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小栗翁が天から会いに来ていただきました^_^

小栗翁が天から会いに来て頂きました!”ほんの一瞬 天窓が開きました!ほんの一瞬です♪

慶応4年(1868)閏4月6日朝、小栗上野介翁は家臣三名と共に群馬県の水沼(倉渕村)の烏川河原に引き出され、そして明治新政府軍により無実の罪をもって一方的に処断され、むなしく烏川の露と消えていきました。「武士の一分」を貫き真の武士として42歳の人生でした。なんと無念だったのだろう・・

私の一番好きな小栗公の言葉 紹介いたします!
横須賀造船所「後の日露戦争の時大活躍した、日本の近代化の立役者となる」を作る時 勝海舟をはじめ幕府からは反対の声が多かった それでも 小栗翁は
「幕府の運命に限りあるとも、日本の運命には限りがない。私は幕臣である以上、幕府の為に尽くすべき身分だが、それも結局は日本の為である。幕府のしたことが長く日本の為となり、徳川の仕事のおかげだと後に言われれば、徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか。同じ売家にしても土蔵付き売据えの方がよい」

これこそ 日本を思う 最高であり 真の武士です!

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