルチャーの未来について考えます.
出演者:
川田洋平(編集者/『STUDIO VOICE』ディレクター|日本)
マーヴィン・コナナン(PURVEYR設立者,編集長|フィリピン)
FNMNL[和田哲郎](カルチャー・ウェブマガジン|日本)
VISLA Magazine[チェ・ジャンミン,クォン・ヒョギン](カルチャー・ウェブマガジン|韓国)
若林恵(編集者|日本)


登壇者は『STUDIO VOICE』の編集をしている川田さん(+なぜかスライド送る係で隣にいたもてスリムさん)。普段から交流の多いFNMNL和田さん。海外からはPURVEYRの設立者で編集者のマーヴィンと、先日FNMNLとのパートナーシップを発表した韓国のカルチャーメディアVISLA Magazineの二人。そして司会は若林恵という、メディア関係者を集めた座組。登壇者にわりと自分と近しい人が多かったので、どんなトークが行われるか気になっていた。
シンポジウムは順番に彼らの簡単なイントロダクションから入り、各メディアの実践(とブランド・アクティベーションや広告系クライアントワーク)、そして彼らがどのように自国のユースカルチャーやプレイヤーと関わっているかということが中心だった。「アジアのカルチャーシーンを作る」というより、「アジアのユースカルチャーにおけるメディアの役割とその実践」という感じ。メディアごとの取材や編集の方法、またその運営方法などの話に時間が割かれていた印象があった。
どのスピーカーの話も興味深かったが、前編では川田さんの話をメインに書きたい。川田さんのトークテーマのとっかかりは、昨年末に発売された『STUDIO VOICE』の特集「Flood of Sounds from Asia いまアジアから生まれる音楽」。ポコラヂでも何度も取り上げたほど素晴らしいもので、彼らをポコラヂに呼んで制作の裏側や編集方針について話を伺ったこともあった。今回も、特集制作の裏側の話がメインになっていた。

グローバル化以降、「情報の落差」はどうなるか

まず面白かったのは、『STUDIO VOICE』の特集をやる上で、予算的にアジアしか取材の選択肢がなかったという話。LCCを使うと、新幹線で国内を移動するよりも安い。つまりコスト的に国内で取材をするよりもアジアを取材するほうが安いということだ。太田くんがレトリカのウェブに載せている、モビリティ・スタディーズについての論考を思い出した。

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(画像:『STUDIO VOICE』Twitterより

いまや、物理的には遠いはずの東南アジアの方が、身体のアクセスはしやすくなっている。しかし同時に、そこには言語や文化といった文化地理的な差異がある。そしてその差異は、SNSなどのグローバルプラットフォームの存在によってさらに複雑化し、それぞれの地域の文化は相互に何重にも織り込みあっている。若林さん曰く、編集者は「情報の落差で金を生む仕事」とのことだが、一言で「情報の落差」と言っても、インターネット社会や資本主義の前進によって、どこにどんな落差が生じているのかがさらに見えづらくなっているように感じた。

あまり考えられていない、外からみた東京について

こうした差異の複雑化に関して、川田さんが興味深いことを話していた。この特集のかなり早い段階で、「K-Popとか88Risingみたいなグローバルで取り上げられる『アジア』じゃないアジアがあるんじゃないか?」という問題意識があったらしい。

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(画像:US版「Rolling Stones」より

グローバルで流通している、またはいま目立っている「アジア」観。それと必ずしもイコールではない現実のアジア。日本に住んでいると、外から見た日本やアジアについて、実際のところを知る機会が少ないと感じる。勝手に持っている「なんとなくのイメージ」を修正する機会が少ない。外国人は増えてるとはいえ、まだまだ交流や話す機会は少ないし、グローバルからの目線や、何も知らない人の持つステレオタイプみたいなものについて考えることが少ない。
しかし、この極東の地が世界からどのように見られているか、その中で僕らはどんなアイデンティティを持って世界に対峙していく必要があるのか。「カルチャー」を創っている自負がある人ならばもっとこのことについて考え、葛藤があっても良いんじゃないか。そんな素朴な気持ちを思い出した。

東京はアジア特集のどこに入る?

この『STUDIO VOICE』のアジア特集に「東京」は入っていない。アジアの音楽っていうカテゴリーを考えた時に、「『日本』とか『東京』ってどう入れるんだっけっていうのが結局よく分かんなかった」という川田さんは語っていた。
「東京」という街はどういう「ツラ」でこの特集に入ってくるんだろうか。川田さんは、実際に東京に住み、生活をしているから見えなくなってしまっている部分もあるだろうと前置きをしていたが、彼が「結局よく分かんなかった」とまとめたのは、ポジティブな感じではなかった。
別に「ツラ」や分かりやすい「アイデンティティ」があることが正義だとは思わない。むしろそれが、本質的なリアリティから目を背けさせることもある。しかし東京や日本という単位で文化を考えると、このような問題意識のなさから生まれる「ツラ」や「アイデンティティ」の不在や、そのことについて考えること自体が無意味であるような風潮が強いように感じられる。
この原稿を書いている途中、初めて自分の計画した海外旅行でイギリスとオランダに遊びに行っているシンガーのtsvaciさんとちょうどDMをしていて、日本の文化や働き方が相対化されたという話をしていた。日本の外部のなさ、そしてそこから生まれる自己懐疑や議論のなさといういつもの問題意識を思い出した。noteに書く話はこういう当たり前なのに生活の中で忘れられてしまう、いつもの問題意識を再確認するためのプロセスな気がする。

焦点を合わせすぎない

川田さんとモテスリムさんの話で一番面白かったのは、アジアという地域の定義の不可能性と、焦点の合わせ方についての話だった。
アジア特集に向けて現地で取材を行う前に、2人は2ヶ月くらいインスタの友達の友達やタグを辿ってリサーチを行ったらしい。すると自分たちなりの見取り図が見えてきて、それをもとにして現地を見て回ったという。「1つ分かると、2つ分からなくなるみたいなプロセス」だった、と彼らは語っていた。

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(画像:『STUDIO VOICE』Twitterより

彼らは取材に際して、いくつかのルールを作ったらしい──普通の音楽ライターを使わない、現地のカメラマンを同行させる、必ず現場に自分たちも同行する、など。現地の音楽やそのプレイヤーに対して、既存の文脈や語彙を使って語るようなやり方──彼らの言葉で言えば「焦点」を合わせるような取材──ではなく、分からないことに対して「焦点」が合わないままに、それを記事にすること。それは、取材やインタビュー、リサーチといった手法がはらむ暴力性や粗さに対して、別の仕方で解像度をあげていくための方法なのだろうと思った。
川田さんは「日本みたいにカルチャー系コンテンツやメディアが飽和した市場では、編集者の役割は変わってくるし、変わらないといけない」と言っていた。彼らの自主的なルール設定は、いまの情報環境や情報格差がある状況においての、編集者の役割の変化を捉えてるなと感じた。そして実際にこの特集号が、『STUDIO VOICE』復刊後で一番売れたという事実は、それをさらに裏付けている。
受け手も、決してアルゴリズムやPDCAでツルツルになったコンテンツだけを望んでいるわけではないということ。読者自身がしっかりとしたリサーチと現地での体験に基づくコンテンツを求めているという事実は、僕のメディア実践の価値を裏付てくれるようにも感じられたし、勇気付けられた。
「焦点を合わせない」という方法は、ツルツルした世界に対して、カウンター的に文脈を重層化させるのではない形での有効なやり方を示してくれたように感じた。

後編へつづく)

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