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『非暴力と権力』

2007/10/26

10月17日、チベット難民支援の最大組織、アメリカのNGO・インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)よりメールが入った。ダライ・ラマへの勲章授与関連のウェブ放送の案内だ。

この度、米国議会よりダライ・ラマに勲章が授与された。平和・非暴力・人権・宗教の分野での顕著な貢献を評価してのものだという。なるほど。ワシントンは祝賀ムード一杯だ。だが待て、何かおかしくはないか?

「9.11」以降特に、ブッシュをリーダーに世界中に凄まじい「暴力」をまき散らしているアメリカ政府とそれを基本的に容認してきた議会が”非暴力の僧侶”にメダルを授与するという“構図”。つまり、「暴力」から「非暴力」へのメダル授与。おかしくはないか?

それにしても、何故、今頃、この時期に勲章授与なのか? ダライ・ラマのノーベル平和賞受賞(1989年)から既に18年が経過しているのだ。与える機会は以前にも幾らでもあったろう。「9.11」以降の武力政策の大失態を覆い隠す意図があるのではと勘ぐりたくもなる。いや、それが真相だろう。またしても大国の思惑に翻弄されるチベット。歴史は繰り返す。

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さて、今回の様なケース、ダライ・ラマの尊敬するガンディーならどうしたろう。彼の言動から察するに、絶対に受けないはずだ。無論、政治が奇麗ごとではないことは十分承知している。アメリカはチベット難民受け入れの最大国。ダライ・ラマの信奉者である俳優のリチャード・ギアを初め著名人のサポーターも数多い。それに、やはり、現在、中国と対等に交渉出来るのはアメリカしかいない。期待するのも無理はない。だから、仮に嫌でも、アメリカの顔を立てて勲章を貰うしかないのだろう。

だが、それでもだ、ダライ・ラマは慎んで勲章を辞退するべきだった。何故かー

先の記事(『ダライ・ラマ回想(5)』)にも書いたが、チベット難民が「チベット問題」解決 或は チベット解放の手段として唯一使えるのは「非暴力」だ。その理念と手法こそが彼らの闘争の「生命線」。それを蔑ろにする如何なる言動も彼らの「闘争」の存続を危うくさせ、結果、全てを失わせる。

考えても見よ、アメリカは政権ごとに「チベット問題」の特使を設けているが、今まで、何の結果も出していない。つまり、中国との経済協力の促進をからも分かるように、「特使」の真相はアメリカお得意の”ダブルスタンダード”に拠る対外的なある種のポーズに過ぎない。故に、一部メディアが今回の一件でアメリカと中国の関係が悪化するかもしれないと報じているが、全くの見当違い。アメリカが中国との外交の場で「チベット問題」を真剣に持ち出すことなど考えられない。

一方、“テロ戦争”の名の下にアメリカ軍に殺戮蹂躙されたアフガニスタンやイラクの一般市民は、ダライ・ラマがブッシュと式典に同席し叙勲を受けた事実をどう感じたろうか。「非暴力」に基づく平和を心底希求しチベット難民を真に応援する人々は今回の事実に失望したに違いない。「全てを失わせる」とはどういう意味かお分かり頂けるだろう。

しかし、受賞演説の中でダライ・ラマはこう語ったー「この勲章受賞は平和と相互理解のために尽力している多くの人々に大きな希望を与えるだろう」更に御丁寧にも、ブッシュに向けて、「あなたのチベットに対するご同情、ご支援、そして、宗教の自由と民主主義の大義を守る断固たる姿勢に深く感謝します」

ガンディーは身を持って示したー「非暴力」は権力に屈しない「不服従」の行動を伴って初めて効力を発揮するものだと。彼は、1937年から1948年にかけての計5回、ノーベル平和賞の候補に挙がるも固辞している。ノーベル賞でさえ辞退しているのだ。権力や特権というものの本質的な危うさや不確かさを熟知されていたからだろう。

「非暴力の抵抗者は、甘い約束事に騙されるようなことはないだろう。また、第三者の助けを借りて、英国の軛から解放されることを求めたりはしない。彼らは自らの闘いの方法に絶対的な信念を持ち、他の方法を顧みることはない」(マハトマ・ガンディー)

ガンディーの言葉が重く響く。

ダライ・ラマが勲章を受けたことは、明らかに権力に屈した行為だ。そこに、真の「非暴力」は存在しない。_________________________________________________________

「僧侶にはメダルなんて似合わないし、貰うべきではない...」。普段はダライ・ラマを信奉しているモンゴル人の友人が残念そうに言った(モンゴル人の多くがチベット仏教徒)。もっともだ。政治や権力を遥かに凌駕する「法(ダルマ)」を説く者に如何なる勲章も必要ない。教育機関や平和活動をするNGO等ならまだしも、政治権力(国家権力)からのメダル(勲章)など言語道断。

ダライ・ラマには「法(ダルマ)」という“勲章”のみで十分なはず。そして、ブッダの教えに即したその毅然とした態度こそが、世界中の多くの虐げられている者たちに希望と勇気とを与え、本当の難民サポーターを呼び、「チベット問題」を解決へと導くのだと私は確信している。

古代ローマの哲人ルキウス・アンナエウス・セネカはこう言っているー

「どの港を目指して航海しているかを分かっていなければ、どんな風も追い風とはならない」

今のままでは、チベット難民、更にはチベットへの本当の意味での“良き風”は決して吹かないだろう。

今回の一件にも中国政府は表向きには激怒している。しかし、その実、「ダライ・ラマは本物の宗教者ではない」との彼らのいつもの主張を勢いづかせる口実を得て、内心喜んでいるのではないか。

そして、チベットの中国化は着々と進行する。_________________________________________________________

ウェブビデオの中で、サンバイザーを被ったダライ・ラマが集まった観衆に和やかにスピーチをしている。「非暴力が大切です」。 他方、リチャード・ギアは明らかに高揚しはしゃいでいる。「9.11」後のブッシュの武力政策を彼は厳しく非難していたはずだが、今回の「勲章」には何の違和感もない様だ。「皆さん、2年以内にラサ(チベットの都)で会いましょう!」 ギアの上ずった声が、少なくとも私には空しく響いた。

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