写真を撮る、写真から感じる。

だらだら書く。


写真を撮るということに関して
写真を撮るのはなぜか
何がとりたいのか
なんで撮るのか
そんなことが頭をよぎる

その先に何を期待しているのかなんて考えたこともなかった
でも最近そんなこと考えている。

単純に自然が美しいということもある
これが大前提である。

多くの人は何かを切り取るためになんていうけれど
大いに共感する。
自然という刻一刻と変化する様を切り取りたい。
そんなところもある。

長い年月をかけて積み上げてきた自然という流れの一コマを切り取ること
1年に1週間しか咲かない花をとらえること
それらはそれだけで価値があると思っている。

最近それは人間も一緒なんだと思ってきている。
人格とかを無視してその流れの中の一枚として捉えてみたいという感情がある。

その流れで思うことも一つある。

美しいという概念に関して
人は今、五感からの情報に囚われすぎていないのだろうか。
ということだ。
レセプターによって感じ脳で処理するその脳での処理のほうが重要なのではないかという話だ。

例えば
俳句とは写真であるなんていうは話を聞いたこともあるが
想像するものの世界はいいように扱えるゆえに美しくも寂しくもなる。
それがゆえに俳句とは文化芸術にまでなったのではないかともう。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

という句
今ツイートするなら
柿食ってたら鐘鳴ったわ @法隆寺
とかかもしれない。
その言葉から皆は何を受け取れるのだろうか。
僕は受け取れない。
何せそこに含みがあるよという形式を則ってないからだ。

しかし、575に載せているこれは一考した上での表現である。
もちろん創造性豊かに耳に入れなければならない。

ある一定の制限や形式に乗っかっていることに難しさや楽しさがある。

写真にもそういった美しさなどを想像させてくれる制限的なものがあると思っているのだ。
僕の撮る写真は単純な日の丸が多いけど
でもそこにいないと撮れないようなそんな写真は多いはず。
もちろん作品として撮ってるポートレートなどを否定したいとかではない。

ただ風景写真や自然の中での撮影物から起因したそういった背景的なものにも感銘を受けてほしいなぁというお話しでした。

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