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ダライ・ラマ 回想(1)

2007/05/31

5月9日付けのロイター通信によれば、ダライ・ラマ14世は米マサチューセッツ州の大学での講演で、今後数年以内の完全な“引退”を表明した。これは、「チベット問題」に関する政治的な役割の引退を意味したもので、引退後もチベット人民を支援し、文化、環境保護の闘いは続けるとのこと。

ついに、ダライ・ラマが第一線から退く日が具体的に近づいてきた。様々な思いが脳裏を過るー

ダライ・ラマと出会ったのは今から8年前、1999年の4月。私はドキュメンタリー制作のため、単身、インドのチベット難民コミュ二ティー(ダラムサーラ)で3ヶ月に渡る難民の取材をしていた。幸運にも、ダラムサーラを去る正にその日の午前中にダライ・ラマとの単独インタビューの機会に恵まれたのだ。インタビュー後、知り合いの僧侶からその日がちょうど「ブッダジャヤンティ(仏陀生誕祭)」の日と聞かされ、“Living Buddha”(=ダライ・ラマ)との不思議な「縁(カルマ)」を感じた(ダラムサラーでの取材についてはこのページで)

ダライ・ラマとの「縁」を感じたのは、インタビューの日が「仏陀生誕祭日」だったからだけではない。

それから更に12年遡る1987年、私はチベットを旅していた。目の前に聳え建つのは世界最大の宮殿-ポタラ宮。歴代ダライ・ラマの住まいであると単に知ってはいた。しかし、ポケーっとただただそのスケールに圧倒されるばかりで、現ダライ・ラマがそこから居なくなった経緯、チベット人達が被っている苦悩など、その時は想像すら及ばなかった。ただ、ポタラ宮内部の今にも異次元へと飲み込まれそうな漆黒の闇にうっすらと浮かぶ仏像群を見た瞬間、「ダライ・ラマにいつか御会いしたい」との純粋な思いが湧き上がってきたのだ。

(『ダライ・ラマ回想(2)』へ続く)

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