昨日あって、それからずっと続いている事

帰りにスーパーに寄ったら、果物売り場のそばで走る準備をしているジジイを見つけた。ジジイは動きがのろいため走ろうとしているのはすぐにわかる。ジジイはりんごをひとつ握りしめており、深夜の2時、まさに泥棒の腐りきった性根がその汚れた臭いを解き放つ時間である。スーパーで走る準備をすることがそもそもおかしい、きっと間違っていない、あの人間を泥棒であると判断し、こういう時に行動できるかどうかで人間は決まる、ジジイの背中を睨みつけながら追いかける体制に入った。

走り出したジジイは自動ドアが開くまでの一瞬のラグに戸惑い、「チェス」と言って外へ飛び出した。今まで長い間、世の色んな物事に腹を立て、無限に連打してきた舌打ちが色んな癖に擦られ最終的にチェスになってしまった悲しいおじさんの背中を見ているとこちらも少し悲しくなってしまい、走る泥棒に遅れをとってしまった。

なんとか閉じかけた自動ドアを抜けて、走って追いかけた。のんきなジジイは走りから歩きに移行しながらフーと後ろをちらりと見て、追いかける俺に気付いてワーとまた走り出した。

5分ぐらいのチェイスの末、ジジイは民家の、おそらくジジイ宅に入っていき、鍵を閉めてしまった。俺は諦めずドアの前まで行き、叩こうとすると、香水の匂いを感じ、俺は待て待て、これは女の香水だぞ多分、女の香水だ女の香水だ…と言いながら後ずさりしてしまった。性の匂いのするジジイはめちゃくちゃ怖いからだ。おそらく家の中には女がいる、ババアじゃなくきっと若い女、何か高い地位を持ったジジイなのかもしれない、若い女を連れているジジイは全員人殺しだ、でもどうする、ここで逃げるのは正義じゃない…

「おい!帰んのか!」

2階の窓からジジイにりんごを投げられてビックリした。逃げたくせに何だアイツ?ますます怖くなって、いや、間違えました、と意味のわからないことを言ってしまった。

「今なら2人いるぞ!」

何のことかわからない。何がですか?わからないですと返すと、ジジイは窓をピシャリと閉め、15秒、玄関のドアを開いてこちらに手招きした。

「若いモンは珍しいからよ、あいつらも喜ぶから、サービスしてやるよ」

なんとなくジジイの声色に悪意は感じられず、家の中に入ることが善とも思えるような、脳みその正義感とは別の場所で色々考えてはあと頷きジジイについていくことにした。

玄関を開けてすぐ階段が見え、ジジイが促すので、猫が2往復したぐらいで崩れそうな階段を昇り2階に到着、香水の正体であった2人の女と対面した。どっちも若くて綺麗だった。

「人魚でよ。綺麗だろ」

完全に人間なので一旦無視して座ることにし、売春ですか、と聞くとそう、とのことで、売春宿だった。ジジイは毎晩スーパーでりんごを盗み、客はそれを追いかけることでここに入れるという、一部の人間しか知らないシステムがあるらしい。

「正義感で追いかけてきた奴は初めてだよ」

もっと他にやりようがあるだろと思ったけど、ジジイには、昔ほんとうにお腹が空いてりんごを盗んだら店長が追いかけてきて女をあてがったら満足して帰った、というエピソードがあるらしく、このシステムはその名残である、とのことだった。にしても他にやりようはあるとはいえ、そういう保守的な考えはいかにもジジイだと妙に納得してしまった。

「楽しんでいけよ。正義割引してやるから」

まんざらでもない俺は、自分の正義感で売女の値段が20%オフになることに何の恥も覚えず、まったく喋らない2人の妖艶な女と楽しんだ。めちゃくちゃ良かった。あー死んでもいいって5回言った。

「おい、起きろ」

もう外は明るく、事が済んだ時点で既に明るかったけど、ジジイさん、おはようございます、ありがとうございました。

「いいから帰れ。長居されちゃ困る」

気付くと女の姿はなく、自分の頰には畳の跡ががっつり残っていて、ぼく不格好ですね、という意味で笑いかけると、ジジイは

「チェス」

と言い、俺を外まで連れ出した。

「おまえは恥ずかしい人間だよ」

ジジイの言葉を反復しながら家に帰り、シャワーを浴び、もうひと眠り、布団でなんとなく頰を触ってみると、畳の跡がまだ残っていた。次の日も、その次の日も、畳の跡は消えなかった。街にて、ポイ捨てをする若者、立っている老人をよそに優先席に座る若者、色んな悪を見ては腹を立てても、頰にずっと残っている畳の跡を触って自分の汚さ恥ずかしさを確かめることしかできなくなってしまいました。

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