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岸政彦「ビニール傘」

遅ればせながら、芥川賞候補作になった岸政彦さんの「ビニール傘」を読みました。

純文学とは新たな文体を作ることを意識していると聞いたことがありますが、確かにこれまで読んだことのない文章で、2編の短編「ビニール傘」「背中の月」の世界に引き込まれます。

誰かの意識からいつの間に別の人の意識へ。段落を巧みに使い分けながら、読む人の息継ぎや感情までコントロールするような感覚を受けました。

大阪の馴染みある地名があるからこそ、2つの短編に共通する世界観に没頭できる気もしますし、大阪に馴染みのない方が読んだら、どのように感じるのか、興味津々です。

改行や段落のリズム。これは電子書籍ではなく、紙の本で読むべき作品だと思いました。

(後日談)
岸政彦さんのトーク会で、直接お話を伺うことができました。

読者の多くは、私が上に書いたのと同じく、「ビニール傘」は、複数の「僕」「私」がいて誰かの意識から別の人の意識へ移っていると思っているけれど、岸さん自身はそういうつもりではなく、あくまで1組の「僕」「私」として書いたとのことでした。

外部環境の方が変わることで、同じ彼らの意識が変わっているということらしいです。

この解釈は衝撃的でした!

段落の置き方を含めて、文体は計算したのではなく自然体のようでした。「ある人物を押し込むと書くべきスペースができる」「書かなきゃという気持ちになる」とコメントされてました。構想に時間はかかるけれど、実際に書いたものはあまり手直しされないようです。

「背中の月」も妻がいる世界といない世界は過去と現在ではなく、パラレルに現在に存在するつもりで書かれたとのことなので、因果律みたいなものを考えずに、主観の流れをただ感じるべき小説なのでしょうね。

現在構想中の3作目は、会話にカギカッコを使い、登場人物に名前がつけられる、もっと普通のものになりそうです。
「何やっても芥川賞を狙いに来たって取られそうだけど」と茶化されてましたが、楽しみです。

http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/350721/

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