書きかけの怪文書

「なとり、さなです。今日からサナ…リウムで、お世話になります
また元気になれたら、お友達を作って、一緒に遊びたいです。
元気になれるようにがんばります。よろしくお願いします。」

今日、1人の女の子が私の勤める病院にやってきた。

『名取 ■奈』

…インクが垂れてしまったのだろうか、下の名前が滲んで読むことができない。
患者のカルテを不完全な状態で引き継ぐというのはいかがな事かとも思ったが、
引継ぎ業務を担当していた前任医師からは、
「どうせそんなに長くない娘だ。そのために面倒な書類申請をやり直すのも手間だろう」
と気だるげな説明を受け、仕方なく了承した。

幸い、と言っていいのか、この病院には私を除けば看護師の妻しかいないので病室の表札もいらないし、
どんな字を書くのであろうと、呼ぶ時の音さえわかっていれば問題はない。

『名取 さな』

私はカルテの上に付箋を貼り付け、自己紹介で彼女から聞いたままの名前を書き記した。

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経過観察。
前任医師の診断とは裏腹に、彼女の体調は順調に回復している。

可能性は低いが、感染の恐れのある病気であるため、
必要以上の接触は控えるべきと妻には伝えたのだが、

「ナースはみんなを癒すのが仕事なの。
医者が身体を治して、ナースが心を癒す。
そうしてやっと患者さんたちは元気に日常に戻ることができるんだから」

と窘められてしまった。

宣言どおりに妻は名取さんと積極的にコミュニケーションを取り、
徐々に彼女と打ち解けていった。
最近は名取さんの方から妻に話しかけることを増えたようで、
先日は初めて彼女の笑顔を目撃した。

「案外、感情豊かで優しい娘よ、さなちゃん。
この間なんて『病気が治ったら私もナースになる!』なんて嬉しいこと言ってくれたんだから」

と妻が自慢げに語っていた。
その嬉しそうな笑顔に、私までどこか嬉しい気持ちになった。

今度、私も名取さんに話しかけてみるとしよう。

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2011年、某日。
さなちゃんの父親に当たる人物から手紙と荷物が届いた。
手紙の内容を要約すると、『母親が贈ったうさぎのぬいぐるみが見つかったから送ります』とのことだった。
実際の文章は少々乱暴に書かれており、さなちゃんに見せるのは憚れたため、
「お母さんのうさぎのぬいぐるみが届いたよ」と包みを手渡した。

今思えばちゃんと中身を確認してから渡してあげるべきだったと後悔している。

中に入っていたのはズタズタに引き裂かれたうさぎのぬいぐるみと
その時使用したのであろう、裁断鋏だった。

さなちゃんは、初めて会ったあの日と同じ目でただ黙ってぬいぐるみを見つめる。
そして、私と妻が声をかけるよりも早く、入っていた鋏で自身の手首を切り裂いた。
鮮血が飛び、隣に座っていた妻のナース服に赤い染みができた。

慌てて鋏を取り上げ、すぐに治療を行ったためそれ以上の大事には至らなかったが、
さなちゃんはその日から再び心を閉ざしてしまった。

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2018年、2月。
先日、妻が息を引き取った。
死因は、病死。
さなちゃんと同じ病気だった。

うさぎのぬいぐるみの件があってしばらくした日、
妻が高熱を出して倒れた。
恐らくあの時、さなちゃんの血から感染してしまったのだろう。
長い年月、病気と闘った妻だったがさなちゃんと再び顔を合わせることも叶わず息を引き取ってしまった。

妻の希望もあり、さなちゃんには病気の原因の事は伝えていない。
だが、妻がさなちゃんの前に姿を現せなくなった時期や、
要因が限られるこの病棟という環境では、医療関係者でなくとも想像がついてしまう。

「先生、ナースさんは、私のせいで死んだの?」

診察の際、数年ぶりに聞いたさなちゃんの声に驚き、
とっさに「そんなことはない」と答えることができなかった。

「そう、だよね。やっぱり私がいると、みんな不幸になる。お父さんが正しかったんだ」

俯き、静かに涙を流す彼女を前にして、私は妻の最期の言葉を思い出していた。

『私がいなくなったらさなちゃんを救えるのは貴方、先生だけ。頼みましたよ』

私は、机の上に置いていた箱を開いて、そっとさなちゃんに差し出した。

「……?」

箱の中にあったのは、妻が引き裂かれたうさぎのぬいぐるみから作った2つの髪止めと、
その髪留めに似た少し大きめの新しいうさぎのぬいぐるみ。
それと……

『さなちゃんへ』

妻からさなちゃんに宛てられた、1枚の封筒だった。

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さなちゃんへ

さなちゃんと出会ってからかなりの年月が経ちましたね。
あの時、今のさなちゃんと同じ年くらいだった私も、今ではすっかりおばさんになってしまいました。

さて、そんな私ですが、実はそろそろお別れの日が近づいているみたいです。
最期にさなちゃんとお話できないのは寂しいし、どうしても伝えたいことがあるのでお手紙にしました。

まず、1つ目。
私に元気をくれて、ありがとう。
あ、今きっと不思議そうな顔してるね?
ナースというお仕事は、みんなを癒すお仕事だけれど、
同時に自分も元気をもらえるお仕事なんです。
私とのお話でさなちゃんが初めて笑ってくれた日。
初めてさなちゃんの方からお話しに来てくれた日。
私みたいなナースになりたいって言ってくれた日。
とっても嬉しくて、今でも鮮明に覚えています。
だから、私はさなちゃんに出会えてよかった。
さなちゃんから元気と幸せをもらってた。
さなちゃんは優しいから、私の病気を自分のせいだって責めてしまうかもしれない。
でも、そんなことはないんだよ。
私に優しく接してくれたように、今度は自分に優しくしてあげて。
「生きてて良かった」って言えるような楽しい毎日を、ずっとずっと過ごしてほしいです。

次に、2つ目。
さなちゃんには、もっと外の世界を知ってほしいです。
今はまだ、病院の外には出られないかもしれないけど、治療を頑張って、お外に出て、
まだ知らない沢山の素敵な物を見つけてください。
さなちゃんにとって、外の世界は何も知らない、とっても怖いものかもしれない。
確かに残酷なことや悲しいことも外の世界にはあるけれど、
それ以上に楽しいことに溢れているから。
お友達を作って、美味しい物を食べて、身体をめいっぱい動かして遊んで、
さなちゃんのやりたいこと、なりたいものを見つけてください。

最後に、3つ目。
これは伝えたい事というか、完全に単なるお願いなんだけど、
実は先生にも内緒でねこちゃんを飼ってます。
目つきがちょっと悪くて、普段は愛想がないんだけど、
寂しくなると寄ってくるところがなんだか先生に似てるから、ねこちゃんせんせえって呼んでるの。
先生には内緒よ?
元々は野良ちゃんで、たまに顔を見せに来てくれるから、もし見かけたらご飯をあげて可愛がってあげてほしいな。

以上!私からさなちゃんへのお願いでした!

さなちゃんが元気に退院するまでそばに居てあげられなくてごめんね。
どうか、私の分まで健康に、幸せに、末永く生きてください。

さなちゃんの、最初のお友達のナースより。

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「先生、私、ナースになりたい」

手紙を読み終えて、顔は伏せたままさなちゃんはそう言った。
私はそれに「うん。」とだけ答えて続きを待つ。

「ナースさんの事、大好きだから」

うん。

「みんなを、癒せる、ナースになりたい」

この娘の望みを叶えよう。幸せにしよう。
そう、亡き妻に誓った。

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2018年 2月中旬。
「なとり さなです。年齢は23歳で、今日は、2018年2月の20日です。
場所は、入院中のお部屋です。
毎日の確認をしてます。病気です。
ちょっと悲しいことがあったけど、明日からツイッターをやります
みんな癒せます。ナースさんが好きです。私はナースがいいです。
頑張ります。終わりです」

本人の希望で、自己紹介のビデオを撮ってみた。
緊張と、まだ少し気が落ち込んでいるからか、所々文脈のおかしい点はあるが、
ここ数年誰とも会話もしてこなかった彼女からしたら上出来だろう。

ちなみにツイッター、というかインターネットを薦めたのは私だ。
妻もよくSNSを使って情報収集や同業者とコミュニケーションを取っていたので
外の様子を知るにはうってつけだろうと考えた。
ただ、これは少々失敗だったかもしれない……
せめてアクセス制限の設定くらいはするべきだった。
とある動画サイトに夢中になったせいで、偏った知識ばかりを吸収していってしまった。
少々いかがわしい知識まで身に着けてしまったようだ
近いうちにしっかりと指導しなければいけない。

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2018年 3月1日。
ビデオでの宣言の通り、ツイッターを始めたさなちゃんだったが、
その内容に驚いた。

バーチャルナース『名取さな』という架空の自分を作り、
顔もわからない世界中のユーザーとコミュニケーションを取っていた。

そのキャラクター性はどこか妻に似ており、
さなちゃんのなりたい姿を模しているのだろうとすぐに理解した。
妻が着ていた白いワンピースとピンクのエプロン、
長く伸びた髪をうさぎの髪留めでまとめ、可愛らしい姿でパソコンに向かっていた。

『名取 ■奈』ではなく、『名取さな』を名乗っているのは、過去からの決別か。
それとも、あくまで自分ではない架空のキャラクターであることを暗に主張しているのだろうか。

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2018年 3月5日。
ナースになるにあたって、まずは形からでもと思い、
さなちゃん用のナース服を用意することにした。

今は妻の着ていたお下がりをそのまま着用しているが、
やはり所々染みがあったり、ほつれがあったりと、少々清潔感に欠けてしまうため、
似たようなデザインの新しい服をトルソーにかけて並べて見せてあげた。

たくさん並んだナース服を見たさなちゃんは、
「ナースさんがいっぱい来てる!」と驚き、はしゃいでいた。
確かに、ナース服を着せたトルソーが並んでいるこの光景は、
大勢の看護師たちが並んでいるようにも見えなくもない。

1つ、子供のようにはしゃぐさなちゃんを見て、気が付いたことがある。
最近の彼女はどこか年齢が退行しているように見える。
印象としては、7年前のぬいぐるみの一件が起こる前のさなちゃんという感じだ。
もしかすると、彼女の時間はあの事件から止まってしまっているのかもしれない。

「わたし、これが良い!」

とさなちゃんが選んだのは、やはり、というべきか
妻と全く同じデザインのものだった。
トルソーから外して、手渡してあげると、嬉しそうに更衣室に駆けていった。

しかし、出てきたさなちゃんは以前変わらず、妻のナース服を着用していた。
着替えたのは血の染みがうっすらと残った白のワンピースのみのようだ。

エプロンと帽子も、洗濯しないとだから。

と言って着替えを促すと、一瞬だけ虚ろな瞳を浮かべて
渋々と更衣室へ戻っていった。

数分後、新しいエプロンと帽子を身に着けて出てきたさなちゃんは、
それでも腕章だけは手放さなかった。

「これだけ、これだけでいいから。お願いします」

と、俯いたまま弱弱しく訴えるさなちゃんから
腕章を取り上げるなんて真似ができるはずもなく、了承した。

次の日、彼女のツイッターには
『Vtuberはじめました』という内容のつぶやきが投稿されており、
youtubeという動画サイトには彼女のチャンネルが設立されていた。

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2018年 3月16日。
Vtuber、バーチャルナース『名取さな』は、
あれから急激に友人やファンと呼ばれる人々を増やし、
1つのコミュニティを形成していた。

「おはようございナース!どうも、はじめまして!名取さなといいます!」

稀に病室から笑い声が聞こえてくるなんてことも起こるようになり、
彼女の治療は順調に進んでいるかと思われた。
だが、ここで1つの問題が発生した。

架空のキャラクター『名取さな』を演じるうちに
彼女本人である『名取 ■奈』
(現在も彼女の名の字は不明のままな為、このような表記とする)
との精神の乖離現象が起きてしまっていたのだ。

食事や診察の際、私が声をかけると
それまで『名取さな』として元気に笑っていた彼女が
スッと、まるで『名取 ■奈』に切り替わったように生気が抜けてしまう。
その状態でも受け答えや日常生活を送ることはできており、
症状も徐々にではあるが和らぎ、健康な身体を取り戻しつつある。

しかし。

『ナースはみんなを癒すのが仕事なの。
医者が身体を治して、ナースが心を癒す。
そうしてやっと患者さんたちは元気に日常に戻ることができるんだから』

妻のかつての言葉を思い出し、私は焦燥感に駆られた。
このまま『名取さな』として元気で健康的な生活を送り、
治療を続ければ、いずれは外出も可能になるほどに回復する見込みはある。
だがその時、果たして『名取 ■奈』としての彼女の心は生きているのだろうか。

『名取 ■奈』でいる時、彼女は時々癇癪を起こし自傷行為を行う時がある。
その際は決まって7年前に自身で切りつけた手首の傷を搔きむしり、
落ち着くまで延々とごめんなさい、ごめんなさい、と謝罪を続ける。

それは、妻の死の原因は自分であると責めていることからなのか、
『名取さな』を演じ、周りのみんなに嘘をついている罪悪感からなのか、
それとも、もっと前、彼女の父親にあたる人物が原因なのか。

例え身体が治ったしても、心がこのままでは、
彼女が幸せな人生を過ごしていくことは不可能だろう。
それどころか、自ら命を絶ってしまうのではないか、とさえ思えてしまう。
願わくば彼女が妻のように、他者との交流を通じて心を癒していってほしい。

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