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あの時のショーケン

3月26日は…

3月26日は自分の誕生日だ、そして、この方の命日でもある。2日経った今日、なんとなくこの人のことを思い出した。

数年前、たった一度だけこの憧れの俳優と仕事をした。彼の人生を紹介する番組だった。初めての打ち合わせの時、ショーケンはビシッと決めたスリーピースのスーツで現れた、この頃は殆どテレビも映画も出ていなかったがやはりとんでもないオーラを放っていた。『おわーショーケンやー』って圧倒されたが何とか落ち着いて打ち合わせはできた。

数日後にはなんと、食事をしながら打ち合わせをしようとのお誘い、若造が相手でも関係なく凄く礼儀を重んじる人だなーと思った。でも、そんな人柄もありつつ地雷を踏むと激昂して何回かキレられたりもした、人生をとりあげる番組だったので経歴からいって触れられたくない部分が多く、そして、それを語ってもらうのが目的だったこともあり、あの人の人物像からして多少は覚悟していたが、やはり暴れん坊だった。

でも不思議と恐くはなかった、なんか根は優しくて良い人だなーっていうのが直感で分かっていたからだ。あと「俺ショーケンに怒鳴られちゃってるよ!」っていう妙な高揚感もあった。

当時、個人的に思ったのは、この人、仕事に関してはものすごく真面目で
人一倍 神経質に取り組む人なんだなーと、だから、現場で色々トラブルを
起こしちゃうんだと感じた。

VTRを作るにあたり、ショーケンさんの人となりを語ってくれる芸能人を探したが、その当時あまりイメージが良くない人と思われていたからか?出てくれる人探しに難航した記憶がある、芸能人は人気商売なので、あまり関わりたくなかったのだろう、しょうがないのだが…。

そんな中、即答でOKしてくれたのが、水谷豊さんだった。

アニキのためならということで、相棒の忙しい撮影の合間をぬって杉下右京の衣装のまま駆けつけてくれ、インタビューを撮影した。

なんかジーンときた。

水谷さんが出てくれるなら、他の芸能人なんてどうでもいいや!と思った。ショーケンさんも嬉しかったと思う。

この当時のショーケンさんは、自分のやってきたお芝居の世界がどんどんと
変化し、また、この人を扱える監督もだんだん減って行く状況の中、何となくもがき苦しんでた様な印象を受けたのを覚えている。

収録後、ショーケンさんが「写真とろうぜ!」と言って、肩を組んで写真を撮った。ただ、マネージャーさんのカメラで撮ったもんだから、自分の手元に無い!自分のスマホで撮らなかったことをメチャクチャ後悔している。
あれ欲しかったなー!

まあそれはそれとして、あんな伝説の俳優と仕事が出来て、しかも本人の口から、太陽に吠えろや、傷だらけの天使の裏話、そして、人生で起こった色々なことを聞けたのはものすごく貴重な経験だった。

こんなに鮮明にその時の事を覚えてるなんてことは珍しく、やはり、それだけインパクトのある人だったんだなーと改めて思った。

たった一度だけの仕事だったけどもの凄くいい経験をさせてもらいました。

自分の誕生日なのでどうしても思い出してしまうからか?亡くなって一年経っても何かしら書きたくなる程の存在感ある俳優、ショーケンこと萩原健一さん、あの世に行っても暴れてるのかな?

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