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ダライ・ラマ回想(4)

2007/06/24

(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)

だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。

ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教育を受けて育った若い世代(少なくとも友人達)は比較的冷静に今回の一件を受け止めていた。彼らはチベット仏教やダライ・ラマという存在を相対化し客観視できる。

「チベット仏教は素晴らしいものだが、仏教本来の教えに反する伝統やシステムもある」と難民コミュニティーで医師として働く若者は以前そう語っていた。「宗教的な盲目さは我々チベット人の特徴であり弱さでもある」と話す若者もいた。

ダライ・ラマも、実は、このことを良くお分かりになっており、私見としながらも「ダライ・ラマ制度は無くなっても構わない」「将来のチベット(人)社会は昔とは異なり、政教分離した(イギリスの様な)議会制民主主義が望ましい」としている。近年、チベット亡命政府の首相を選出する選挙が難民コミュニティー内で行われたが、結局、選ばれたのは著名な高僧(サンドン・リンポチェ)だった。ダライ・ラマの理念や真意が難民たちの間で理解され浸透していくのは、次世代がコミュニティーの中心になってからかもしれない。

一方、“チベットサポーター”も相変わらずだ。ダライ・ラマの絶対視は自ずと無批判なチベット社会の理想化に繋がる。つまり、チベットは古来シャングリラ(理想郷)で、それを極悪非道な中国(人)(漢族)が破壊したという単純で安直な図式だ。

残念ながら、ことはそんな単純ではない。チベットが、サポーターたちが描く様な“理想郷”ではなかったことは様々な文献・手記より明白。中世的な大僧院の間の権力闘争、特権階級の贅沢な暮らしと庶民の極貧状態、近代化を進めようとする若者達の政府による追放など、鎖国時代のチベットに潜入した日本人の一人である木村肥佐生氏も『チベット潜行十年』の中で述べているとおり。実際、我々の社会と何ら変わりのない普通の人間の社会なのだ。その(中世的な)“因習”は現在もチベット難民社会に残存している。

チベット及びチベット難民を本気でサポートしようとする者は、中国政府(中国人ではない。政府の方針・政策と一般の中国人とを一緒くたにして批判・非難する“サポーター”がいるが、非論理的且つ非理性的で全く馬鹿げている)の悪行を非難するだけではなく、チベット人社会の“闇”の部分をも凝視しなければならない。ステレオタイプの様な安易な理想化は、結局、チベット人のためにならないことを今一度良く考えてみようー「良薬口に苦し」だ。

しかし、だからといって、諸外国及び国連より独立を認められていたチベットに対する中国政府の侵攻・統治へ理解を示し批判を緩めることなどいささかも出来はしない。

チベット社会の改善・進歩は、あくまで、その住民たるチベット人に委ねられねばならない。

中国政府統治後のチベッの惨状については、親中派であり全国人民代表大会常務副委員長を勤めたパンチェン・ラマ10世(ダライ・ラマに次ぐチベット仏教ナンバー2)でさえ、『7万語の請願書』の中で「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を払った」と政府に訴えねばならなかったほどだ。ちなみに、胡耀邦総書記(当時)もその惨状に驚愕し、責任者達を厳しく処罰しチベット政策の大幅な見直しをさせた。(中国のチベット政策については拙者のHP等を御参考下さい)________________________________________________________________

話を“チベットサポーター”に戻そう。

ダライ・ラマを絶対視しチベットを理想化する姿勢の中には、中国や中国人に対する激烈な批判はあっても、「身内」(つまりチベット人側)が抱える「問題」への指摘は決して無い。

2001年9月11日、アメリカで「同時多発テロ」が発生。ブッシュ大統領はここぞとばかりに武力による”対テロ戦争”をぶち上げ、アフガニスタン戦争へと突入する。ダライ・ラマは訪日時(2000年)の講演で「20世紀は”流血の世紀”だったが、21世紀は”対話の世紀”になるでしょう」と楽観視していたが、最初からその予想は脆くも覆された。アメリカと中東を中心に「暴力の連鎖」が世界に拡大することは明らかだった。「非暴力と対話」の大切さを標榜しているダライ・ラマの正に真価が問われる局面だと思った。

私は心密かに期待した。「きっと、ハンガーストライキ、或は、長期の瞑想により、世界のこの危機的状況に警鐘をならしてくれるに違いない」

しかし、ダライ・ラマがしたのは、「暴力に訴えないで、対話により解決して欲しい」というメッセージのみだった。拍子抜けだ。「暴力はまずい。話し合わなければ」などとは、その辺のおばさん(失礼!)でも言える。ダライ・ラマにしか出来ないインパクトのある行動を今こそとるべき時ではないのか。私は、その憤りを、チベット亡命政府東京事務所に勤めていた親友にぶつけた。「田中さんの言うことは十分に分かる。しかし、法王様(ダライ・ラマ)にもお考えが・・・」と、いかにも歯切れが悪い。

チベット人やサポーターが言う様に、ダライ・ラマは"活仏"で、我々凡人どもには計り知れないのかもしれない。だが、我々が肉体という厄介なものをまとっている以上、この塵芥にまみれた「俗界」から逃れることは出来ない。それは、ダライ・ラマとて同じこと。

この「俗界」を少しでもまともな状態にするために、「非暴力&対話」をダライ・ラマは唱えているのではないのか。だとしたら、まさしく身(肉体)を挺して、俗人である誰もが真に共感する形で訴えるべきではないのか。ダライ・ラマがハンガーストライキをすれば、世界中の多くの者が「非暴力」を守るために一斉に立ち上がるだろう。

単なる「言葉」では人は動かない。人心を奮わせ人々を行動へと導くのは「行動」だ。「特別な人」の特別な行動が今こそ必要とされていた。

「ただ、チベット人達のリーダーである彼の責務と年齢(当時66歳)とを熟慮すれば、身体的な無理は出来ないのかもしれないな」とダライ・ラマへの失望と不信感とを収めようとしてはみたが、完全には払拭されなかった。

(『ダライ・ラマ回想(5)』へ続く)

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