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”チベット騒乱”ー 非暴力で蒙を啓け

2008/03/18

3月14日、チベットのラサで僧侶を中心とするチベット民衆による大規模なデモが起こった。チベット亡命政府は、17日現在、80名の死亡と70名以上の負傷者を確認しているとう。1989年以来、最大級のデモだ。

今回の「デモ」は、2001年のIOC(国際オリンピック委員会)の総会で2008年のオリンピックが北京に決まった瞬間から既に始まっていた。

当然の如く、私のチベット難民の友人達の誰もがこの決定に憤っていた。「チベット人のみならず自国の民(漢族)の人権をも平気で蹂躙する実質的な“独裁国家”が平和の祭典であるオリンピックを開催する資格などあるのか?」、年配のチベット人は落胆して言った。この言葉一つにしても他の多くのチベット人の本心を端的に代弁している。チベット難民のみならず大多数のチベット人はチベットの真の解放、即ちチベットの独立を希求しているのは疑いない。ゆえに、チベット人がこのオリンピックを容認出来るはずも無い。オリンピックをターゲットとした抗議行動が起こるのは必然だった。

この間、中国政府は「チベット統治政策」の最大の悲願であった「青藏鉄道」を遂に完成させ、中国本土とチベットの都・ラサとを繋いだ。いわゆる“チベット自治区”のラサでは中国人(漢族)とチベット人(族)との人口比率は既に逆転していたが、鉄道開通によりその状況は更に加速。その傾向はチベットの他の地域へも波及していく勢いだ。「チベット人は中国人や外国人観光客の“ペット”に成り下がっている」とチベット人知識人・ジャムヤン・ノルブは以前吐き捨てた。

ダライ・ラマは漢族移民のチベットへの流入を中国政府による、"cultural genocide(文化的大量殺戮)”と呼んで長年懸念し非難していた。実際、ラサだけではなく、チベットの至るところが年々”中国化”し、しかもチベット族と漢族との間の経済格差は広がっている。加えて、宗教・文化弾圧政策は厳しさを増していた。様々な状況がチベット人の反中国感情を更に刺激していたのだ。

昨年、9月、チベット難民の若者とアメリカ人サポーターがチョモランマのベースキャンプで抗議行動を行った。中国政府はチベット人が“母なる女神”と崇敬して止まないチョモランマに聖火を持って上がるという。チベット統治を正当化且つ既成事実としたい意図は見え見えだ。そんな冒涜は絶対に許せないと彼らは怒りの叫びを挙げたのだ。掲げた横断幕には(北京オリンピックのスローガンをもじって)次の様に書かれていたー「ONE WORLD ONE DREAM FREE TIBET 2008 (“ 一つの世界”“一つの夢”“2008年、チベットに自由を”)」。(この映像を「Youtube」で見ることが出来る)

今年1月、チベット難民のNGOがインドのダラムサーラ(難民コミュニィティー)からチベットに向けての大規模な平和行進計画を発表。3月10日(59年の中国のチベット不当支配に反発したチベット民衆による一斉蜂起を記念した「民族蜂起の日」)に歩き始めたが、3日後の13日にインド警察により阻止され100人が拘束された。

同10日、チベットで僧侶と尼僧がデモ行進を行い中国当局に武力鎮圧された。しかし、デモは他の僧侶、民衆が加わり拡大過激化し騒乱となる。僧侶の中にはハンガーストライキや自殺を図って抗議する者もいたという。

中国当局は「ダライ・ラマ一味の画策だ。証拠がある。」と言っているが、全く根拠は無い。今までにも同じ言い分を繰り返してきた。しかし、具体的な証拠を示したことなどないのだ。程度の低い常套句、欺瞞。実際は民衆が自発的に行ったものだ。あるいは、内外のチベット人同士で何らかのコンタクトがあったのかもしれない。インターネットを初め通信網が発達した現在、チベットにもあらゆる情報が入ってくるし、チベット内外の連絡も技術的には難しいことではない。当局が全ての情報を検閲するなど事実上不可能だ。

いずれにせよ、ダライ・ラマは関与していないことは明白。「チベットの独立を求めない。北京オリンピックを支持する。」と表明し、チベット亡命政府の特使が中国政府と水面下で接触している状況下、あえて関係をこじらせる様な事態を自ら招き寄せることがあるだろうか? “大国”にしては、当局の言い分は余りに稚拙だ。
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さて、デモ行進、横断幕による抗議声明、ハンガーストライキなど、先に述べた一連の抗議は全て“非暴力抵抗運動(活動)”だ 。ダライ・ラマが敬愛し模範とする非暴力のシンボルーマハトマ・ガンディーの闘争の歴史(思想・活動)を見れば直ちにそのことを理解出来るはず。14日の騒乱では当局の武力鎮圧に反発し一部の僧侶・民衆が暴徒化し投石や焼き討ちを行ったとはいえ、それとて、もとは10人ばかりの僧侶と尼僧による平和デモ行進なのだ。

ダライ・ラマは常々「非暴力」の大切さを説きこう言っているー「非暴力とは、単に暴力を用いないということではありません。もっと積極的で大きな意味を持つものなのです」 つまり、非暴力は権力や不当な暴力に対する「不服従」の行動と“一対”だということ。(この二つの要素が合わさって初めて効力を発揮する。)ガンディーはこのことをはっきりと思想として表明し、行動により証明した。受け身で心情的な「平和主義」とはこの点が明らかに違う。

非暴力 武器を持たない闘士たち』の著者・マーク・カーランスキーの言葉で補足説明すれば、

「非暴力とは相手を説得する手段であり、政治的行動のテクニックであり、相手に打ち勝つ方法。」「平和主義は相手の行動にどう対応するかを考えるが、非暴力主義は自分の方からどう行動するかを考える。」

近年、ダライ・ラマの言動が「非暴力」に一致しなくなってきていることは、以前の記事(『ダライ・ラマ回想(5)』・『非暴力と権力』)で書いた通り。「非暴力は大切」だと語る一方、それを現実の社会に具体的に落とし込んでいくアクションがない。しかも、武力(暴力)政策を基盤とするアメリカよりメダルを受けたりなどしているのだ。

対照的に、ガンディーは大英帝国からのインド解放(独立)のために、大国の力など借りず、「サティヤーグラハ(「真理の力」)の名の下に平和行進・ハンガーストライキ・不買運動・非協力抗議活動など様々な非暴力運動を絶えず率先して展開し、「非暴力」の具体的な実践方法を示した。

「もし、インドが非暴力の手段によって自由をとりかえすことに成功したならば、インドは、自由のために闘っている他の民族にメッセージを送ったことになるだろう。いや、おそらくはそれ以上に、世界平和にとって未だ知られていない最大の貢献を果たしたことになるだろう」

こう述べたガンディーには、インドの解放を通じて人類全体にとっての普遍的な課題を克服しようとする壮大なビジョンがあった。

本来、「チベット問題」も、”中国国内の少数民族問題”、”中国政府とチベット亡命政府間の政治問題”、”宗教と共産主義の確執”、”人権問題”などの小さな枠組みではなく、ガンディーが示した様な観点から捉えるべき問題だと私は以前から考えている。

1989年にノーベル平和賞を授与される以前、独立政策を放棄して間もないころ、ダライ・ラマもそうしたビジョンを未だ持っていたはずだ。その証拠に、友人が1988年に彼と謁見した際、「この非暴力による闘いは、地球上での一つの実験だ」と述べている。更に、前年の1987年には、米議会にて、チベット高原全体をアヒンサー(非暴力)地域にしようと呼びかけている(「チベット高原アヒンサー地域構想」)。その構想は、実際、チベットの解放(=独立)なくして成り立つものではない。
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繰り返しになるが、チベット人・難民の大多数はチベットの独立を望んでいる。平和行進でも、ハンガーストライキでも、不買運動でも、老若男女、彼らが掲げるスローガンは「独立」。そこにあるのは「チベットはチベット人に属すものであり、チベットはその伝統文化や自然環境により世界平和に貢献出来る」との確信なのだ。

「チベット独立など非現実的」と言う者が多々いる。だが、大英帝国からのインド独立など当時誰が予想しえたか? ベルリンの壁の崩壊、ソ連の消失は? この世に非現実的なことなど実際にはない。歴史を紐解けば、不可能を可能にした背景には非暴力に基づく市民の確固たる決断が常にある。人間の自由を求め実現しようとする本質的な欲求を暴力により押さえつけることは出来ない。

アメリカに比肩する政治・経済・軍事大国となった中国。その政府に誰も正面から「NO!」と言わないし、言えない。しかも、「チベット問題」は政治・社会・人権・宗教・文化・アイデンティティ、経済、自然環境など様々な問題が内在している。非暴力の可能性を実践する「場」として、正に、この上ないではないか。

これは偏にチベット人の闘いではない。中国人(漢族)を含めた苦悶する人類全ての闘いなのだ。しかしながら、“最前線”で闘うのはあくまでチベット人。負傷者や犠牲者は避けられないだろう。元来冗談と歌が大好きな愛すべきチベット人達が蹂躙されるのは胸が張り裂ける思いだ。だが、それが、チベットを解放し、ひいては社会(世界)を変革させるための彼らのミッションなのだとすれば、仕方がない...

ガンディーは現実の例を引き合いに出し語っているー

「侵略者たちにあなたがたの屍の上を歩かせてやればよい...あなた方は蹂躙されるがままになりながら、なおも自らの義務を果たすことになるのだ...非暴力は厳しいもの...非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものです」

ガンディーの言葉を持ち出すまでもなく、チベット人たちは既に決断している。99年に300キロの道のりを共に歩いた平和行進のメンバー達を多数インタビューしたが、皆、「チベットの大義のために殉ずる覚悟がある」と、こちらが少々たじろぐほど真剣に決意を語った。その瞳に少しの心の“ぶれ”も感じられなかった。

壮大なビジョンと慈悲に基づく非暴力運動を大いに展開する時期に来ている気がする。個々の抗議活動はどこか人間性を高める宗教の修行のようだ。ハンガーストライキは「瞑想」、平和デモ行進は「歩く瞑想」、そしてスローガンの叫びは「マントラ(真言)」...

今こそ、ガンディーがインドの民衆の先頭に立った様に、ダライ・ラマ法王、その先頭に立つべきだ。ガンディーの「塩の行進」の如くあなたが民衆と共に座り、歩いたならば、その姿に「魂」を揺さぶられない者はいないだろう。言葉のみでは人は動かない。「非暴力はお説教のできるものではなく、常に実践されねばならない」(ガンディー)国際社会の協力を仰ぐ声明も結構だが、ガンディーの如く、先ずは、あなたが決断し何らかの具体的なアクションを起こさねば何も新たに始まらないし、事態は改善されないだろう。
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昨日(3月17日)は49年前にダライ・ラマが国境を越えインドへ亡命した日。国境まで彼を護衛した勇猛なカンパ族の男たちは、引き返し中国軍と闘い散った。彼らがダライ・ラマに託した思いとは何だったのか? 監獄で拷問の限りを受けて死んでいった者たち、或は、ヒマラヤで射殺された尼僧の願いとは? ガワン・サンドルは? 例外なくチベットの解放(独立)を心よりを望んでいたし、今でもそうだ。ダライ・ラマも同じ気持ちだったはずだ。

87年に独立を放棄し中国の枠内に入る方針転換(“「高度自治」獲得政策”)をしてからも、中国政府との交渉は全く進展せず、ダライ・ラマは何度となく「方針転換は間違いであったかもしれない」と真情を吐露し、しかも一貫して中国のチベット政策を非難している。ことここに至っては、中国政府ははなから「チベット問題」を真剣に話し合うつもりなど無かったと諦め結論づけ、「原点(=独立政策)」に立ち返るべきだ。それは、釈尊とガンジーの「法灯」を継ぐ者としての本来の道に戻ることでもある。

血なまぐさいアメリカ議会にメダルを返還し、87年に示した壮大なビジョン(「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域構想)の下に具体的な非暴力運動を始めてもらいたい。インドの大衆がガンジーの後につき従い世界中の良識ある人々が彼を支援した様に、チベット人だけではなく世界の多くの国々、組織、市民がダライ・ラマの方針を(上辺ではなく)真剣にサポートするだろう。(現在はどこの国、組織からも正式承認されていない”チベット亡命政府”もその際に承認されるはずだ)

理不尽極まりない中国政府の「暴力」を「非暴力」により一層如実にあばき出し、迷妄な者たちの蒙を啓け! その先に必ず「独立」の願いは叶い、次世代の世界平和の礎となる「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域構想」は実現する。

私はそう堅く信じている。

「もし、チベットが非暴力の手段によって自由をとりかえすことに成功したならば、チベットは、自由のために闘っている他の民族にメッセージを送ったことになるだろう。いや、おそらくはそれ以上に、世界平和にとって未だ知られていない最大の貢献を果たしたことになるだろう」

さあ、地球上の意義ある「実験」に加わろう。


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