見出し画像

人は誰かの「言葉」に支えられて生きている。

現在、代官山 蔦屋書店で1ヶ月間(4/10から5/9まで開催)開催している僕が製作しているマガジン「a quiet day」のフェア「NORDIC WORDS & CRAFTS」の複合イベントとしてトークショーを昨日(4/23)行なった。

対談形式で開催されたこのトークショーのお相手は、世界的なコーヒーカルチャーマガジンの日本ディレクター(日本版編集長)を務める室本寿和さん。以前からネットを介して面識はあったものの、顔を合わせるのは今回が初めてということもあり、当日を迎えるまではどのようなイベント内容になるのかは正直予想できなかった。

ただa quiet dayとSTANDARTの共通点としては、インディペンデントであるということ。そして自分たちの熱量や好奇心から全てをスタートしてきたという部分においては共通点がある。思い起こせば何か特別な目的があった訳ではなかったのだが2年か2年半前に一度だけスカイプで打ち合わせをさせてもらい、その共通点を話題に今後何か一緒にできればいいよね。とその時、言葉を交わした記憶は残っていて、月日が流れて昨日それが遂に実現した訳だった。

トークショーの中で室本さんから、「どうしてa quiet dayを作ることになったのか」という質問になったので、当日イベントで話をしたことも含め、改めて考えてみたことをここに記しておきたい。

そもそもの根本理由は、まさに自分が読みたかった、北欧のマインドを届けるマガジンがなかったから作ったということに尽きる。思い起こせば、就職活動を行なっていた大学3年の秋に、僕は地元の書店で、ある一冊の本を手にしたことから全てが始まる。それは「北欧流ブランディング50の秘密 現代のバイキングたちの世界戦略」というタイトルの本。この本にはバイキングたちがどのように自分たちの世界観で周りと共存していったかというポイントが編集されており、そしてそれが現代のIKEAやH&Mといった名だたる世界的な企業の戦略にも通じていることが論じられ、それを読み終えた頃には漠然と自分の目で北欧に漂うユニークな考え方を現地に行って触れてみたいという衝動に駆られた。

無事、会社の内定ももらい、残すは卒論だけという大学4年時特有の状況を利用してバイトでお金をため、ヨーロッパを旅し、お金がなくなったらまたバイトし、、、これの繰り返しを行なった。

初めてのヨーロッパは、前述の本の影響もあり、日本からの直行便が出ているフィンランドのヘルシンキを巡った。タイミングよく僕が現地に降り立った週からヘルシンキデザインウィークという北欧デザインの見本市が開催されている期間だったので、日本の雑誌などで目にしているデザイン家具などに直に触れることができ、作った人やデザインした人とも話ができるという状況にとても興奮したことを覚えている。けれど、旅も終盤に差し掛かった頃になると、日本のメディアが報じている北欧の世界観(ふんわり、ほっこり系)と現地のリアルな状況とのギャップに強い違和感を感じていた。

そうしてこのギャップを埋めたいがために作られたマガジンが「a quiet day」という訳だが、そもそもこの大学4年の時のヨーロッパへの旅で様々な国を巡った時に、なぜか北欧の国に惹かれるという不思議な感覚を抱き、社会人になってからも毎年足繁く通っている理由となっている。しかしながら、自分がなぜこの北欧諸国に惹かれているのかということが全く説明出来ないのだった。その理由を解き明かすべく、毎号様々なテーマを切り口に北欧のクリエイターをインタビューし、自分が惹かれる理由なんてのを、マガジンを作りながら探していたりもする。

ここまで読み返すと、端緒は全て「自分」にある。つまりマガジン作りにおいて世の中のマーケティング戦略のお作法のように、「どの層をターゲットにして、どんなテーマにして、、、」ということは特に設定しないどころか、結局は自分がずっと持っていたいマガジンを作るということをとても大事にしている。そして常にマガジンの編集方針としては、本質的・普遍的なコンテンツにしようと努力している。この本質的・普遍的とはどういったことなのかというと、時間経過によって表面的に色あせないものといったところだろうか。もちろんインタビュー形式でまとめており、人の考えは変わるものなので、全てが普遍性を帯びているのかと言われればそういう訳ではない。けれどコンテンツの割合として、そのような時間劣化のコンテンツをなるべく少なくなるように、と心がけている。そもそもこの本質的なコンテンツや普遍性から外れてしまうと、どうしてもマガジンというものが、ただの「情報の蓄積物」として消費され兼ねないという危惧があるからなのだ。

現地でインタビューをする時がとても顕著だろう。その人が何をどうやっているかということよりも、「なぜ」その人がそれを始めたのかってことをどんどん掘り下げていく。けれど、それもただ詰問という形ではなく、カフェでコーヒーを飲みながら、ビストロで食事をしながらといったことが多い。しかも、人間の面白いところでもあるけれど、インタビューされている方も「なぜ」と聞かれると自分の本心を語る、言語化することは難しい。だからこそ、関係性がとても大事になってくる。リラックスした状況で何気ない言葉を拾い上げるように、言葉と言葉の文脈を繋ぎ、新たな問いから会話をしていく。それを一冊にまとめあげているのだ。そうして紡ぎあげられた言葉に、いつどのタイミングでマガジンのページを開いても新しい発見があったりという仕掛けを作るベースが出来上がってくるのだろう。そしてこの言葉を拾いあげていく中や会話の中で、出てくる言葉に僕はいつも励まされ支えられ次のステップへの糧となり、帰国の路につくのである。

あくまで、トークイベントの一部分を切り取ったのだが、こんな取り留めのない話をトークイベントで繰り広げ、そこに参加してくれた方たちから、「もう一度自分自身を振り返って一歩踏み出してみたくなった」や「諦めていたことがあったけど、まだまだやれるって思った」といった感想の声を届けてくれた。どの部分からそのような感想に至ったかは分からないけれど、まさにこれが、僕が現地で現地のクリエイターたちからの言葉をもらった時の感覚なのだ。

どんな良い本も映画も、誰かの「言葉の集積物」。
そして人を動かすのは「言葉」。
人は誰かの「言葉」に支えられて生きている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?